「答えは出ない」悼む人 supersilentさんの映画レビュー(感想・評価)
答えは出ない
見ず知らずの他人を悼む。しかもさながら宗教的な儀式を彷彿とさせる行為に依って。それは誰の目にも奇異に映る。
人の死を悼むというテーマ。しかも悼むという行為自体がテーマとなっていることに惹かれ見始めたもののやはり困惑する。不審な行動そのものであるその行為は、現実の世界で目にしたとするならば、新興宗教やオカルトの類いかと気持ち悪く思うのはまず間違いないはずで、でもこれは映画(小説)なのだと傍観者を決め込み眺めてみる。
人の死を悼む。その動機や目的ははっきりされないまま彼の行為を見つめていると、不思議と胸が苦しくなる。その静かな佇まい、優しい言葉に癒されている自分に気づく。
無残に殺された命もあれば、「死んで当たり前」と揶揄される命もある。主人公の彼はそのどちらにも同様の誠実さをもって向き合いその死を悼む。同様というよりそもそも区別をしていない感もある。
死んだ理由や殺された理由を聞かない彼はただ「生きていた時間の温かさ」を記憶しようとする。「あなたが確かにここに生きていたことを忘れない」そう呟く彼の言葉には何一つ不審な点はなく、むしろその愛の大きさに心が震えてしまう。
この映画(小説)の面白いところはまさにこの点だろう。猜疑心や疑念は晴れないまま、一方で主人公の人柄に確かに共感を覚え、その行為の真意、深淵さに愕然とする。この映画の作中人物たちも主人公の奇異な振る舞いに最初は戸惑いながらも、彼の不思議な優しさに心を開いていくのが見てとれる。
翻って。
他人の死を哀れむほど人は暇ではないし、それどころか親友の死さえ忘れてしまうほど人は自分勝手な生き物だ。世界中で毎日何人の人が死んでいると思っている?そう考えると、この映画の主人公のような行為は滑稽でしかない。
でもその一方で、こうも思う。人は愛されたいと願い、誰かのために死んでもいいとさえ考える。誰にどう思われようと構わない。僕は私は幸せになりたい。僕は私は誰かを幸せにしたい。そのためならあなたを殺しても、殺されても構わない。もがき苦しんだ果てに答えを見つけ出したなら、それがどんな結果であれ幸せなのではないか。「病気」とひやかされながら旅を続ける「悼む人」に自らを重ねてみる。
この映画には主人公以外にも様々な人物の死と同じくらい「生の形」が登場する。自らの死を待ちながら息子を愛する母の生、父を許せないまま他人の死を金にしてきた男の生、殺されることで救われようとした男の生に、殺すことで愛されようとした女の生。愛と憎しみ。執着と無関心の狭間で揺れ動くそれぞれの人生。
答えは簡単に出そうにない。他人の死を悼むこの映画の主人公でさえ答えを見つけてはいないように見える。ただ一つ言えるのは、「人が人を思う」その時間の中に、人の生きる意味があるのかもしれないということ。答えは見つからないかもしれない。それでも僕らは生きていくのだ。たまにはこうやって振り返りながらね。