「貞操観不安定時代のあたふた」アオハライド Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
貞操観不安定時代のあたふた
『アオハライド』(2014)
友情の厚いグループ内で相思相愛ながらなかなか伝え合えられなかったり、片思いで振られてしまう人が出来たりと、そうした展開は数多くあるだろう。テレビドラマでは、『愛という名のもとに』とかそうだったような。モテる男にライバルの女たち。女のほうにも別の男が接近したりして、それを目撃してしまったりする。だけどライバルもどちらに相手が傾いているかを察知してしまう。千葉雄大のキャラクターがテレビドラマの『高嶺の花』みたいに介入してくる人物のような感じもする。しかし、高校時代に交際出来る男女も多いのかも知れないが、それでもかなり有利な状況体験者なのだろうに、そうしたライバルたちが意気消沈してしまうように、男が女にライバルのロック演奏中に、キスをする。片方のライバルもそれを目撃して去る。だが高校の文化祭で、意思表示がキスというのは、高校生という段階でどうなのか。実際には高校生から大学生と社会人はじめくらいの年齢で、婚外性行為をしてしまうまでの関係で、結局結婚もせず、別れてしまうという関係というのは、貞操が無いだけではないかとも思わせる。貞操教育が曖昧な時代にしてしまったために、キスなのか性器挿入なのか、男女の接触が映画にしても定義さえないまま、婚外性行為になる高校生たちもいるのだろう。ところがこの映画では、まだライバルたちが負けずに絡んでくるようでもあるが、事情は込み入っていて、大変でここでは書けない。キスしてしまった後で、女が『どうしてあたしとキスしたの?』ときくと、『わりい、雰囲気に飲まれちった』と答える男だが、一つ間違えたらセクハラで、ジャニーズのタレントが謹慎になったような状況なのに、女は男に、『嘘つき』という。相手が好きになっていたら、好きでない場合の罪悪さえ、許されてしまう。その敷衍に、合意なら乱交出来、不合意なら犯罪になるという強度に不公平なからくりがある。この映画ではさらに、男をめぐって、女二人のライバルの対決まである。実際の10代女性あたりが一番映画館に足を運んだらしいが、こうしたペッティング絡みまで含んだ恋愛のいざこざを見せて、観客としての当事者候補たちはどう思うのだろうか。貞操教育が無い時代のこの国の混乱は、欲望を忠実に告白するしかないのか。女が男に『好き。ちゃんと振られるために』というようなことをする。元はといえば、男がいい加減である。織田裕二が若い頃に演じたような男もそうだったのだろう。真剣なたかおを惑わせてしまう人がいる。ところがモテるので許されてしまう。傷つくのは相手である。だが、振り回したほうも実は、その相手を忘れてはいないのでさらに複雑である。キスという段階とは言え、婚外性行為とまでは言わなくても、婚外接触がどこまで許されるのか。男は感情的に好きな女を捨てようとし、心に傷を持つわけありな女のほうを選ぼうとする。捨てられた女のほうは、我慢して克服しようとして。男が東出昌大で、女が本田翼で、ライバルが二人出てくるが、強いほうが高畑充希で、千葉雄大の役は、本田翼の役に対してうまいタイミングで、しかし罪もないので、真っ直ぐやってくるが、混乱させているのは、男の主人公の東出の役柄である。だが、中途半端に貞操観の名残を日本人が最近も残しているのは、女を一人に決めようとする男である。
それが無かったら、愛人二人を持つだけになる。その先は乱交不信社会である。主人公の男の両親は離婚している。何が大事なのかをゲーム感覚でみせようとするしか今のエンタメの方法論は無いのだろうか。わけありながら二人を結び付けるのは、そばにいる仲間だったりして、そうしたトリックスターが仲人のようなものなのか。これだって高校時代に交際したとしても、途中で別れてしまうのならば、婚姻届けのないバツイチのようなものだろう。この映画では、ライバル役として出てくる千葉雄大も高畑充希も強力なのだが、千葉の役のほうの男も本田の役の女にキスをして、引き留める。キスと性器挿入行為の間に線が引かれているのかどうかというところも貞操観不安定時代の示すところである。モテる人達のためのドタバタ劇しかエンタメでは不可能な時代なのか。だが親友となった仲間たちは、二人を結び付けようと応援して、その気持ちは誠実なのだ。女が男に、『一度間違えたら終わりなのかな。正解ばかりの人間なんていないじゃん』というセリフがあるが、女のほうも結婚はしていないものの、二股交際のようになってしまっている。ある意味、風俗嬢的な役割か、カウンセラー的と言ったほうが良いのか。女の交際相手には、女のチームの女が一日貸してくれと言う。男の過去のトラウマに向き合わせるためという設定になっている。場所は長崎県である。キリスト教的な風景があるのだが。男の主人公の名前が『洸』だったりする。離婚して一緒に暮らしていた母親を救えなかったという男のトラウマに向き合うために、振り回されるようでも愛してしまっている女が携わり、もう一方のやはりトラウマを抱えたような女もいるのだが、周囲の仲間たちがいて、交際のライバル関係の男女二人ずつがいて、結局は、高畑充希の役柄と千葉雄大の役柄とが振られて交際関係を終わらせるわけだが、どちらも爽やかに負ける。接触の痕跡的には千葉雄大のほうのキスが許されている。男女交際終了としての高畑は東出にもういいよ。と笑顔し、千葉と本田は最後に握手する。意地を張り合った高畑役は本田役に東出役の時間を進ませてとさえ伝えたりする。だが本田役としても女性側は、東出役と千葉役に突然キスをされたほうで、キスをしてきたわけではない。仲間たちは随分遠回りしてしまったねといい、「まわりみちこそアオハルなんだよ」というセリフがあるが、貞操観の無い時代にエンタメの洗脳は危険性を感じさせないトリックとなる。こんなに振り回されて女が男二人にキスされた後に、片方の男がようやく「好きだよ」といい、女が涙する。ここからが貞操なんだかどうだか。婚前かどうかさえわからず、高校生がキスして夕陽で美しくみせて、この映画も終わった。内容をよく忘れてしまったが、これもタイトルの意味がわからないが『ストロボ・エッジ』も同じような掻痒感を持ったような気がする。こんなに振り回しておいて、ジャニーズとアナウンサーの破局は記録に残らないが、熟年離婚なんてされたら、一体恋愛なんてコントロールな何の作用なんだろうか。『青春はいつだって間違える。だからこそ青春なんだ』というセリフで終えるが、妊娠中絶の子の命は戻らない。