ショート・タームのレビュー・感想・評価
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メイソンがいいやつ過ぎないか?
両親ともまっとうでちゃんと愛情を注がれた私からすると、なんでそんなに反発するのかい?と思っちゃうけど、それほど親からの愛って大事なんでしょうね。メイソンも実の親と暮らせてない子供時代だったようだけどそれでもあんなに優しい人になったのは里親の力ってことなのかな。実際にはそんなに心に闇を抱えた人が、子どもの保護施設で働いてるのってちょっと心配と思ってしまうけど、まあそこは他人が口を出すところではないですね、そもそも映画だし。マーカスのエピソードでささやかなハッピーエンドになるのもとても後味良しでした。
冒頭で走り出す少年、この伏線回収好きかも
どことなく胸がフワッと温かくなりつつも、誰かが幸せを手にしたりもしない、ハッピーエンドでもない結末。絶妙なバランスで好みでした。
ブリー・ラーソンの演技は素晴らしかった。幸薄そうな配役はハマる感じに思える。
『Mommy マミー』を鑑賞したあと、この映画を見た。障害の程度は...
『Mommy マミー』を鑑賞したあと、この映画を見た。障害の程度は違うが、こちらの場合の方がより現実的だと思う。
施設であってもこう言った苦労が耐えない。セラピストや施設長をディスっているが、そこはデフォルメの範疇である。
一つだけ画竜点睛を欠く所がある。
婚約者の態度。
僕は男は確信犯なのかと思った。加えて、女性から謝る必要性を感じなかった。非常に男目線だと思う。
サプライズかもしれないが、男は確信している。僕は『それはないだろう』と思った。
更に、自暴自棄の解決方法として、良い結末だが、親父には命を取る以上の罰を与えなければ駄目である。減点にはしないが、アメリカに限らず、この『性的な領域に踏み込んだ虐待』は根深く巣食っている。
なにかの結末を迎えて貰いたかった。但し、主人公も近い未来に同じ環境にさらされるので、別のストーリーになるゆえ、この場での解決もあるまいと考えた。続編が欲しい所だが、こう言った良い話は『興行的に外れる』従って、『続ショート・ターム』はないだろうし、『ロングターム』としてリメイクされる事もない。だから、いつまで経っても性的な虐待は減らない。
注意 発達障害と性的な虐待による自傷行為は別だが、マミーで自傷行為を扱っていたので、同一と言う見解をもった。偏見ではない。
ただ生きている。だとしても人生は尊い
自己肯定感に支えられているヤツはカッコいい。冒頭、メイソンがショートタームの新入り・ネイトに披露するエピソードはめちゃくちゃカッコ悪い話だ。出来ればみんなの頭の中から永遠に消し去ってしまいたいような、恥ずかしさMAXレベルの武勇伝(?)だけども、メイソン本人がネイトに語って聞かせている。
オレは散々な目にあったけども、結果がハッピーだったなら安いもんさ。
語るメイソンが伝えようとしているのは、「しんどいことも沢山あるよ」「それで子どもたちが良い方向に進んでくれればしんどさなんて吹っ飛ぶよね」という心構えの話だ。
そしてその為に身を切れるメイソンはカッコいいし、自分の存在に肯定感を持っている。
そんな話も佳境に差し掛かったその時、入所者の少年・サミーが出口を目指して疾走する。興奮状態だ。鳴り響くサイレン、追いかけるメイソンとグレイス。
取り押さえられ、両脇を挟まれ、落ち着くまでの様子を目の当たりに呆然とするネイト。
さっきの話の続きだけど、とネイトは事が収まった後に切り出す。実際はどうだったのか。
メイソンの話に登場する少年は遺体で発見され、「現実は甘くない」とグレイスは呟く。
大学を休学し「良い経験」を積むためにショートタームで働くことにしたネイトにとっては、衝撃的な幕開けだったことだろう。勿論、観ているこちらもだ。
以降、ストーリーはブリー・ラーソン演じるグレイスと、彼女が自分を重ねる入所者のジェイデンを中心に進んでいくが、このキャラクターの立ち位置がよく出来ている。
興奮状態で脱走を試みたサミー、母親との問題を抱えるマーカス、性的虐待が疑われるジェイデン、彼女と似た境遇から施設で働くようになったグレイス、施設出身で里親に恵まれたメイソン、福祉意識の高い大学生のネイト。
「愛し、愛される」ということについて、彼ら自身がそれぞれの方向性を持って描かれることで、生きるということの難しさと素晴らしさ、そしてその拠り所となる「愛」についてを伝えてくれる。
グレイスは「愛し、愛される」ということにとても不器用で、メイソンと付き合ってはいるものの「愛せない」かもしれない自分に怯えている。
スタートは「愛されない」子どもだったかもしれないメイソンが、自分を愛してくれる存在に出会ったことで、カッコ悪い武勇伝を披露するに至るのとは正反対だ。
ジェイデンの創作童話「タコのニーナ」は、「愛してもらおうと自分を差し出してしまう」痛々しいまでの飢えを感じさせる。
妹同然の人形を取り上げられ完全に殻に閉じ籠ってしまったサミーに、偶然見つけた彼の人形をそっと返しに行くネイトは、彼自身がそうすべきだと感じた「小さな愛情の行為」を踏み出す。
どんな人生が幸せか、なんて一律に決められるはずがない。でも自分を愛し、幸せを感じるためには、「愛」の存在を知らなければならない。
他人から愛されて、愛を知ることもあるだろう。自分が何かを愛することで、愛を知ることもあるだろう。
誰かを愛し、誰かから愛され、愛を知って初めて自分自身を「愛している」と実感できる。自分自身を「捨てたもんじゃない」と思うことが出来る。
映画のラスト、冒頭と同じようにメイソンが繰り広げるトークは、マーカスの話だ。
本当の話だぜ、グレイスが証人だ。
マーカスが施設を出て働いていること、施設で出会った年上の女の子と付き合っていること。彼がとても幸せそうだったこと。
「愛し、愛される」ことに成功したマーカスの話を語るメイソンも、聞いているグレイスもネイトもみんな幸せそうな顔で、そんな中またサミーが疾走する。
冒頭のシーンとほとんど同じで、追うグレイスの表情は険しく真剣そのものだが、サミーの顔は晴れやかだ。星条旗のマントを羽織り、光に向かって走るサミーは否定の気持ちから走り出した訳じゃない。
「愛し、愛される」ことに資格なんていらない。理由なんていらない。不完全で良い。自分自身を精一杯肯定して生きていく。
一見全く同じなのに、全く違う印象のラストシーンが、今生きている自分に勇気をくれる。
胸がいっぱいになりそうな一本ではありました。
<映画のことば>
君が生まれる前から私はこの仕事をしている。命がけで子供を守ってきた。傷ついた瞳を見ると、クソ野郎をブチのめしたくなる。そう感じない日は一日もないが、全員の罪を暴くのは無理だ。すべての子を癒すのも、すべての親を訴えるのもね。
児童保護行政がひと筋縄で解決しない問題であることは、彼我の国で違いはなさそうです。
それでもグレイスが父親を刑務所に送ることができたのは、勇気を持って陪審員の前で証言をすることができたからのことと思います。
児童保護機関としては、いくら尽くしても、自らの調査活動だけでは、それを代替することはできない。むしろ、被害児童の率直な証言があって、初めて児童保護機関がその調査活動で収集した証拠が、いわば一本の鎖で繋がって、有効に機能するのだと思います。
「ブチのめしたくなる」とは言いつつも、実際にはブチのめしに行かないので、その所長に代わってジェイデンの父親をブチのめしに行った。
「アタマがおかしいんじゃないの?」と言って止めはしたものの、自分のために、そこまでしようとしてくれたグレイスの姿を見て、頑なだったジェイデンも、やっとこさ心を開くことができたということでしょうか。
そう考えると、胸がいっぱいになりそうな心持ちです。
アメリカでは、彼・彼女たちも短期間の職員(日本流に言えば非常勤)のスタッフで、施設を運営しているのでしょうか。彼・彼女たち自身も児童虐待の経験があったりするようですけれど、多くの施設で、そんな状況なのでしょうか。
そんなことも気になった一本でした。
佳作であったと思います。評論子は。
(追記)
居室にあった、あの犬の張りぼては、あんなふうに使うためにおいてあったのですね。
心の癒しとして、愛玩するために置いてあるのかと思っていました。
別の意味で「可愛がる」ために置いてあったとは知りませんでした。
事実は小説よりも奇なり。
でも、我が家にも一本あると便利かも。(笑)
言葉にならない。
子どもたちが置かれた環境のあまりの酷さ。
親は選べない。
ネイトの軽薄さ。
マーカスの底知れぬ怒りと悲しみ、生きづらさ。それでもなお、他者をいたわれる優しさ。
ジェイデンの癒されない怒りとつらさ。
所長に「良い人だ」と評されるジェイデンの父親。
そんなだからジェイデンは本当のことを言えない。
「長年この仕事をしてきた」だけで「私は間違ってない」なんてあの所長はクソだ。
マーカスは歌で、ジェイデンは物語で、自分の痛みと辛さを表現できて、それを聞いてくれる大人がいて、よかった。
でも、そんなことで救われるような浅い痛みじゃないんだよね。
よく、怒りは二次感情だと言われる。
本当は別の感情があり、そこから派生するものだと。
それを解消せよと。
そんなこじつけみたいなことしてまで、怒りを否定するのは何なんだろう。
怒りは怒りだと思う。
親が酷い、そのせいで自分の人生、酷いハードモードになってる。
それは、怒り以外の何ものかなんですか?
そんなわけあるか。
サミーがぬいぐるみを取り上げられたように、
専門家につながれたとしても、それが自分にとって良い人とは限らず、救われるとは限らない。
救われないまま歳を重ねて大人になってしまい、
生きづらさゆえに色んなことがうまくいかないと、
周囲は自己責任、という目線を向ける。
親のせいでこんなことになっていたとしても、そこまで理解して寄り添おうとしてくれる人は、いない。
重いからと監督自らカットしたらしいけど、フルバージョンが観てみたい。
人生の不条理を描いた、最高の映画だ。
こういう真面目な映画を重いと言って敬遠するような人が、私は無理だ。
マーカスの歌と、傷ついたジェイデンのために誕生日を祝おうと皆に呼びかけるところ、涙が出た。
メイソンが養子だったと知ってびっくり。
彼が、グレイスの瞬間的に感情が振り切れて他人を振り回してしまうのに、見放さない包容力は、愛されて育ったゆえに培われたものなんだろうなと。
暴力や暴言を直接受けたわけではない。
それでも、親の不仲や、感情的なところ、に傷付けられていたんだと、大人になって理解した私にとって、寄り添ってくれるような映画だ。
人として社会で生きるためには、子に衣食住だけを与えるんじゃダメだと思う。
必要なものを与えられず、大人になって生きづらさを感じてるのに救われないままの自分は、この映画に、マーカスとジェイデン、グレイスとメイソンに、少しだけ楽にしてもらった気がする。
どんな酷いことを言っても見放さないメイソンがいてグレイスが羨ましい。
マーカス、お幸せに。。
明日からの君の方が僕はきっと好きです
青少年保護施設のショートターム
そこで働くグレイスを軸にとりあげる
保護観察員として子供たちに寄り添い、親のような友達のような関係を築いていく
埋まらない距離感、日々変動する感情に動かされる
そんななかジェイデンという少女が施設にやってくる
初めは壁を作っていたが、グレイスの関わりにより徐々に変化が見られる
ジェイデンは物語という形で父の虐待を示唆
虐待の可能性を所長に報告をするも父に引き取られてしまう
グレイスの父の出所、マックスの自傷、ジェイデンの外泊許可、グレイスの妊娠など数々の要因が重なり
メイソンにあたり、ジェイデンの家にバットを持って入り込んだ
ジェイデンに会い、踏みとどまったグレイスはかつてジェイソンがそうしたように自身の境遇をこぼしていく
ジェイソンとグレイスは父と戦う覚悟を決める
ラストシーン、冒頭と同じく職員が4人で談笑
グレイスとメイソンがマックスのその後を話す
これは優しい嘘か、真実か
ヒーローマントのような星条旗をかかげたサミーが飛び出して幕を閉める
ある映画に触発されたのではないかと推察
この映画で、癒された人がどれほどいるのかと思うと、申し訳ない限りですが、私には理解できませんでした。もちろん、ハートウォーミングないいお話だとは思います。タコのニーナのおとぎ話は、それだけを短編のアニメーションにしても通用するほどに優れたエピソードで、泣きながら少女が語るシーンはこの映画の白眉と言っていいと思います。
ただ、映画全体を覆う重苦しい空気と閉塞感が、何とも言えない「閉じられた」世界を想像させ、この日常が子供たちにとっていい影響になるとは思えない環境です。
ただの一例でいいから、この施設から旅立っていった成功者のエピソードを取り上げてほしかった。もちろん事実に忠実に映画化したのなら外ならず、映画という、90分の人生体験を期待する人にとって、この映画が、観客をどこへ連れていこうとするのか、よく解らないままラストシーンを迎えました。
そういう意味で、メイソンが語る出来事、カフェで偶然会ったこの施設出身の男の子に挨拶をした話を、なぜきちんとドラマにしなかったのか疑問です。心温まるいい話を切り離すような奇声を上げ、やせっぽちの少年が白昼堂々と脱走を企てます。
少年は、キャプテンアメリカを気取り、星条旗をマントのようにまとい、奇声を発しながらタッチダウン(施設の外に脱走)を狙います。それは、まるで予定調和の鬼ごっこのようにも映り、現にもう一歩のところで、少年は向きを変え、追いかけてくる保護管に向かって突撃しようとします。その楽しそうな表情は、彼らの日常が自己実現欲求を満たすための開放を表しているのでしょう。
冒頭のシーンをかぶせて、同じシチュエーションで締めくくるテクニックが使われていますが、冒頭のシーンは、入所して一日目の同僚をリラックスさせる「すべらない話」で打ち解けようとさせる保護管を一気に緊張の極致に導き、彼らの過酷な仕事ぶりと、施設に入っている子供たちの極限状況をいっぺんに見せます。このスタートとラストの対比こそが、脚本家の一番の狙いなのだと思います。
問題児ばかり揃っている施設の中で、自らが父親による性的虐待を受けた経験のあるグレイスが、同じ境遇の少女に共感し、とんでもない行動に出る様はエキセントリックで、どこかの何かのドラマで見た気になる既視感があります。
特に「世界にひとつのプレイブック」は、この映画の直前に公開され、高い評価を得たので、何らかの影響は受けていると思われます。
2017.11.29
【”子は親を選べない。だが、親からの虐待により傷ついた心を、大切な人との繋がりにより癒す過程を描いた物語。”特に、再後半は心に沁みるヒューマンストーリーである。】
ー 親からの虐待、ネグレクトにより傷ついた心を持つ子供たちのための短期保護施設施設「ショートターム12」。
そこで働くグレイス(ブリー・ラーソン)と、同僚でボーイフレンドのメイソン。(ジョン・ギャラガー・Jr)
子供ができたことをきっかけにふたりの将来は幸せなものになるかと思われたが、グレイスは誰にも打ち明けられない心の闇を抱えており、メイソンに子供は産めない・・、と伝えてしまう。ー
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・今作には傷ついた心を持った10代の子供たちが多数出演しているが、特に印象的なのは母親に虐待された故に嫌悪するマーカス、そして父親に虐待されて入所して来たジェイデンが印象的である。
・出所が近いマーカスが母親への憎しみをラップに乗せて歌うシーンと、ラップの歌詞。
- けれど、彼はその後立派に更生した事がメイソンにより語られる。-
・ジェイデンがグレイスに語ったタコのミーナとサメの話。
- ”君の脚を一本くれよ・・。お腹が減ったからもう一本。全部くれよ・・。”
父親からの虐待を暗喩している。そして、ジェイデンが心優しき女の子である事も・・。-
・短期保護施設施設「ショートターム12」で働くグレイスも、父親からの虐待を誰にも言えずにいた。刑務所に入っていた父親が仮出所すると聞いたグレイス。
そして、恋人のメイソン(良い奴である。)の子供を身籠った時に言ってしまった言葉。
”生まない・・。”
- 親から虐待された子供の中には、自分も子供を虐待するのでは・・、という思いを持つ子がいるという・・。-
<ジェイデンが、父親に家に戻ったと聞いたグレイスが所長を怒鳴りつけ、バットを持ってジェイデンの家に自転車で駆け付けるシーン。ジェイデンは無事だったが・・。
そして、二人は夜中、ジェイデンの父親の車をバットで叩き割る。
両親による子供の虐待はコロナ禍も影響し、増えているという。
私には、自分の子供を躾と称して、虐待する人間の気持ちは全く理解出来ないのであるが、今作のラスト、グレイスが過去の忌まわしき出来事をジェイデンと共に打ち砕き、メイソンとの子を持つ決断をするシーンと、彼女のお腹にいる子供の姿を二人で喜びながら、モニターで見るシーンは沁みたなあ・・。
優しさで溢れ感情が込み上げる
Amazonプライムで配信終了間近のリストからなんとなく良さげな雰囲気で気になったので鑑賞。
うわっ!出ました掘り出し物!これは文句の言いようがない傑作だな。いや傑作とはちょっと違う。名作、ともなんか違う。
分かる人は分かると思うけど、「傑作」とも「名作」とも違う、いい映画ってありません?特に、ミニシアター系の映画とか、画面設計が綺麗なアート作品に多い。
「傑作」とかありきたりな表現は極力使いたくないんだけど頭がかたいから許して下さい。
とりあえずエモーショナルな素晴らしい作品です。(素晴らしいって表現もあんま好きじゃないんだよな…)
素晴らしい作品に出会うと当然「これ監督誰だ?」と思う訳ですよ。
調べてみたら『黒い司法』のデスティン・ダニエル・クレットン監督だと発見。『黒い司法』も心にズシンとのしかかるテーマを浮き彫りにしつつ感動的な演出が光る作品だった。
個人的にはスパイク・リー作品によくある黒人のノリが、差別とかでは無く単純に自分の感性と合わないのであまり好きでは無い。
でも『黒い司法』では黒人のノリを嫌うどころか、感動してしまった。
これは今作でも共通している、というか今作の方が色濃く出ていることなんだけど、クレットン監督は人間の撮り方が上手い。
瞳の奥にある優しさを上手く捉えていて、当時人物みんなが愛おしく感じてしまうし、心を強く揺さぶられる。
ドキュメンタリー調な作風も相まって、リアルタイムな社会派テーマをリアリティ溢れる映像で描ききる。
聞けばマーベル新作、『シャン・チー』の監督を務めるらしい。
同じくドキュメンタリー調な作風で魂を揺さぶる才能、クロエ・ジャオもマーベル新作『エターナルズ』を監督するし。
新マーベルシリーズは一体どうなるのだろうか?ハリウッド映画という立場に負けず、アート作品としてのヒーロー映画という新境地を切り開いて欲しい。
…と話が脱線しましたが文句なしの大傑作なので是非皆さん、観て下さい、というか観て!
マストで観るべき。
ドキュメントタッチの映像がストーリーを良い意味で生々しくし一層印象的な作品に!
題材としてはかなり重く、登場人物の抱える様々な心の闇に気分が沈んだが、結末には少し救われた。
特にエンディングのラップ調の曲は、この映画には合わないようで以外に合っていて、気持ちがさらに落ち着いた。
あと、最初と最後のシーンを合わせたのは凝っていて良かったと思う。
一番気に入ったシーンは、オープニングで映画タイトルが空に出てきたシーン。すごくきれいだった。
凄い才能の監督だ!
ブリー・ラーソンが出てる、ということ以外の予備知識無く見た。
しかし、最初から不安になる。
冒頭で「ゴール」が示されないから。
(ほとんどの映画では、冒頭に「ゴール」が示される。典型的な例で言えば、犯人逮捕や恋愛成就など‥)
そんな不安がありながらもすぐにこの作品に入り込める。
それは、役者の演技や巧みな演出により、登場人物たちの心情や葛藤に共感できるから。
凄い才能の監督が現れた、と思ったら、この後、「黒い司法」の監督をやってるんですね。
ブリー・ラーソンはブレイク後もこの監督とのコラボは続けており、それは両者に強い信頼関係があるからだろう。
ラミマリックを活かしきってないのが残念
脚本上、児童養護施設の児童とスタッフという一般的関係性に、ラミマリック演じる学生がインターンで来るっていう特殊性を活かし放題なはずなのに、さほど描かれないのが残念。
部外者との化学反応で、何か変化や成長が組織的にも個人的にも訪れるっていうのがこういう映画の王道なのに。
YOU ふっきっちゃいなよ。
かなり重たいテーマを扱ってるのに、見終わった気持ちはすごく爽やか。
ある種の無敵感というか、いつだって理想の自分になれるんだっていう希望というか。
最後に語られるマーカスのエピソードがすごくキラキラしてるし、
サミーが星条旗をマントにしてるのも微笑ましかった。
全体としては良くも悪くも主人公のグレイスに焦点を限定してるので、
それで見る人を選ぶ部分はあるかも。
でも過去のトラウマに囚われているひとにも、
今でっかい壁にぶち当たっているひとにも、
すごくポジティブなメッセージは伝わるんじゃないかと思う。
これまでの人生で自分がしてきた決断というか、選択してきたことというか
とにかく、なんやかんやあってもここまで生きてきた自分を褒めようぜっていう。
誰かと比べることなんて、マジで意味ないんだっていう。
同時期に見た「パターソン」を絶賛している人が多かったけど、
僕はこっちの方が断然すき。
何故生きているのかわからない大人たちと子どもたちのための映画
冒頭と終末にメイソンが話すエピソードが対照的で、この物語の入り口と出口のトーンをそれぞれに決定付けている。この構成だけでよくできたシナリオであると感じられた。
鑑賞する以前は、自傷行為とは、自己存在への疑問を痛みで実感するためのものであるとぼんやり思っていたが、グレイスが「流れ出す血を見ている間だけは辛い現実を忘れられた」と語っていたことからもわかるように、そんなに単純な行動ではないのだと自らの浅学を恥じた。
施設の中心的スタッフとして、子どもたちの自立を少しでも手助けしようと献身性を見せるグレイスとメイソンだが、実は彼ら自身が心に大きな傷を負ったり、それを誰かに救済してもらったりしながら成長していた。もうすぐ施設を出なければならないマーカスや、入所したはいいがなかなか心を開かないジェイデンとの関わりの中で、実はグレイスとメイソンが救われていた部分もあったように思う。
ラミ・マレック演じるネイトが新人スタッフとしての挨拶で「可哀想な子どもたちを助けるために」と失言してしまうのだが、「〜してあげる」意識でいるうちは、きっと誰とも心から関わり合うことはできないのだ。
何故ならあの施設にいる子どもたちは、自分がこの世界に欠かせない一人であることを実感したいからだ。だから、スタッフだろうが誰だろうが、自分を必要としてくれる相手に、実は最も信頼を寄せるのではないだろうか。
メイソンの冒頭エピソードはおかしくも悲しいオチだった。終末のマーカスのエピソードは微笑ましく希望に満ちていた。グレイスとの心の葛藤を乗り越えて、メイソンもまた、施設の子どもたちに救われたのだと思う。
同じような日常を繰り返す中に、ほんのわずかな絶望や希望、悲しみとおかしさを掬い取るような、優しい映画だった。宣伝チラシから、ダークでシュールなSFだと思って何年も観る気にならなかった自分が不思議でならない(笑)。
『癒し』は『信じること』に必ずしも発展しない
心に傷を抱える子供達がテーマなのでそもそも重い。
短期施設(ショート・ターム)で友達が出来、やがて家族のような絆で結ばれ、時に確実に癒やしを感じる瞬間があるんだけれども、それが決して「人を信じる事」に結びつかず、光があるから陰があるのだというように嬉しく思う瞬間に自分の心の傷を再確認し、やりきれない思いで暴走?に走る子供達の行為が辛い。
施設に入る子だけでなく、彼らを迎え入れる職員達も同様に傷を持っていて、同じ境遇の存在によってまた自分も揺れたり、勇気付けられたり。
人それぞれ辛さを訴えかける表現方法もバラバラで、それにアンテナを高く持って対応していける人(親)にならなければと思った。
10代の少年少女を対象とした短期保護施設を舞台に、誰にも言えない心...
10代の少年少女を対象とした短期保護施設を舞台に、誰にも言えない心の傷を抱えた女性と子どもたちが、大切な誰かとともに生きる喜びや希望を見出していく姿を描いたヒューマンドラマ。
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