海を感じる時 : インタビュー
市川由衣が語り尽くす「海を感じる時」で体現した“痛み”と“もがき”
市川由衣は泣いていた。「サイレン FORBIDDEN SIREN」以来約8年ぶりの主演作「海を感じる時」初号試写を見て、涙が止まらなかった。隣席に座る苦楽をともにしてきた担当マネージャーもまた、とめどなく涙があふれた。市川は、「現場にモニターがなかったんですよ。映像を一切見ていなかったから、そのときに正真正銘初めて見ました。エンドロールでホッとして泣いてしまったんですが、自分の出演する映画で初めて泣きましたね」と振り返る。市川がそれほどまでに思いを込めた主演作について、思いのたけを語り尽くした。(取材・文・写真/編集部)
「撮影中も知らず知らずのうちにプレッシャーを感じていましたし、自分の中での覚悟もあったので、完成した作品を見て思いがあふれちゃったんでしょうね。不思議な気持ちになりました」と市川に言わしめた「海を感じる時」は、1978年に18歳だった中沢けい氏が発表し、第21回群像新人賞を受賞した同名小説が原作。高校生の恵美子が、少女から大人の女性へと成長していく姿を精緻な描写でえぐり取った問題作を、安藤尋監督のメガホンで映画化した。
市川は憧れの先輩・洋(池松壮亮)を一途に思いながらも拒絶される恵美子に扮した。洋に求められ衝動的に体を許してしまった恵美子は、その後も会うたびに自ら体を差し出す。月日はたち、東京で下宿生活を送る洋の近くにいたい一心で花屋で働く恵美子は、寄り添っては傷つき、反発しながらも会うたびに体を重ねていく--。オファーを引き受けた最大の要因を、「やっぱり恵美子の痛さに魅力を感じたし、そこに全く共感できなければ引き受けていなかったと思います」と語り、さらに「やらないと後悔すると思いましたけれど、やるには精神的な面で相当の覚悟がいると感じました。それに、他の女優さんがやっているのを見たくなかったというのも大きいです」と打ち明ける。
本編中、いたるところに恵美子のヒリヒリするような痛覚がちりばめられている。クランクイン前は、原作を読み込むことで荒井晴彦が執筆した脚本にはかかれていない恵美子の細かい心情を自らに肉付けしていった。しかし「結局のところ、クランクインして役と向き合って感じることが一番大きかったですね。頭でっかちになりすぎてはいけないと感じましたし、監督も多くを言わない方でしたから」と話し、現場がどれほど充実していたかを説明した。
今作を語るうえで、洋を演じた池松壮亮について避けて通ることはできない。市川も、「すごいなとしか思わなかったですね。洋にしか見えなかったし、恵美子が洋にあんなにもひかれ、追いかけたくなる意味というものが、演じていて分かりましたから」と同調。さらに、撮影を通して向き合った池松に対し「この人のことは私しか分かってあげられないという、心の悲しさを感じてしまう恵美子みたいなところがリアルでした。そういったことを感じさせてくれる俳優さんってなかなかいないですし、池松さんに助けられましたね。もともと好きな俳優さんだったんです。お話いただいたときも相手役は池松さんだと決まっていたのですが、そうでなかったら、もっと考えたと思います。本当に助けてもらいました」と感謝の念は絶えない。
池松に感謝こそするが、洋という人物について市川は率直にどう思っているのだろうか。すると「うーん、洋って嘘のない人じゃないですか。別の女がいるわけでもないし、女遊びをするわけでもない。そこなんでしょうね。女性が『この人を分かってあげたい』ってなるのは。そう思ってしまう気持ちも分からなくもないですよね。そういう寂しさみたいなものや、孤独な人にひかれるというのは理解できます。でも、ずるいですよねえ」という答えが戻ってきた。
恵美子の洋との関係は、滑稽といえるほど愛を求めるがゆえの性への執着から始まっていくが、いつしか2人の立ち位置にも変化が生じてくる。劇中でいくつものラブシーンを体当たりで演じきったが、基本的には1テイクで撮りきったという。挑むうえで脳裏に浮上したのは、安藤監督の言葉だ。「最初にお会いしたときに、『これはバトル映画だ。男と女の格闘映画なんだ』とおっしゃられたんです。『この映画が伝えたいこと、描きたいことって何だろう?』と思っていたので、なるほどと思いました。確かに恵美子は洋とも戦っているし、自分とも戦っているし、孤独ともお母さんとも戦っている。全てがふに落ちました」。
原作の中沢氏とは、初号試写の後に初対面を果たしたそうで「すごく緊張しましたけど、先生が映画のことを気に入ってくださり、『30年待って良かった』と言ってくださったことが一番嬉しかったですね」と笑みを浮かべる。そう、今作は82年に根岸吉太郎監督作として映画化に向けて動き出したことがあったが、実現にはいたらなかったという経緯がある。それだけに「やっと実現したお話だったので、このタイミングで恵美子をやらせてもらえることになったのは本当にありがたいことですね」と感慨に浸る。
だが、市川に浮ついた気持ちは一切ない。「今までもお仕事に順位をつけてやったことはありませんし、目の前のお仕事に向き合い続けてきました。この作品で心も体も裸になっていったことというのは自信になりましたね」。今作が市川にとっての最高傑作になったことは言うまでもないが、今後については謙虚な姿勢をにじませる。「人が思う私のイメージってそれぞれあると思うのですが、もっともっと違う役をやりたいですね。ふり幅を広げたいんです。いろんな方とお仕事をしたいんです。自分の力不足を痛感することも今後あると思います。でも、本当に不器用な人間なので、やっていくことでしか成長できないんですよ。これからまたいつか、自分の代表作といえるような作品と出合えるように頑張りたいですね」。