マダム・イン・ニューヨークのレビュー・感想・評価
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新しいことを学んでいく楽しさ
新しいことを学んでいくということは楽しいことなんだよ、
ということをあらためて認識させてくれる映画。
・「May I」というフレーズを習うと、その帰り道に早速みんなでそれを使って楽しく会話。
・フランス人とインド人の主人公の「英語に不慣れな二人」が、“習った英語”を駆使してなんとかコミュニケーションをとろうとする。
・「entrepreneur (企業家)」「judgemental(決めつける)」など単語に興味を持つ。
などなど。。
劇中の言葉、
「快感と成長は、いつだって新しいことをした後に手に入る。」
それが画面からあふれ出していました。
月並みですが、私も一度は投げ出した英語を学んでみたくなりました。
もちろん今度はこのように“楽しく学ぶ”つもり。
シャシはとても素敵な人でした。
人に優しくなれる映画
自分の人生との向き合い方を考えさせられる
本作の着地点については様々な意見があるそうで、「ローランとくっつくかと思った」「せっかく英語を頑張ったのに、また元の生活に戻っちゃうの?」等々…。そこはインドならではの価値観の違いがあるのかなぁ、なんて思いました。確かに、アメリカの映画なら「本来の私の生き方を見つけたわ!ありのままの自分を愛するの!」とか言ってレリゴーしちゃいそうですが、そこはインド映画。最後は家庭に幸せを見出そうと気持ちを改めるのです。
インド映画というと、どんなアクションものだろうとヴァイオレンスものだろうと、大抵家族愛や親子愛が描かれます。なので、この終わり方はなんだかインドらしいなぁ、なんて、上手く説明出来ませんがそんな気がしました。
しかし、そこにたどり着くまでがとても大事。シャシはコンプレックスを克服する過程で自信を取り戻していき、心にゆとりが生まれたのだと思います。ローランに語った「自分が嫌いな時は周りも嫌になって新しいものを求める。でも、自分を愛せば古いものも新鮮に感じられる。」という言葉はまさにそういうことかなと。
コンプレックスの克服については深く共感するものがありまして、私は物凄く字が下手で、30歳くらいの時に小学生用のドリルを買って、家族に内緒で猛練習したことがあります。それこそ1年生用のひらがなばかりのやつから始めてだいたい2年間続けました。結局上達はしたものの、同年代の人達とは比べ物にならないくらい下手なままで今に至ります。でも、誰かに下手なことをいじられても「これでも大人になってから頑張って練習したんだよ!すごいでしょ!褒めて!」くらいのことを言い返せるようにはなりましたし、上達したことよりも頑張ったという経験が自信に繋がりました。
なんだかとりとめのない話になってしまいましたが(笑)シャシにとっても英語が話せるかどうかより、皆と練習する過程で1人の人間としての尊厳を得られた事が自信になったんだろうなって思いました。だからラストのシーンでは英字新聞は要らないのです。既に自信を取り戻したのだから。
……うーん。今度は文章の書き方を練習するかな…(笑)
マダムにフォーカス📷️
つまんない1:06
見惚れる美しさ
リスペクト、ですね。
「学び」のワクワク感が伝わってくる。
王道のストーリー。でも飽きない。なぜなら、新しいことを身につけると、どんどん世界が広がっていくような気がする、あのワクワク感が呼び起こされる作品だったから。
「主人公のシャシは、恵まれた環境にいるから、あんな風にできるんだ」と思う人もいるかもしれない。けれど、例えば「あんのこと」で河合優実が演じた、これでもかというくらい恵まれてなかったあんだって、自分から漢字ドリルに向かう時、シャシと同じようなワクワク感を感じていたんじゃないだろうか。
「学び」は、「自分も捨てたもんじゃないよな」という自信を付け、更には、人と人とをつなげもする。そういう「学びのもつ力」の描き方が、「家族」や「偏見・差別」などの描き方同様に、とてもキチンとしている作品。
素敵なシャシ
妹の結婚をきっかけでNYに行き苦手な英語を習得、インドの古風で控えめな女性シャシが、諦めに慣れた生活からの打開劇が描かれている。
家族のあり方を見つめ直し、自己を肯定することができるようになったシャシは、心の余裕と改めての家族愛で丸くおさまった。ダンスシーンもそこここに散りばめられているのがインド式らしくもあり。
尊重しあう心
インドの社会情勢も例外なく
女性の立ち位置が内でも外でも
尊重されないでいる。
意思表明をしようにも場所や機会がなく
周りの決めつけで成り立ってしまっている。
主人公のシャシも自発的に
やりたいことを見つけても
家庭を守りなさい、
家族の為に尽くすことが幸せという
保守的な考えがいまだ根付いている。
失敗したり、挫折したりわざわざ
リスクを負って挑戦しなくてもという
意見もわかるけどね。
まあシャシのやりたいことは趣味の延長線上
だから大したことではないけど
娘の友達の母親から
「うちの娘がシャシの手料理を食べて
美味しいと。あたしへの当てつけかしら?」
みたいな描写があり、要らぬ火種を生むこともある。
こちらが善意でモノを言っても、モノをあげても
誤解を生むだけ。
知らず知らずのうちに人は傷つけているだと。
インドもこれから日本みたいな
閉鎖的な地域社会になっていくのかな。
インドはカースト制度があるからその影響が
色濃く出ているのかもしれないけど。
シャシの惹きつける魅力が凄い。
お母さん感もあるし、一人の女性としての
色気もある。よう見つけたな。
シャシの繊細な心理描写も丁寧に描かれていて
インド映画もこういうの作れるんやなと思った。
自己肯定感を取り戻す映画なので
イエスマンが好きな人は見てみては。
新興国の女性はぜひ見ていただきたい。
欲しいのは尊重されること
今後の幸運を祈る
主人公の傷つき・コンプレックスは、英語ができないことではなく、英語ができないというroleに押し込められ、軽く扱われること。海外に行くと英語がカタコトだから頭もカタコトだろ、みたいな扱いを受けることがあるが、家族内でそんな立場だとさぞかし辛かろう。と思ってみてたら、最後家族の元に戻るんだよ。いやいや分かるけどさ、若干モヤッとしたなぁ。
インド人男性の理想の女性像を表現?
「良妻賢母で美しすぎる主人公」
家族の幸せを最優先する女性主人公シャシ。良妻賢母であり、夫に逆らうこともない。さらに、その美しさは群を抜いており、サリーをまとった姿は一層際立つ。男性観客は瞬く間にシャシに心を奪われるだろう。ただし、英語が苦手という欠点を抱えている。しかし、この欠点がなければ女性観客の嫉妬を招くだろう。そんなシャシが一人でニューヨークに行き、その苦手を克服するという設定は、やや強引さを感じさせる。姉の結婚準備を手伝うためという理由だが、家庭がある身で4週間も前から到着する必要があるとは思えない。
「サラダボウルの英語学校」
フランス人男性がシャシに一目惚れし、意欲はあるが疲れて寝てしまうヒスパニック女性、無口なアフリカ人のほか、中国人女性、そしておしゃべり好きでムードメーカーのパキスタン人男性が集う英語学校。さらに、担当教師はゲイというキャラクター設定も加わる。多様な背景を持つ彼らが同じ目標に向かい、次第に一体感を形成していく姿に観客は自然と共感し、応援したくなる。インドと対立するパキスタン人をしっかり含めたキャスティングには、平和を願う監督の思いが込められているように見える。
「お互いを尊重し合うことが平和の鍵」
家族、社会、国家間といったあらゆる関係において、違いを理解し、尊重し合うことが平和の鍵となる。主人公シャシはそれを体現する存在だ。しかし、英語習得を巡る展開は、笑えるほど無理矢理潰そうとし、はたまた大胆にその機会を創出する。インド映画の展開に馴染みがなくとも、大ヒット作『RRR』の強引さとどこか通じるものを感じる。英語を話せるようになる以前に、他者を認め尊重しようとする姿勢を持つ主人公は、すでに国際的な交流に必要な資質を備えている。彼女のような美しさと温かみを持つインド人女性が世界中を席巻すればたちまち世界中がインドの味方になってしまいそうだ。
「世界に存在感を高めるインド人にとっての新しい理想の女性像」
女性の人権問題が指摘されることの多いインドにおいて、若い人妻が一人で男性もいる英会話学校に通うという設定は、一見何気ないようで実は非常に進歩的な描写だ。保守的な価値観を守りつつ、これくらいの冒険を許容することが、女性の人権解放の第一歩になるとインド人男性に提案しているように映る。しかし、この理想像が依然として男性にとって都合の良いものであることは否めない。この矛盾に気づくのは筆者だけではないだろう。
美しすぎるインド人ママの行動力、見習いたい。
インド社会の抱える問題が垣間見える作品
私はインドに行ったことも、インドの友人がいるワケでもありません。
単に本作を見た範囲での印象です。
主人公は英語が出来ないことで、娘から「軽く」扱われる。
主人公の家というか夫は裕福そうだ。で、作中のセリフでも「一目惚れ」で主人公と結婚。つまり主人公は裕福な階級ではないのだろう。
で、子どもたちには高い教育を受けさせており、それは「英語」が基本なのだろう(だから教師はヒンディー語が苦手)
つまり、乱暴な区別をすれば、英語の可否で階級の上下の基準となっている、ということ。
富裕層の意識がある娘にとって、英語の出来ない、つまり「下級の」母親は「恥ずかしい」存在、と。
さらに夫からは、「お菓子を作っていればいい」という「褒め言葉」のつもりでも、「それしか取り柄のない女」扱いされ凹む。
(米国ヒラリー夫人が大統領選挙時に、「クッキーを焼いてる女じゃない」旨の発言をして顰蹙を買ったことを思い出す)
これは、単に英語を学ぶ機会が無かったのか、それとも(女子教育の軽視など)「あえて」その機会を作らなかった可能性もある。
(女子教育の軽視は、日本でもしばしば問題にされる)
本作は、英語を勉強し、自信を取り戻すロードムービーとも言える。
(複数の公用語があるインドならでは、とも思うが、例えば日本でも、方言のキツい地域では、標準語が使える子どもから見て、キツい方言しか使えない親、祖父母を恥ずかしく、疎ましく思えたりするのではないだろうか?)
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