砂上の法廷のレビュー・感想・評価
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法学部生必見のアメリカの法廷事情
清水 純子
アメリカ映画が得意とするジャンルの一つに「法廷もの」がある。
「法廷もの」は、裁判や司法の仕組みを主題に描いた映画で、「法廷劇」もしくは「リーガル・サスペンス」と呼ばれる。
舞台の中心は、裁判所や法廷に置かれ、その審理過程に従って関連する事柄の真相や人間ドラマが展開される。
弁護士、検事、陪審員、被告人が主人公に据えられ、サスペンスやミステリーの要素を含むものが多く、最後に驚くような事実が明かされることがある。
「法廷もの」は、インテリ観客の趣向にかなう問題作が多い。
『情婦』『12人の怒れる男』『私は告白する』『アラバマ物語』『評決』に始まって『ザ・ファーム 法律事務所』『理由』『依頼人』『ペリカン文書』『ニューオルリンズ・トライアル』、そしてオーストラリアのTVドラマ『過失』(The Gross Misconduct 1993) に至るまで名作揃いである。
法廷ものは、関係者以外が見てもはらはらどきどきさせるサスペンスの魅力にあふれているが、それに加えて、映画でお勉強して賢くなった気分にさせてくれるので知的好奇心の満足にもなる。
法曹界を舞台にしたサスペンスであるために、法律専攻の学生の間で楽しんで学べる教材としてとりわけ人気が高い。
「法廷もの」の威力を思い知ったのは、法学部の大学生向けの英語の授業においてである。
『ダブル・ジョバディー』の途中でベルが鳴り中断したら、教室全体から一斉に不満の大ブーイングが沸き起こり、たじろいだことがある。
授業アンケートには、「おもしろい映画によって法律と英語の勉強への意欲が高まったのでもっと見たい、これからは自分でも!」と書いてあった。
『砂上の法廷』もその系列に連なる法学部生必見の傑作リーガル・サスペンスである。
『砂上の法廷』の原題は「すべての真実」である。
原題と邦題を合わせて考えると、この映画の言わんとすることの一部が推察される。
「すべての真実」が、見かけはりっぱであるが、砂の上に築いた楼閣のように基礎が崩れやすく、もろい地盤としての法廷の上にのって裁かれた、という意味にとれる。
つまり、法廷が下した判決は、真実に基づかない虚偽によってなされ、その結果、法廷は砂上の楼閣としての機能しか持たないと解釈できる。
アメリカの伝統的法廷では、証言台に立つ者に聖書の上に手を乗せて「真実のみ語る」ことを宣誓させる。
信仰に篤い人々の集まりとは言いきれない日本人は、聖書に誓うことに何の拘束力があるのか?と思うが、幼い頃からキリスト教の教育を受けてきたアメリカの多くの人々にとっては事情が違うのである。
神聖なる聖書に誓ったら、アメリカの人々は嘘をつかないし、つけないとずっと長い間、思われてきた。
しかし、『砂上の法廷』を見るかぎり、最近はそうでもなくなったようである。
どの宗教も「嘘」を厳しく戒めるが、キリスト教の教えの元になった「モーゼの十戒」にも「偽証するな」という項目がある。
しかし、『砂上の法廷』の証言台に立った人々は、ある目的、自己保身と利益のために、全員が嘘をつく。
その理由が常に利己的であるとはかぎらないし、深い思いやりからの場合もあるが、ともかく「偽証する」。
弁護士ラムゼイもそのことをよく見抜いて、「人は証言台に立つと、皆それぞれ嘘をつく」と言う。
そのために嘘を見抜く名人の敏腕女性弁護士ジャネル・ブレイディを助手に雇う。
忘れてならないことは、ラムゼイ自身が「証人は嘘をつく、そして僕も・・・」と言っていることである。弁護士には作戦、
時には策略が必要である。バカ正直であっては弁護士はつとまらない、仕事のテクニックの上での事実隠蔽も時と場合によってはしかたがないととれるが・・・
『砂上の法廷』は、大物弁護士ブーン・ラシターが、優秀な高校生の息子マイクに刺殺される。
父のラシターと母ロレッタ最近仲が悪く、父は母を虐待していたらしく、マイクの父への敵意が動機とされた。
有罪間違いなしとされたマイクの弁護は、ラシター家に出入りする弁護士ラムゼイが引き受ける。
ラシター弁護士殺害の真犯人は誰なのか? このリストの中の誰なのか?
本当に息子マイクの犯行なのか? それとも他に犯人はいるのか? 殺害の動機は何なのか?
最後にアッと驚く結末が用意されている。証言の反転、そしてまたその証言には裏の事実あり・・・。
『J.シミズの映画レビュー』より
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