オマールの壁のレビュー・感想・評価
全17件を表示
相手の最も嫌がることをやるのが戦争・紛争
カナダの監督、ドゥニ・ヴィルヌーヴの『灼熱の魂』という中東レバノンでの抵抗と復讐の優れた作品に底通した、同じ中東の紛争地パレスチナの抵抗運動をベースに、若い命の純愛が描かれ心を揺さぶられる作品だ。
思いを馳せる女性に会う為に、高さ8Mというコンクリートの壁をロープをたぐって登る、若さと体力がいる物理的困難の上に、見つかれば機銃掃射にみまわれ、向こうへ行っても抵抗運動の派閥があって気が遠くなる障害があるからこそ募る思いは燃え上がる。
もう一つの壁は、
戦争や紛争は相手の最も嫌がることを、これでもかと言わんばかりに突いてくる人間の醜悪な面が出て来る。親子を引き裂き、若い男女の仲をめちゃくちゃにすることなど朝飯前なのだ。
しかし、恋は誰にも止められない。「ラ・ラ・ランド」の様な“永遠の恋がなんと!”というのもあるが、ロミオさまの様に妨害がひどいからこそ燃える炎もある。
オマール~!
いやはや緊張感のある映画
拷問怖い!私だったらすぐ名前いっちゃう…
オマール~せっかく人間に生まれたんだから、好きな人と幸せに暮らせる道選んでー危ないことしないで!
とハラハラしっぱなし
アムシャド!友達ないがしろにしてこのバカすけが!とテレビに言いまくりの自分でした
終わりかたが…オマール…
犠牲愛
最近観た中で一番心を打たれた映画。懸命に生きているオマール( Adam Bakri)のせつない犠牲的愛の物語。こんなこと私には到底できないわと一言言いたくなるような映画。
2013年ごろ彼らはウエストバンクのパレスチナ自治区ヘブロンHebronで生きていくしかない。現在もイスラエルとのパレスチナの領土問題は現在も終わることなく続き、ますます米国の援助によってイスラエル入植地が拡大している。
ウエストバンクHebron というなかにいるパレスチナ人たちはこの中にいるだけで、どこにも行けない。海は遠くないのに見たこともないらしい。そこに、『ニュージーランドに査証をとって行く』と。他の人はどこがニュージーランドかもしれないとも。明るくポジティブなオマール(Adam Bakri)はガールフレンド(トレックの妹)の家に行くのにもパレスチナの地域と地域を隔てる巨大な壁(Oalandia Wall?)があるから、それを乗り越えなければいけないようになっている。乗り越える時、ユダヤ兵士に見つかれば機関銃で撃たれる。それに、イスラエル兵にパワハラされて、誰だっていつか仕返しをしてやりたくなると思う。
ガールフレンドのナディア(Leem Lubany)との愛を育みパン屋でピタブレッドを焼いてお金を貯めている。結婚して、部屋のここにテレビを置いてなどと二人の夢は膨らむ。パリに行ってみることも考えているが、それはただの夢だということを二人は百も承知だ。なぜなら、彼らはHebronハーブロンを一歩も出ることができないのだから。一瞬でも彼らに夢を持たせてあげたくなる。この望みがあってもどうすることもできないジレンマに置かれているんだから。
この映画のストーリーを説明するよりオマールについて書きたい。アダムは新人俳優だったらしいが、かっこいいし体力のあるニュヨークの俳優だ。多分あの壁を登って、細い路地を走り抜けているのはスタントじゃなくて彼じゃないかと想像する。壁は彼の希望でもあり(ナディアが壁の向こうにいる)障害でもある。彼の行動の好きなところはナディアと結婚するため一生懸命働き金を貯めているところで、その金がナディアのためになるなら自分の利益に結びつかなくても使う。(他愛の精神)
あれだけ懸命にナディアとの生活を夢見て貯めたそのお金を幼馴染、Amjad とナディアの結婚資金
のためにそれを差し出す。ナディアが妊娠しているから兄のトレックが承知していると言って二人を結婚させる。それに、裏切り者で嘘つきの幼馴染(Amjad)をイスラエル側に売らなかった。ユダヤ兵を殺したのはAmjadなのに。
オマールはイスラエル軍側とハーボン町の縄張りの両方と接触したが、自分のグループの人たちをうらぎらなかったしうらなかった。自分を捨てても、ナディアの生活をまもってあげるということ遂行した。結婚できなかったけど、これが彼女にあげられる愛だから。自分の仲間を裏切らなかったということはいい仲介者だったともいえると思う。でもこのことを知っているのはオマール本人だけだった。
最後にナディアはAmjadと結婚してもオマールと交換した愛の詩をまだ持っているとわかり、きっとオマールは彼女はまだ自分のことを愛していると思ったにちがいない。一緒になれないけど、これらの手紙(詩)をもっているとわかっただけでかれは幸せになった。そのあと、彼女に対する愛がまた強くなったと思う。
パレスチナに自由を。これ以上彼らの生活を苦しめるな。
日本に生まれて良かった…
あんな日常で暮らし、恋愛もするパレスチナ。同じ時代に生まれながら、日本は幸せなものである。そりゃ平和ボケもするよね。
でも現実から目を背けてはいけないし、映画を通してだけでも世界に目を向けていたい。
自分を犠牲に儚い恋物語と社会情勢
序盤の雰囲気はフランス映画の「憎しみ」を思わせる感じで全体を通して飽きずに観れた。
オマールを突き動かさせる様々な行動は徐々に自分の為では無くなりラストの腹を括った場面は何とも溜め息が。
仲間との遣り取りに儚い恋愛と微笑ましく笑えるシーンもあり反対に追われるスリリングさに刑務所のシリアスな場面と様々なジャンルが含まれている。
オマール役の俳優が「トレインスポッティング」のレントンや「憎しみ」のV・カッセルを彷彿とさせるインパクトで今後も期待。
ビトー・コルレオーネのモノマネは笑える。
角砂糖を握ったお猿さん
カインとアベルでしたか?。人が人を傷つける話のルーツは。旧約でも新約でも、構いませんが、人は神と、どんな契約交わしたんですかね。技術は進化しても、私達は未だに、゙角砂糖を握ったお猿さん"です。憎悪で憎悪を消せないことを認識できるのに、実行できずに、21世紀です。人を傷つけるのに、拳もナイフも不要です。電話1本で、事足ります。大切な人の為ならね。パレスチナを密告社会に変えたイスラエルのおじさんにも、大切な家族がいます。お子さんのお迎え、どうなったんですかね。彼もまた、傷つけ傷つけられる輪廻を巡っただけのこと。恩讐の彼方にあるのは、パラダイスか、壁なのか、いつか知ることができると、いいですね。
友情も愛情も分断する高い壁
最初は「バーバリアンズ」と同じ感じかな?と思っていたのだけれど、この作品はもっとパーソナルというか。オマールの行動から、抑圧された街で暮らすことが、いかに友情や愛情を破壊してしまうのかが、ありありと伝わってきます。
最低でもこの「分離壁」とはなんぞやぐらいは頭に入れてから観たほうがよいでしょう。
余談ですが、、主役を演じたAdam Bakri、来日したときは髪を伸ばしていたみたいですが、あれぐらい凛々しい精悍な顔は、やっぱり短髪が似合います(笑)。
パレスチナの現状を知らなけばいけないのかもしれない。
パレスチナの歴史、イスラエルの地理や政情をしっかり把握していなければ、この映画を良さ、素晴らしさを感じることは無理。主役のオマールが「分離壁」を乗り越える場面は圧巻。
オマール、タレク、アムジャドこの3人は幼馴染。映画を見ていく
うち、スパイは誰かが察しがつく筈とは思われる。オマールは何度も拷問での顔が血だらけグチャグチャになっているが、なぜか数日経つともとの綺麗な状態に戻っている。誰が裏切っているのかそうでないのか?
この国で、民族の本当の幸福を手にするのは、まだまだ遠い道のりでであろう。最後、オマールが壁を乗り越えられない場面、エンドロールは、全く音楽がなく無音の状態で幕を閉じたのは、今現在、パレスチナでは何が起きているのか、現状(政情 等)がどのようなものか考えさせられる。
壁
パレスチナ問題の現実を描きつつ友情、恋愛、生活観を配してシリアス一辺倒になり「過ぎ」ない感じが良かった。(主人公側から見ての)敵との駆け引きはスリリングで、捕縛、開放を経ての心理の変化は繊細。目の前の「壁」と心理的な「壁」。
思い込みは、いけない!!コミュニケーションを密にして、事実の確認を!!
自分の人生の幸福が、友人、知人のみならず、他人への嘘や裏切りの上に成り立つハズがない!!
誠実であれ!!そして、思い込みはいけません。何が『真実』『事実』なのか、コミュニケーションを密にして、確かめるべし!!
嘘と裏切りの世界で青春は砕け散る
パン職人の青年オマール(アダム・バクリ)。
彼は、パレスチナ自治区内に高くそびえる壁を乗り越えていく。
壁の向こうには、兄のように敬愛するタレク(エヤド・ホーラーニ )と彼の妹ナディア(リーム・ルバニ)が暮らしている。
タレクはハマスの一員で、幼馴染のオマールとアムジャッド(サメール・ビシャラット)とともにイスラエル軍に対する襲撃計画を立てていた。
オマールはナディアに恋していた。
アムジャッドもまたナディアに恋していた。
そして、イスラエル軍襲撃の数日後、オマールはイスラエルの秘密警察に捕えられてしまう・・・というハナシ。
映画は、自由などほとんどないパレスチナでの生活を写していくが、襲撃事件ののちはほとんどサスペンス映画の様相を呈していきます。
収監されたオマールはイスラエル警察の罠にはまり、懲役90年の刑か、それとも警察の協力者になるかを迫られ、ついには協力者の道を選んでしまう。
それは、嘘と裏切りの渦巻く世界に足を踏み入れることとなり、ナディアへの愛情を全うすることが困難な状況となってしまう。
あれれ、なんだかこんな映画は過去にたくさん観たような・・・そんな思いが募ってくる。
第二次大戦下の戦争映画、冷戦下のスパイ映画、それらのジャンル映画とあまり変わらない。
しかし、そんな世界がいまだ世界のあちこちにあるということだ。
この現実は重い。
しかし、映画単体として観て、この映画、どうなんだろうか。
やっぱりジャンル映画にみえてしまう。
この映画、新世界国際劇場や今はなき新橋文化劇場の2本立て・3本立ての1本として紛れ込んでいても不思議はない。
だからジャンル映画であることが悪いというわけではなく、多くのひとに接する機会が増えるためにはジャンル映画であることが重要なのかもしれない。
それでも・・・
もう少しパレスチナ人の生活描写がほしかった。
ここいらあたりが残念。
全17件を表示