「本質の破壊」キカイダー REBOOT ドラゴンさんの映画レビュー(感想・評価)
本質の破壊
私は、直撃世代である。日本では特撮映画に出資してくれる企業が少ない状況も理解している。なので、リメイクについては歓迎したい考えだった。少々の改変はやむを得ないとも思う。しかし、少なくとも、原作漫画をちゃんと読んだ人間なら、あんな内容にはしなかったと思うのだ。
まず、2年費やしたという脚本だが、そんな苦難の痕跡は、どこにも見出せなかった。実に予定調和な、浅い内容。たかが子供二人を誘拐するために、テロリストのアジトでも襲撃するかのような特殊部隊を派遣したり、ジローには通用しないとわかった後にも(マサル達に当たったら怪我をさせるだけで無意味な)拳銃を使い続けたり、マリによってジローを倒したのだから今更なんのために自分をハカイダーに改造したのか意味不明なギルの目的とか、ツッコミ所は満載なのだが、まぁそれは良しとしよう。映画的な見せ場も必要だろうし、例え必要がなくとも、ハカイダーを登場させたかった大人の事情がわからない歳でもない。
しかし!良心回路の扱いだけは許せん!映画では、最後のハカイダーとの戦いで、ジローは戦いに勝利するために、自分の良心回路を破壊してしまった。さも自己犠牲のような描き方だったが、ギルも指摘していた通り、あれでは思想的には敗北だ。オリジナルにおいて、ジローは、自分のアイデンティティとして、良心回路を何より大事にしていた。これを失ったら、自分は冷蔵庫と同じ存在になることが解っていたからだ。漫画においては、ハカイダーに捕獲されたジローは悪の心とも言うべき服従回路をセットされてしまい、悪の心と良心との狭間で、これまでより遥かに苦悩に満ちた生き方が待っていることを示唆して終わった。つまり最も大切な心を穢された悲しみがあったのだが、自分で壊したのでは意味が全く変わってしまう。
更に漫画では、良心に縛られることの無くなったジローは、装備されていることは知りながら、敵を気遣って使用しなかった破壊兵器によって、冷たく一瞬でハカイダーを殺してしまう。が、映画ではさして強くなりもせず、散々どつきあった挙句の自爆のような相打ち。これではダメなのだ。「その気」になりさえすれば、マリやハカイダーも一瞬に破壊できる程、実は圧倒的に強かった...これがあって、初めて光明寺博士の思想が生きるのだ。最も大切なものは、自制心であり、強さだけを求めては破滅が待っている。これがオリジナルの思想であったのに、冷蔵庫がテロリストを潰して終わったのではテーマ不在である。
この映画では、観た後に何も残らず、主人公としては弱すぎることもあって爽快感もなく、間違いなく失敗。かつての雨宮監督のハカイダーを主役にした映画の方が「歪んだ正義」という難しいテーマを扱った分、評価できる。いや、本当に、こういったリメイク特撮を否定したくはないのよ。出来れば、他作品にも発展していって欲しいし。でも、当時ハマった、今でも大切な作品の、本当にコアの部分だけに、製作陣にはもう少し、オリジナルの思想を大事にして欲しかった。なんだが、幼い頃の初恋の女の子を侮辱されたみたいで、黙ってられなくなったんです。長くなってすみませんでした。