海難1890のレビュー・感想・評価
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テヘラン空港からの避難が
嬉しくてウルっと来てしまった。
トルコの教科書にも載ってるらしい。
よそ者を受け入れるのは怖いし不気味だし、心を通わせるのは難しい。
少しでも世界のみんなが理解し合えるとイイ世の中になるかなぁ。
東京五輪に期待したいです^_^
善意の心
【日本人として生まれた事を誇れる映画。先人の豊かな人間性に対し、現在の日本はどうだろうか・・。】
- 日本とトルコの友好関係の礎となったエルトゥールル号遭難事件を題材に、日本・トルコ合作で映画化したヒューマンドラマ
当時の日本人の無垢な、忖度を度外視した人としての行動・言動に感動し、落涙した作品である。-
<2015年12月7日 映画館にて鑑賞>
日本人にもっと知って欲しい
日本🇯🇵とトルコ🇹🇷の物語
感動しました! 素晴らしかったです!
この映画は トルコ がいかにして親日国になっていったのか実話を基に描かれた物語です。
日本とトルコが遠い昔から繋がりや関わりがあったことは最近知り、その流れでこの映画を観てみました。
本作は2つ大きく分けて、エルトゥールル号遭難事件、1985年のイラク戦争でテヘランに取り残された日本人救出 を中心に描かれています。
とにかく映像が綺麗で、表現も上手かった。
トルコ人俳優や、特に日本人女優 忽那汐里さんの演技、少しだけのロマンチックな部分も良かったです。
老若男女問わず、日本人の皆さんには是非一度 観て頂きたいです。
この映画のおかげでトルコに対して更に興味や関心を持つようになりました。
いつかトルコに行きたいです。
そして他の親日国・友好国・同盟国も含めて、日本とトルコの良好な関係も末永く続いていってほしいです。
歴史は繰り返す、何度でも…。
トルコと日本の絆なの物語。
1890年に難破したトルコの船…。
和歌山県の大島に流れ着く中で、たくさんの乗組員が海へ投げ出されました。
そのトルコ人を助けたのが、大島の村民の日本人たち。
困っている人がいたら、助けるのが当たり前という言葉を発し、69名ものトルコ人の命を救ったことに感動しました。
また、同じ日本人として誇らしい気持ちになりました。
あれから100年余りたった1985年。
戦争が激化するイラクを脱出しようと多くの日本人が空港に駆け寄りますが、日本からの飛行機は危険だという理由で一機も飛ばない事態に…。
このままでは、日本人だけが取り残されてしまうという危機的状況に、トルコの首相が救出機を出してくれます。
あの時助けれくれた日本人を、今度は自分たちが助ける番だと言ってくれた首相の発言に感動…。
100年経っても、日本人を助けてくれたトルコに感謝です。
多分ですが、トルコではあの海難事故を学校の授業などで、先生が子供達に伝承しているのではないでしょうか?
日本人に助けられたという気持ちが子供の頃から残っていたからこそ、イラク戦争での救出劇に結びついたのだと思います。
現在も姉妹国のトルコと日本。
これから先もずっと仲良く同盟国として歩んで欲しいですね。
題材は良いのが…。
トルコありがとう
日出る国と月昇る国の物語
映画「海難1890」(田中光敏監督)から。
冒頭、こんなフレーズで始まる。「1889年(明治22年)7月
日出る国と月昇る国の物語は、この小さな島で始まった」
題材となった「日本とトルコの友好関係」を考えると、
これはキーワードになるな、とメモしたが、
なかなかその言葉の意味が理解できなかった。
しかし、両国の国旗を眺めて、なるほど・・と納得をした。
国旗のマークが「日本は太陽」「トルコは三日月」。
この映画で、私は「トルコ」という国が好きになってしまった。
特に、私たちの記憶に新しい「1985年、イラン・イラク戦争」の時、
日本政府でも危険だと、救援機を送らなかったのに、
トルコ政府は、95年前に自国の民が日本国民に助けられたから、と
自分たちの危険を省みず、日本人215人を助けてくれた。
あの救出劇から約30年、もし同じようなことが起きたら、
現代の日本人は、困っているトルコ人に手を差し伸べられるだろうか。
最後に、こんな台詞もある。「人びとの真心が国を動かす」
そして、自国民より、他国(日本人)を助けなさい、と命じたトップに
「国民からの電話が鳴りやみません。この救出劇を誇りに思うと。
非難はひとつもありません」の報告がされる。
その報告を受けたトップが胸を張って、こう言う。
「そうか、私はそう言ってくれる国民を誇りに思う」と。
映画とわかっていても、カッコいいなぁ、この国のトップは。
知らなかった!
こういう決断できるって、人間として憧れる
近くの親戚より遠くの他人!?
親日国トルコがなぜ親日になったのかを明らかにしてくれる。
海難事故で座礁沈没したトルコ船の乗組員救出が前半、後半は私も覚えているイラン・イラク戦争勃発時の在日本人救出が後半。
このときは何故、日本の自衛隊が救出にいけないのか歯がゆい思いをした記憶がある。
映画はオーソドックスな造り。
トルコの方々に感謝
極めて良作
1890 年に明治天皇に返礼に訪れたトルコの軍艦エルトゥールル号が,帰路和歌山沖で遭難し,地元の串本町の住民によって乗組員の約 1/10 が救出された事件と,その 95 年後のイラン・イラク戦争勃発時のテヘランで,300 人ほどの日本人が取り残されたのをトルコ航空機が救出してくれた事件を繋いで1本の映画にしたものである。映画の冒頭,トルコのエルドアン大統領の挨拶が入っている日本とトルコの合作映画で,トルコはこの映画に 20 億円も出資してくれているらしい。(T^T)ゞ
エルトゥールル号の話は,日本とトルコの絆の元となった話として,トルコでは日本のことに触れる度にこの話が持ち出され,国民の3割ほどが常識的に知るほどの話であるのに対し,我が国では最近こそ小中学校の一部の教科書に掲載されるなど,比較的認知度が上がって来たものの,私がこの話を知った 30 年以上前は,現在ソープランドという名称で呼ばれている風俗店を日本では「トルコ風呂」などと呼んでいた時期であり,その認知度の低さは目を覆うばかりであった。トルコは長年ロシアとの戦闘を繰り返して来た歴史を持ち,日露戦争で日本海軍がバルチック艦隊を壊滅させた時には,我が子に「トーゴー」と名付ける国民が続出したほどの親日国であるが,それに対して我が国はトルコ風呂などという名称で応えていたのである。あまりに失礼だということで,東大に留学して来たトルコ人学生の提唱で名称変更が行われたのは 1984 年のことで,イラン・イラク戦争勃発の前年のことであった。
一方,イラン・イラク戦争当時のイランへは日本からの直行便はなく,救出機を送らなかった日航がかなり悪者にされていたが,やむを得ないのではなかったかと思う。むしろ,糾弾されるべきなのは自衛隊機を送るのに国会承認が要るという現憲法の方である。集団的自衛権が行使できる安保法案を安倍内閣が立案して成立させたことによって,こうした事態に自衛隊機を速やかに派遣できるようになったのは,つい最近であったことを忘れてはならない。当時のトルコの首相に救出機の派遣を打診したのは,伊藤忠商事の社員の依頼によるものであったらしいのだが,残念ながらそれには触れられていなかった。だが,このパートのシーンの多くは非常に胸を打つもので,何度も目から汗が流れてしまって困った。
映像は,実に素晴らしかった。特に,遭難のシーンは非常に見応えがあったが,CG ではなく実写がほとんどだと聞いて驚嘆させられた。脚本が一番の不安であったが,「うん地人」や「利休にたずねよ」の愚作を書いた同じ人とは思えないほど出来がよく,心を入れ替えたのかと思えるほど破綻がなかったので安心した。教科書通りのような話の流れで,サプライズと言ったものが全くないのがやや不満とも言えるが,余計なエピソードを入れられるよりは数万倍も良かったのではないかと思う。
役者はいずれも好演と言えたが,特に内野聖陽と忽那汐里の英語の発音が完璧だったのには感心させられた。また,夏川結衣の妖婉さは流石だと思わせられた。トルコ人俳優の好演も素晴らしいもので,一人一人のクルーの熱演には目頭を熱くさせられた。音楽の大島ミチルは,起伏の大きいこのドラマに負けていない力のある曲を書いていた。特に海難シーンと,テヘランでの戦乱シーンの音楽は特筆ものであった。
この監督は,「火天の城」で原作の価値を根本から損ねるような改竄を行い,「利休にたずねよ」で茶道が朝鮮由来という捏造を行った許し難い人物であるが,今作では脚本家同様にかなりマトモになっていた。日土合作ということで,ある程度の制約があったためかも知れない。救出した乗組員を人肌で暖めるシーンなどは,イスラム国であるトルコでの上映を前提にして女性の肌の露出が極めて少なかったのもその一端であろう。生き残ったトルコ人乗組員を2隻の日本軍艦で送り届けたときの日本人クルーの中に,後の日露戦争で東郷平八郎司令長官を補佐してバルチック艦隊を壊滅させる作戦を立てた参謀の秋山真之がいたのだが,触れられていなかったのは残念だった。いつもの日本映画と違って,最後に安っぽい歌謡曲が流れなかったのは良かった。なお,エンドロールが始まっても,すぐに席を立たないことをお薦めする。
(映像5+脚本4+役者5+音楽5+演出4)×4= 92 点
いい映画
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