紙の月 : インタビュー
宮沢りえが選んだ、果てなき道を突き進む旅
「約束されていない場所に向かっている感覚」――。宮沢りえは、「紙の月」の撮影の日々をそんな言葉で振り返った。吉田大八監督によって目指すべき“ゴール”ははっきりと提示されていた。だが、本当にそこにたどり着けるのか。不安とプレッシャーを抱きつつ、確証のないままに、それでも道なき道を進んだ。(取材・文・写真/黒豆直樹)
「八日目の蝉」の直木賞作家・角田光代の小説を「桐島、部活やめるってよ」の吉田監督が映画化。銀行の契約社員であり地味で平凡な妻であった主人公が、巨額の横領に手を染めおちていく姿、その過程で不思議と輝きと美しさを増していくさまを描く。
「オリヲン座からの招待状」以来、7年ぶりの主演映画。もちろんその間、何もしていなかったわけではない。正確に言えばこの10年――野田秀樹演出の舞台「透明人間の蒸気」に出演し、宮沢自身の言葉を借りるなら「そこで自分の無力さを知って」以来、舞台を主戦場に戦ってきた。
「自分に足りないものを知って、それを埋めていく作業――この10年は芝居の“筋力”を上げていく時間だったと思います」。その前年(2003年)の春に発表された日本アカデミー賞で、29歳(当時)にして最優秀主演女優賞(「たそがれ清兵衛」)に輝いた女優が、舞台の上で己の無力さに打ちひしがれたというのだから、ただごとではない。
「阿部サダヲさんをはじめ、舞台で活躍されている方がいっぱいいらして、みなさん、ゼロから想像力を膨らませて毎日、新しいことにトライしているんです。そこで自分の引き出しの足りなさを痛感しました。いま、10年経ってやっとできるようになったのは『力を抜く』ということですね。あの時、新国立劇場の舞台の一番奥から50メートルくらいを走って登場したんですが、一生懸命走って、一生懸命立っていました(笑)。ようやくいま、全身の力を抜いて立っていられるようになったのかな」。
もう少しだけ、時計の針を10年前に戻したまま、話を続けたい。それは女優・宮沢りえの“いま”を語る道しるべになるはずだ。そもそも宮沢が野田の舞台で転機と言えるものをつかんだのは、決して偶然ではない。
「自分の中で30歳の時に、“10年後”へのビジョンを持っていたことは確かですね。10年後の自分を想像して、どうありたいかという漠然とした目標を掲げ、そのために何が出来るか? そこにたどり着くのに何をすべきか? というのは考えていましたね。その中で自分が考えていた以上に、作品との出合い、演出家の方々との濃密な時間が自分の中で生かされたと思います。30歳の時、舞台に立ったあの瞬間にパッと目が開いて『もっと見たい。もっとこの世界を感じたい』と思ったんです」。
その後、数々の野田作品や蜷川幸雄の舞台で凛とした輝きを見せてきたのは周知のこと。三谷幸喜の舞台「おのれナポレオン」では、天海祐希の心筋梗塞による降板に伴い、わずか2日の稽古を経て、完璧に代役を務め上げたのも記憶に新しい。そして昨年、40歳を迎え、自分の中で映画への思いが高まっていくのに気付いた。
「まだまだ演劇の世界でやりたいこと、やらねばならないことはあります。でも、30歳の時に掲げていた目標に近づくことはできた手応えも感じていて、さらに40歳から50歳への10年を考えた時、映画と舞台をバランスよくやっていきたいという気持ちが芽生えたんです」。
そんなタイミングでちょうど、宮沢の元に舞い込んできたのがこの「紙の月」のオファーだった。
「それまでも映画の話はいただいていたんですが、やはり自分の気持ちが切り替わったこのタイミングが大きかったです。と同時に届いた台本が“光”を放っているのをどこかで感じていました。読んでみて『これは手強いぞ』と思ったし、正直に言えばこれまでに『手強い』と感じてお断りしてきた仕事もありました。でも、この10年できっと『そこに挑戦してみたい』と思える力をも蓄えてきたんでしょうね。手強いものこそいま、やるべきだと思えたし、吉田大八監督と聞いてこれは飛びこむしかないぞ! と思いました」。
何よりも腐心したのは、スクリーンに映る2時間と少しの時間の中で、おちるほどに、破滅に近づくほどに魅力を増し、同時に見る者の心を抉っていく梨花の変化。「梨花が理性とか常識とか日常という名の鎧を剥いでいく――その気持ちの変化・鎖をちゃんとつなげておくこと。もちろん、吉田監督が編集の段階でその鎖を外したりつなげ直したりするんですが、そのためにきちんとその鎖を持ち続けることが私の役割でした」。
その梨花という名の鎖の最初の一片をつかんだ瞬間は? 宮沢は少しだけ思案した後、こんな答えを口にした。「お芝居って嘘の世界なんですよね。その“嘘の器”を“本当”でいっぱいにしたい。嘘という名の器に、もうこれ以上注げないくらい本当を注ぎたいと本番中、ずっと思ってます。でも今回、その器が並々とあふれそうになった瞬間は、意外と最初の頃にあった気がします。覚悟を持って撮影に入って、監督に『よーい、スタート!』と言われた瞬間には既に、梨花という人をつかんでいたんじゃないでしょうか」。
「約束されていなかった場所」に宮沢はたどり着いた。「映画という神秘的な世界に生きることが出来て幸せでしたし、吉田監督と出会い、クリエイティブな毎日を重ねたことで、私にとっても大好きな作品になりましたし、宝物が1個増えました」と笑顔を見せる。
これからの10年、宮沢りえはどんな姿を見せてくれるのか。10年先を見据える冷静な視点、情熱と衝動の赴くままに体を反応させる直感が体中に同居し、せめぎ合っているようにも見える。「確かに(笑)。作品を選ぶときはいつも直感を大事にしています。ただ、舞い込んで来た作品に直感的に飛び込むのも大切ですが、これから50歳に向かう10年で、自分の方から『こういうものをやってみたい』と思えることをゼロから作っていくことへの興味がわいています」。
成功も、完成も約束されていない場所へ、旅はさらに続く。