複製された男のレビュー・感想・評価
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答え合わせは必要か?
この映画見た人のどのくらいの人が、
この話を即座に理解できたのだろうか。
自分にはちんぷんかんぷんでした。
すぐにいろんなネタバレブログを探しました。
ネタバレブログを経てようやく分かった映画の意味。
そこからやっと面白さが分かった訳です。
ネタバレというか、これは自分で意味を考える映画なので、
ここで述べる内容は自分の解釈です。
この話は現実を妄想に置き換えた話。
複製されたのは自分自身で、アダムなのかアンソニーなのか、
最終的にはアダムが残るから、妄想はアンソニーか。
アンソニーという遊び人な自分の妄想を殺して、
身重の妻ヘレンと真っ当に生きようとしたが、
エロ秘密クラブ(冒頭シーン)の招待が来て、
やっぱり快楽でしょ→冒頭シーンへループ、
最後は妻が蜘蛛になる。
秘密クラブの蜘蛛を踏み潰すシーンは、
「妻は身重なんだから遊んじゃおうぜ!」
という遊び人であるもう一人の自分の願望。
「結局人間は快楽に支配される」とか講義で言うのは、
自分の中の葛藤の表れ。
こう書いても完全に理解できてるかどうか怪しい。
まあ映画なんて解釈は人それぞれ。
その意味では、誰かと語り合いたくなる映画でした。
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自宅にて鑑賞。スペインとカナダの合作で原題"Enemy"。おおよそ内容を反映していない邦題。序盤から不穏なBGMが流れ続ける。D.リンチがよく引き合いに出される一作だが、もっとドライで都会的な雰囲気を持ち親しみ易い印象。工事中の鉄骨を含めた靄がかった都会の風景が佳い。流線型の思わせ振りな給水塔の造形も作為的。蜘蛛のモチーフに対して、クライマックスでの事故後にアップになる放射線状のガラスが恣意的乍ら佳い。一言で「謎」、「意味不明」と切り捨てる事も出来るのだろうが、テイストや画面等、嫌いじゃない。70/100点。
・冒頭のタイトルコール時、J.サラマーゴの原作からの引用"Chaos is order yet undeciphered."が本作を暗示・牽引する。
・当初、“アンソニー”・“アダム”役はJ.バルデムにオファーされたが、テストの段階で不適格となり、その後、C.ベイルにもオファーされたがこちらもスケジュールが合わず、最終的に監督の推すJ.ギレンホールに落ち着いた。
・“アンソニー”と“アダム”を演じたJ.ギレンホールは、同じシーンで二役を演じ分ける際、テニスボールと棒を相手に見立てて演技したらしい。
・きっかけとなる劇中作『道は開かれる "Where There's a Will, There's a Way"』は監督の高校時代の英語教師がよく口にした教訓から採られていると云う。亦、その中でクレジットされており、“アダム”が検索する"bellhops #1"、"bellhops #2"の"Fraser Ash"と"Kevin Krikst"は本作のアソシエイト・プロデューサーである。
・街中を闊歩する異形のモノは、彫刻家L.ブルジョワの代表作で世界各国九箇所(その内の一つは六本木ヒルズ)に展示されている"Maman"からインスパイアされている。
・キャスト陣はクランクインに当たり、プレスを始めとした部外者にその役どころやプロットを口外しないと云う秘密保持の契約を締結したと伝えられている。中でもユニークなのは、私見を含め本作の中で蜘蛛が暗示するモノやその意味を口にする事は厳しく禁じられたらしく、それだけ本作にとって蜘蛛と云うモチーフは大切に扱われた。
・鑑賞日:2017年6月10日(土)
自分の敵は自分
出ました、全編宗教的メタファー映画。アメリカ好きですよねぇ。
人類史上初めてパパに反抗した男アダムと、縁結びや子宝に霊験あらたかと噂の聖アントニオの葛藤、ってとこみたいですね。
空の色を見るに全部脳内描写なので、1人の男性の中で罪人と聖人が葛藤しているのだと思われます。ミニードライバーのプリズナーをやりたかったのかな?だとしたら足元にも及んでないと私は思います。どうだろう?
支配とか教育の抑制とか言論の弾圧とか、後から効いてくるのかと思ったらそうでも無かったのも残念。
性欲をコントロールできないなら、日本に来て自転車借りてしまなみ海道をツーリングしたらいいのに、って思いました。
シュワちゃんのシックスデイが見たくなりました。複製された男って言えばアレですよね。
月に囚われた男も好きだなー。
のぞき部屋
2度観たくなる作品
最初想像していたようなSF映画かと思ったがよくわからない終わり方をされて疑問しか残らない作品だった。
1度観ただけでは⁇しか残らず正直わけのわからない作品だったのだが、解説などを見るになるほどそういう事だったのかと理解、納得する事が出来た。
作品が想像していたジャンルとは違ったがこれはこれで面白かったし、2度観ることで伏線が見事に回収されるのだと思った。どんでん返し系の小説を読み終わった後のような気分になります。
ちょっとしたホラー?
初回鑑賞時→えっ終わり?いやいやエンドロール後にまだ続きがあるんで...
初回鑑賞時→えっ終わり?いやいやエンドロール後にまだ続きがあるんでしょ・・・終わった・・・
結局、巷の解説を読んで再度鑑賞。あらかじめ構えて見ると色々仕掛けに気づいて面白いタイプの映画。けど、これを1回だけで理解できる人ってどれくらいいるんだろう。数回鑑賞前提で作られているのだとしても、そうまでして監督の妄想に付き合うべきだろうか。
構造はあの有名な
構造は、あの有名な映画と同じなのかな?
難解な映画と聞いていたけど、話の構造は、『ファイトクラブ』と同じかな……と思う
タイトルが『複製された男』だと本当に同じ人物が2人ようにみえるが実は………
2人が直接会っている所に他の人はいない。母親との会話などが噛み合っていない。ヘレンとの会話の端々もおかしい。他にも気になる所がたくさんある。
俳優アンソニーは、大学講師アダムの願望であって決して2人いる訳ではない……と思う。
俳優をしていたがヘレンの妊娠により諦め大学講師をしていてメアリーは不倫相手だと思う。
俳優していた自分、不倫相手を捨てれない気持ちが実際にはいない自分を作り出した。
願望を捨て現実で生きる事にした様にみえるが実際は…………。
蜘蛛が話をややこしくしているのか
蜘蛛
どういうことー!?
最後の怪物の意味がわからん。
怪物はたまにも出てたしなぁ、意味があるんだろうけど。
彼女と俳優が死んでチャンチャンかと思ったのに。
しかし、一人二役だが、何故だか俳優の方はカッコ良く見えた。
それと!エレベーターの中での管理人との会話が意味不明。
何かよからぬ関係が二人の間にはあるみたいだけど、結局ハッキリせず。
ラストのカギもカギなんだろうけど…。
【二回目鑑賞】
よくわからなかったのでネットでネタバレ検索して再度鑑賞してみた。
同じ人間が二人存在するのではなく、同一人物なのを知って観ると面白かった。
どっちが本当なのかは結局よくわからないんだけど。
管理人とのやり取りも最初のシーンを頭に入れていたら理解出来ただろうに…いつもながら真剣に観ていない自分に反省。
よく観ていたらセリフにも付箋が貼られてるし。
最初は意味がわからず評価は★★★☆☆だが、★★★★☆に昇格。
タイトルなし(ネタバレ)
自分と同じ人間が存在する。その謎にどんな答えが待っているのかわからないまま物語は進行する。SF的なクローンの話なのか、自らが作り出した二重人格的な話なのか、二重人格であるならばどれが本体でどれが偽物なのか。はたまたどれもが本物、もしくはどれもが偽物なのか。最後まで明かされることはない。
唐突に現れる蜘蛛があまりにもSF的な奇怪さを放ち、その奇抜さゆえに蜘蛛は心理状態の異常性を表していることがわかる仕組みだが、女の束縛のメタファーになっているとのサイコロジカルな解釈は興味深いものがある。
最後のシーンの奇怪さはホラーとさえ言えるほどのインパクトを放ち、それまで見ていた全てが妄想なのではないかとさえ感じさせる悪い夢を見ていたかのような映画。カフカ的と言えば聞こえはいいが、そのカフカの世界は外側から眺めて初めて鑑賞できる冷静さを保てるのかもしれない。
誤まってその世界の内部に迷い込んでしまった時の恐怖を言葉にすることには何の意味もないだろう。言葉とは理解する相手がいて初めて成立する記号であって、相手のいない宇宙に宙吊りになる時に実感するのは、圧倒的な混乱と、自分が混乱していることをどこかで冷静に自覚している自分への絶望だけだからだ。おいそれとおすすめできる映画ではないけど鮮烈な印象を与えてくれるのは事実。
ラストはともかく、敢えて解き明かさない事が良い秀作
ラストシーン。
そんなのはどうでも良い映画。
複製された男。
日本の題名じゃなく、あっちの題名はなんだろね。
まぁ、アダムはクソ男だし、紐かな?と思ったら道楽息子だった。
アンソニーが、最初にアダムに接近した時は瓜二つだったけど。
終盤は別人にしか見えなくなっていたのが面白かった。
つまり
人は外見と内面でその人であって、外見だけ似ていても内面が一致しなければ、それは別人とも言える。
最初のシーンの意味が、本当に終盤でわかるので、あっあれかーって感じです。
VODで観てる人なら、是非、最初の方から再生しなおしてみて下さい。
ネタバレありなのでネタバレするなら
アンソニーが瓜二つを見つけてしまったと母親に相談しにいくけど、母親は凄く不機嫌になる。
更に
話してもいないのに『三流役者と私の息子を一緒にしないで』とか言っちゃう。
それは
本来の息子アダムがしょうもない奴で、愛してはいるが、嫌ってもいる母親の想い。
だから
アンソニーを作ったんだろう。
と。
アンソニーは、その瞬間に全て悟ったんだろうなぁ。
自分が複製された人間であることを…。
終盤、アダムは、アンソニーの女と一発やりたいが為に、アンソニーをゆする。
アンソニーは分かっていたはずだ。
でも、アンソニーは受け入れた。
恐らく、彼女には、身体の関係以上の想いは無かったんだろう。
でも
誠実でないと言えばそうなる。
そこは、複製されても、アダムの複製といったところか?
そのうちラストシーンの意味合いも考えてれば見えてくるんだろうなぁ…
どこまでも疑ってみよう
この作品はラストのワンカットに囚われすぎたり、もしくは、邦題によってミスリードされると内容理解が難しくなってしまうかもしれない。
これが決定的な真実だ、とは断定しにくい作品である。
でも断片的に情報をまとめ自分なりの解釈を導き出してみたいと思う。
ネタバレ
見逃すべきでない点はここだと思う。
・役者であるアンソニー宅。夫から同じ声の男から電話がかかってきたとき。「またあの女と会ったの⁈」と詰め寄る妻。
・大学で歴史を教える教授である主人公アダム。母親はブルーベリーを差し出し、「あなたは教師で、立派な家に住んでいる」と言う。しかし主人公の家は非常に簡素である。
・アンソニー宅。ブルーベリーを欠かさず食べている。端役でしか映画に出ていない三流役者なのに、マンションの作り・内装は近代的で洗練されており立派。妻は妊娠中で働いていない。
・ラスト近く、ラジオでは早朝の事故と伝えている。しかしアンソニーの事故は深夜のように見える。ラジオが伝えるのはアンソニーの事故ではない。
時系列がずれており、アンソニーの事故の後にラストのカットがあるわけではない。
…以上から、つまり、教師と役者は同一人物。
母親には役者をしている事は言っていない。
妻は教師をしている事を知らない?
母親には母親の、妻には妻の、それぞれが求める役割を演じようとしてしまい、それが彼を抑圧している。
一人で教師と役者の人生を演じ分けている。
彼は妻が妊娠した事で欲求不満になり、怪しいストリップ小屋に通っている。
それだけでは飽き足らず、バスで見かけた美しい女性の跡をつけ、誘い出し何度かデート(このあたりの描写の時系列が前後している
)
妻は夫の行動に気づいてしまい、多分何度か詰め寄っている。
そこで、自分にそっくりの男がいてその男が女性と付き合っていると妻にかいま見せ浮気を言い逃れようとしている。
が妻はどう見てもアンソニーとアダムは同一人物なので浮気に再度気づき、またアンソニーの言い逃れに傷付きやや不安定になっている。
ラストのワンカット。あれは主人公の恐る女性からの抑圧を表しているのか。
時系列はバラバラだが、事故のシーンが時間的には最後か。
ラストの出勤前のカットが時間的に始めに来るのかもしれない。
この作品の原題は「ENEMY」である。
敵とは誰か?主人公を抑圧する女性(母、妻)か、もしくは欲望に抗えずかといって全てを周囲に曝けだせない自分自身かもしれない。
自分は不適合者
道は開かれる
というレンタルDVDから端を発するストーリーなのだが、現実でも、今作品原題『アンエネミー』を延滞してしまい、高くついてしまった顛末である。
監督、主演とも、去年くらいから注目度が高い人物なので、今作品に対する期待は俄然高く、ハードルの上げすぎを抑制しながらの鑑賞である。
始めに結論から言うと、大変な哲学的問題作なのだ。いや、それ位完成度が高いということではなく、常人にはサッパリ理解出来ない展開が淡々と繰広げられる。いくつものフリと、しかし回収されないオチ。いくつものテーマが交差する中で、最終的にあの禍々しい蜘蛛がメタファーとして示唆しているのは、『後ろめたさに男は結局元鞘に収まる』という結論を公式に監督は公表しているらしい。とにかく何が何だか狐に摘まれるような、全体がセピア掛かった色彩にイメージが重層的に溢れてきて、脳が蕩けるような作品だ。でも、嫌いにもならないのは何故だろう?やはりこの手の作品を仕上げることに長けた異才かと改めて感心した。
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