「いかなる前情報も仕入れちゃイカン、俺のも読むな」複製された男 しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
いかなる前情報も仕入れちゃイカン、俺のも読むな
「灼熱の魂」「プリズナーズ」のドゥニ・ビルヌーブ監督作品。
と書いても、ミスリードしてしまいそう。
「複製された男」という邦題自体は、原作があろうともこれまでの作品群からすると、これまでタブーを描いてきた監督の作品からすると極めて「真っ当な」でも「今回もそれか?」とすでに映画ファンからすると、一定のイメージを与えかねないタイトル。
冒頭母親からの電話の内容や、いきなり不穏なショーから始まるや、うって変って糖尿病のような歩き方の猫背なギレンホールが登場する。
この冒頭から、ある種の想像が付きまとう。
「同一人物ではないのか?」
どんなに繊細な性格だとしても、実はそうじゃないだろ、と思わせる顔の濃いギレンホール、比較的タイプの近い顔のガドン、ロラン。
その後も非常に多くの複線や小ネタを挟む。
一方が、役名もない三流役者で、の割には、いい暮らし、それと例のアブノーマルなショーの主催者的な存在の意味。
一方は、WEB検索では、その名前と職業が、ピンポイントで「誰かがかつて」検索したワードが存在する。
ガトンがアダムに会いに行き、別れ際、アンソニーの携帯に電話をするが、アダムが視界から消えた時、アンソニーが受信をキャッチする。そのあと息を切らして帰宅するアンソニー、など、芸が細かい。
母親がイザベラ・ロッセリーニ、というのがまたこの映画の「ヒッチコック」的かつ「リンチ」的な部分を担っていてニヤリ。
時折の空撮が、町を俯瞰した、ある種、世の征服者が街を見下ろすような絵、実際絵として登場する巨大な蜘蛛、近未来的でエロチックなビルのフォルム。セピアがかった映像に「ウルトラセブン」を少し思わす。
簡単に、蜘蛛の復讐劇、てな見方でも全然よくって、ただ単に、ガドンとロランの神がかり的な美しさと、ギレンホールのどこまでもあたふたした二人の男の演じ分けの素晴らしさ、始終不穏な音が、なんでこんなところでこんな音やねん(笑)な音響、先ほど述べた、やはり不穏な撮影。
ずっとニヤニヤしながら楽しめるという一面もある。
追記
映画の原題「ENEMY」について
蜘蛛星人の侵略、でも全然いいと思う。ラストからエンドロールはそういったクラシックなSFテレビドラマ風でかっこいいし。
あるいは、アダムにとって、アンソニーは敵であり、アンソニーにとっても然り。だが、アンソニーの、アダムの提案が猛烈に俗っぽくて、バカっぽいが、笑えそうで笑えない。気持ちもわからんでもない。
それは言い換えれば、いつもと違う「封印してた」「しかた」でしたいけど、パートナーにそんな「しかた」を今晩しちゃっていい?て聞くより、「ああ、今日のなんか違う」と思わせたいだけなんかもね。