劇場公開日 2014年7月18日

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「結構すさまじい作品」複製された男 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0結構すさまじい作品

2025年5月18日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

この作品の解説には「ミステリー」とあったが、観終わった後の印象はそれだけにとどまらない。
ヒューマンドラマであり、心理スリラーであり、そしてどこかファンタジーのような側面も感じさせる。観る者の解釈によって姿を変える、非常に多層的な映画である。
何度も登場する蜘蛛は非常に象徴的であり、欧米的な文化思考や無意識の深層を垣間見たようにも思える。
それを口で直接表現できなかったのが、2014年当時の限界だったのだろうか。
しかしながら欧米では、古くから蜘蛛と母性には共通点があるとされてきたようだ。
蜘蛛が巣を作り、獲物を捕らえる様子は、育む存在でありながら支配する存在でもある母性と重なる。
これは「創造」と「破壊」という二面性の象徴でもある。
母性と支配の象徴としての蜘蛛
冒頭から登場する母からの留守電は、息子アダムの私生活への介入を示唆している。
母の声は優しさと同時に、どこか逃れられない重圧を感じさせる。
しかし、物語は単純ではない。アンソニーにも人生が存在していた。
では、アンソニーの母とは誰なのか?
この問いに対する明確な答えは提示されない。
もしこれがSFであれば、必ず論理的な説明があるはずだが、本作はあえてそれを避けている。
ニュースでは交通事故のことを「乗用車の単独事故」とだけ伝え、誰が乗っていたのかは語られない。
ラジオのボリュームを絞るという演出で、真実から目を背ける心理が表現されている。
巨大蜘蛛とアダムの内面
最大の謎であり、物語のオチとなるのが最後に登場する巨大蜘蛛である。
アダムがヘレンに呼びかけても返事がない。
直前に彼女は「お義母さんに電話して」と言っていた。
母、妻、妊娠、母性… これらがアダムにとって大きなトラウマとなっているのだろう。

蜘蛛は、母性の象徴であると同時に、女性に対する恐れ・不安・欲望といった複雑な感情のメタファーである。
特に欧米文化では、蜘蛛は「創造する母」と「支配する母」の両面を持つ存在として、深い象徴性を持っている。
アダムの恐れこそが、巨大蜘蛛として視覚化されたのだ。
逃れられない母の影
冒頭の母の留守電
蜘蛛の巣のように張り巡らされた通信線や電線
秘密クラブに登場する大蜘蛛
街を歩く巨大蜘蛛
これらはすべて、アダムにとって母からの逃げ場がないことを象徴している。
母の言うことを聞いて大学教授になり、母の望むように生きてきたアダム。
だがその裏で、母によって抑圧されてきた本当の自分を「形」として複製したのがアンソニーなのだろう。
アンソニーというもう一人の自分
見た目は瓜二つだが、性格はまったく異なる。アンソニーは思ったことをそのまま行動に移すタイプで、性に対しても奔放だ。秘密クラブの存在や、妻ヘレンの不安がそれを物語っている。
アダムという名前も象徴的だ。
聖書においてアダムは最初の人間であり、すべての人間の起源である。
アダムはアンソニーのように自由で奔放でありたいと願うが、心のどこかで巨大なブレーキがかかってしまう。
巨大蜘蛛=心のブレーキ
アダムがアンソニーの持っていた秘密クラブのキーを手に入れ、それを試そうとしたとき、部屋に現れたのが巨大蜘蛛だった。
これは、心にかけられた魔法のようなブレーキであり、トラウマ的な思考回路の象徴だ。
母の意見と違うことをしようとするとき、必ず現れる存在。それが蜘蛛なのだ。
妄想か現実か?
ヘレンが巨大蜘蛛に変身したことで、この物語すべてがアダムの妄想である可能性も浮上する。
しかし、アダムが二重生活をしていたとは考えにくい。
むしろ、アンソニーはアダムの内面に存在するもう一人の自分であり、彼の抑圧された欲望や恐れが具現化した存在なのだろう。
仮にそのように解釈すると、この作品は非常に文学的な作品だと言えるのではないだろうか?
SFとはいえず、単なるファンタジーでもなく、ミステリー要素もありつつ、最後にアダムの心的問題に焦点が当てられる。
そこに見た自分の本当の心
これこそがこの作品が伝えたかったことなのかなと思った。
なかなか凄まじい作品だった。

R41
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