劇場公開日 2016年1月16日

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「原題は『In the Heart of the Sea』 単純な単...」白鯨との闘い nokkinokinokiさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0原題は『In the Heart of the Sea』 単純な単...

2016年1月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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原題は『In the Heart of the Sea』
単純な単語だからこそ、いろいろな意味が含まれている。
直訳すると「大海の奥深くで」「海の懐で」「海の中心部で」
しかし、もっと深いニュアンスがこの原題には込められているはず。
邦題は、『白鯨との闘い』 アクション映画としても訴求したくてこのタイトルにしたのだろうけれど、映画の持つ潜在力を伝えそこなっていて、誠に残念至極。

まず、終始、画面の迫力に圧倒された。白鯨を筆頭に、荒れ狂う大海原、嵐に弄ばれる帆船、いったいどうやって撮影しているのか?かなりな部分をCGで描いてはいるのだろうが、まったくその違和感が感じられない。
マサチューセッツ州にあって、19世紀当時、捕鯨の中心地だったナンタケットの街並み、鯨油市場の売買ボード、登場人物の衣装、捕鯨船等々、細部に至るまできちんと時代考証までされているのだろう、見事な再現。
そして、それらのいずれのショットも計算されつくされ、しかも荘厳でいて美しい。

リーダーとしての決断力。船長、一等航海士としての統率力。上司と部下のせめぎあい。19世紀当時における捕鯨の意義。捕鯨の方法。
一攫千金を夢見て、あるいは他に職業がみあたらないために捕鯨船に乗船した者たちが、大自然=白鯨を前になすすべなく打ち砕かれてゆく姿。
「板子一枚下は地獄」ということわざがあり、その意味は「船底の下は大海原であり、いったん港を出波任せ風任せで人の力が及ばない」という、船乗りの仕事が危険に満ちたものであることを例えているのだけど、その言葉どおりの、まさに地獄を見てしまう彼ら。
そんな人間たちに迫られる、究極の決断。
それは倫理的に正しいのか、否か。
彼らの置かれた状況からみれば、ぼくらの日常の悩みなどは取るに足らない、些細なものに思えてくる。

今の時代にも船乗りはいるわけだけれども、現代は、天気予報、レーダー、GPS、海図などが整備されている。それらのなかった時代が太古からつい100年ほど前まで続いてきたわけで、そんな長く続いた時代を永々と、数え切れないほどの船乗りが生きてきて、数多くの彼らが海の藻屑と消えていったわけで、そんなかつての船乗りたちの姿までもが偲ばれてきた。

米国では、アカデミー賞狙いで先月末に公開されたものの、ノミネートにはカスリもしなかった。わが国でも先週土曜日に公開されたが、その土日の興行成績は芳しくはなかったようだ。自分の鑑賞した劇場も、日曜日の夕刻にも関わらず定員185名で観客は数名。
このまま、見過ごされてしまうには、あまりにも惜しい。

見終わったあと、この映画の持つ重量感で身体がおおわれる。

nokkinokinoki
Kazuyoさんのコメント
2018年12月21日

この映画の素晴らしさ、また邦題に関して、全く同感です。調べてわかったのですが、In the Heart of the Seaという原題は、 ナンタケットという町の名前に由来しているようです。イギリス占領前この土地に住んでいたアメリカ原住民のワンパノアグ語で、Nantucketは 'in the midst of waters' (海の真ん中) 或いは 'far away island' (浜から離れた島) という意味になるようで、ナンタケットという町自体が孤島であることが強調されます。そして一時期は世界の3分の2の鯨油を生産していたにも関わらず、孤島であったために、この物語の30年後には、大陸のニューベッドフォードに捕鯨ビジネスをもっていかれてしまう、この町のそんな悲しい背景も込められているように感じます。せめて、「大海の彼方」にでもしていてくれていたら、と、翻訳は短く単純であればあるほど、難しいなと痛感します。

Kazuyo