グレート・ビューティー 追憶のローマのレビュー・感想・評価
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【”退廃と虚飾と孤独の人生の根底には、美がある。根っこは大事。”今作は、圧倒的な映像美で綴る、”一人の若くして成功を収めた小説家の男が終生求めたモノは何か・・”という事を描いた作品なのである。】
ー 序盤、若い頃に書いた小説”人間装置”が大ベストセラーとなり、印税で悠々と暮らす初老の小説家、ジェップ(トニ・セルヴィッロ)が、毎晩狂騒のパーティに出席しているシーンや、ローマの水道橋の下で、前衛舞踏家の如き全裸の女性が壁にぶつかるシーンなどは、高名なデザイナーでもあるトム・フォード監督の「ノクターナル・アニマルズ」を想起させる。
パオロ・ソレンティーノ監督作品は、主演者たちの洗練された衣装や意匠を実に美しく描き出しているが、今作であれば屡々映し出されるコロッセウムなど、古代ローマ建築なども大変美しく描かれているのである。
そしてそれが、映画の気品を高めているのである。-
■現代のローマが舞台。
若い頃に書いた小説”人間装置”が大ベストセラーとなった初老のジャーナリスト、ジェップは以来、毎夜パーティーを渡り歩く日々を送っていた。
そんな彼の元に、初恋の女性エリーザの訃報が彼女の夫アルフレードの口で伝えられる。そして彼は”彼女は自分を良き夫としか見ていなかった・・、”と嘆くのである。それを複雑な表情で見るジェップ。彼は若き時にエリーザを愛していたが、振られていたのである。
◆感想
・ハッキリ言って難解な映画である。だが、観ていて面白い映画である。矛盾しているが画が美しくて飽きないのである。
・登場人物達は、皆成功を収めている人たちで、フランスの大女優ファニー・アルダン、イタリアの人気歌手アントネッロ・ヴェンディッティも一瞬出演している。
・それを、ジェップは微笑みながら見たり、挨拶したりしているが独身である彼には何処か、孤独の影が漂っている。
だが、彼の着こなしはそれは見事なモノで、初老の男としての色香に溢れているのである。
・劇中では、しばしば美しい女性の半裸、もしくは全裸が映し出されるが、これも猥雑感はない。又、登場人物達の会話もスノッブではあるが、機知も感じられるのである。
・印象的なのは、次期教皇と言われる初老の男の俗物振りと、100歳を超えるというシスター・マリアとの対比である。
初老の男は、美食について語るが、シスター・マリアは根っこしか食べないと語られるのである。そして彼女が一言言った言葉。”根っこが大事。”
・若きジェップは、若く美しいエリーザと石段で会う夢のシーン。彼女はジェップに自分の胸を見せ、脇に消えて行くのである。
そして、画は何処か呆然とした表情の、初老のジェップに変わるのである。
<今作は、様々な観方を見る側に許容する作品であると思う。
私は、”退廃と虚飾と孤独の人生の根底には、美がある。根っこは大事。”というメッセージとして今作を捉えた。
それが正解だとは思わない人も居るかもしれないが、私はそう思ったし、この映画を飽きることなく観れたのは、様々な美を堪能したからである。
勿論、その美の中には古代ローマ建築の数々も含まれているのである。
今作は、パオロ・ソレンティーノ監督が、ローマの様々な美を背景に、”退廃と虚飾と孤独の人生の根底には、美がある。”という事を描いた作品ではないのかな、と思って勝手に満足した作品なのである。>
不思議な映画
面白いんだか面白くないんだか分からない、けど見終わって嫌な感じは残らない。あらすじには初恋の女性が亡くなって虚無感を、みたいに書いてあったけど冒頭の65歳の誕生日ですでに始まっていたみたい。書けない(書かない?)作家ってのがちょっと手垢のついた感じで、ん?と思ったけどまあ映画スターってわけにもいかないし、これが妥当か。この物語が成立するのはローマだけな気がしますね。東京でもパリでもミラノでもダメで、ましてやニューヨーク、ロンドンなんて話にならない。ローマに行ってみたくなる映画でした。
うーん
美しくもカッコよくもない人達。何か特徴的な顔の人ばかりではある。ジジババのパリピは見ていて本当にきつかった…映画好きの友人が感想を聞きたいとの事でなんとか頑張ってみた。出だしでキツかった…確かにローマは綺麗だけど、それ以外が全て汚いと思ってしまったし薄っぺらい上に長いとも感じてしまった。
マザー○○○みたいなババアも実際のマザー○○○はいろいろ闇深な人物だから、あのキャラを神聖な存在に思えなかったし、根っこが大事ってベストキッド3かよ(笑)と思ってしまった…ファッションにも興味ないし、昔の自分はイケてたと思ってるような人が見ると何か来るものがあるのかな?結局好き嫌い問題になってしまうが、嫌いな映画であっても好きっていう人の説明でなるほどと納得する事は時たまある。しかし、この作品はいろいろそういった評価を読んでみても、うーんとしか思えない。悪い意味でポエムって印象。未来が完全に無く死しか残ってない状態でみたら良いと思えるのかな。過去の栄光にとらわれてる事を人間味と考えられなくもないが、自分の美学的には後ろ向きは好きじゃないので。
もしかしたら、このムカつく感じが意図的に空虚を描いてるのかもと解釈出来なくもないが、やっぱり対比として、じゃあ美とは?と何も得られるものが無い。もしかして無いって事?哲学ですなぁ
ローマの壮大なる歴史的建造美を背景に、退廃的享楽に浸る皮肉な老小説家の内面的変遷を描く
「主役の老小説家はまるで”私自身”のようだ」と共感できた者であればどっぷり映画の世界観に浸ることができるかもしれない。
主役ではなく配役の中の誰かに共感できても。
仮に誰にも共感できなかったとしても、ローマの映像描写と種々様々な音楽の組み合わせの妙を感じ取れたなら、それらの視聴に身を委ねるだけで”何か”が内面から湧きあがってくるかもしれない。
そして”何か”を把握しかけ、再度の視聴欲求が生じたなら何度か見ることで、最初は訳わからなかったことが有機的関連を持っていたことが理解され納得できるようになるかもしれない。
しばらく間をあけてもう二三度は見ることになりそうな予感。
【とどのつまりはトリック】
映画は総合芸術だ...なんて言う人は、昔はそれなりにいて、なかなかうっとおしいなと思っていたが、今、映画のレビューを読むと、映画は娯楽だとか、伏線回収だとか単純化されたところに重きを置く人が結構いて、伏線を認(したた)めずに脚本云々する人が相当数いることに驚く。脚本家を志している人が多いのだろうか笑
この「グレート・ビューティー」は、こうしたところに楔(くさび)を打つと同時に、映画とは(実は、僕たちの生きる世界も)、愛情を示しながらも、実は、こんな程度のものじゃないかと、シニカルにも表現しているように感じる作品だ。
この作品の映像は絵画的で、会話は詩的で示唆的、時にシニカルで、物語は、ゆっくりだがリズミカルな歌や小説のように流れ、静謐な一方、実は滑稽だったりする。
映像、会話。
一瞬たりとも目が離せない感じだ。
明るい屋外での影。
暗い夜や室内の中での灯り。
明暗の割合を調節、配したような映像は、時にカラヴァッジョの絵のように感じるし、時に谷崎の陰翳礼讃を彷彿とさせる。
イタリアの都市の中で、ローマほど聖と俗が混在する都市はないだろう。
いや、世界のどこを見ても、これほど、聖と俗が混在する都市は見当たらない。
僕は、この作品はコントラストが重要な要素だと思う。
聖と俗は当然、映像の光と影、陰影、社会の裏表、人の外面と内面、現在と過去、静謐と喧騒、礼賛と皮肉。
「大いなる美を求めたが見つからなかった」と言うジェップに対して、
「草の根を食べる理由は、根が大事だから」と言うシスター。
これも、対比だ。
小説を書こうかというジェップに対し、上っ面の美を求めるより、オリジンを見つめ直すべきじゃないのかと言っているのではないのか。
「旅は有益だ 想像力を誘う あとは幻滅と疲労のみ 生から死 人間 獣 町 もの すべて見せかけ つまり小説 作り話 辞書にもそうある しかも目を瞑れば 誰でもできる」‐ 夜の果ての旅(セリーヌ)
冒頭の詩だが、映画もそうなのではないのか。
「幕切れは決まって死である だが それまで生があった あれやこれやに隠されて すべては駄弁と雑音の下に埋没する 静けさと情緒 感動と怖れ 美しさの わずかで不規則なほとしばり それから理不尽なおぞましさと哀れな人間 すべては生きるという 困惑のもとに埋葬される かくかくしかじか 彼岸が存在するが 私は彼岸には関わらない こうして この小説ははじまる とどのつまり ただのトリックだ そう ただのトリックなのだ」
最後のジェップの詩だ。
とどのつまり、僕たちの世界も、ただのトリックなのかもしれない。
この作品が撮られた時期は、ヨーロッパが、南欧を中心に経済危機に瀕していた。
イタリアは、ギリシャやスペイン、ポルトガルと同様、”放漫財政の南欧周辺国”と一括りにされ、経済危機の元凶とされていた。
その財政立て直しは過酷で、社会福祉は削られ、コロナ禍で、イタリアが他の欧州諸国より、感染者や死者が多く、苦しんだのは、こうした影響もあると考えられている。
この作品は、ローマを題材にしているが、これは僕たちの世界そのものだと思う。
この作品の終盤のシスターとの会話で示唆されるようにパオロ・ソレンティーノは、次の作品で、自分のオリジンを見つめることになる。
人間・この劇的なるもの
実に雄弁な物語だ。
中盤までは匠の皮肉を笑い、怒涛の後半へと突入する。
何処までも広がる未来を死を通して見つめ直す。
目を閉じればいつでもあの海が横たわる。
語るのではなく、そこに生きる。
共に船出を祝おう。
イタリア人にとっての「ローマ」
主人公ジェップ(トニ・セルヴィッロ)の65歳を祝うゴージャスで素敵で下品な誕生日パーティーのドンチャン騒ぎがしばらく続き、人混みの中で振り返る笑顔のトニ。映画がある程度進んでからやっとの登場なのでトニのファンはとてもじらされる。それ程、ソレンティーノ監督はトニの出し方が上手い!
25歳の時に出版した小説で文学賞をとり、一躍文壇デビューしてその後1冊も書いていない作家のジェップ。インテリで金持ちでローマ中のセレブと知り合いでパーティーに明け暮れ昼夜逆転の日々を過ごすジェップは、半分世捨て人に見える。そういうジェップが友人達と女性編集長と家政婦とかわすお喋り、言葉が皮肉たっぷりだったり、攻撃的だったりする。本心でもあり演じてもいるような気もする。言葉を発しない沈黙のジェップは、見ている、聞いている、感じている。そんな所にトニの存在と演技力が半端ないことがわかる。
ジェップが登場してから海のイメージが出てくる。海は彼にとって初恋で若さで小説だ。その海にまた向かって生き始めることに、遅すぎる、ということはない。映画の冒頭からあちこちに死が散りばめられていても、いるからこそ、生は美しい。
色々な人物が登場する中で印象的だった3人。「天才画家」であるまだ子どもの女の子、古くからの友人の娘でいい年なのにストリッパーをしている女性、そして狂気の世界に住んでいる青年アンドレア(ルカ・マリネッリ)。アンドレアは体全部を真っ赤に塗ったりしてる。心配するママに僕は狂っていないと言う。彼の眼が強くて忘れられない。車を猛スピードで運転して途中で目を瞑る…。教会の葬式では、アンドレアの棺を担ぐ「友だち」が誰も居なかったことに涙が出そうだった。ジェップが自分の友人らに目で合図して、アンドレアからしたら親世代の年齢の男性たちが立ち上がる。葬式では泣いてはいけない、遺族がすることだから、と言っていたのにジェップは棺を肩にして激しく泣く。
そのアンドレア役のルカ・マリネッリが「マルティン・エデン」で主人公マルティンを演じている。適役だった。逞しい身体と何より眼!
しばらくぶりに見たら、見落としていたり勘違いしていた箇所が沢山あった。好きな映画ほど、時間をおいて何度か見るのはやっぱりいいなと思った。イタリア人の美的感覚をインテリア、服、靴、化粧、髪型で改めて確認!(2020年9月24日)
さらに追記:音楽と映像の関係がとてもいいと思いました。それから言葉。すぐ暗記できない悲しい頭の自分、かといってすぐさまメモすることもできない自分!そんな自分にがっかりしながらその言葉を正確ではなく、でも自分なりに捉えようとする。そんなことができるのでこの監督の映画に私は惹かれるのかもしれない。
人生の終盤
ローマの風景が美しいからと、すすめられて観てみた。イタリア人は歳を重ねても、色気があってオシャレでカッコイイ。人生の終盤にも、生きる喜びや、まだ手に入れたい何かを求めている。かっこよく歳を重ねたいと思った。DVDで見ると、集中力に欠けて、途中少し飽きてしまった。
「我々の電車ごっこはいいね。どこにも行き着かないんだ」
観てすぐに連想されるのはおそらくフェリーニの「8 1/2」でしょう。
圧倒的な絵力と音楽。
古代から続くローマを舞台に、虚無に気づいている作家の人生を
退廃的に美しく描いてます。
久しぶりにいい映画観ました。
92点。
フィルムが秀逸
65歳になるまでセレブとしてパーティに明け暮れ、退廃的に時間を浪費してきたであろう主人公が、ふと「望まぬ行為に時間を費やす暇はないのだ」と呟く。
美しいローマをあてもなく彷徨う晩秋。
そして、人生は何をしていても過ぎ行くのだ。そう例え「この人達は、何も出来ない人達なのよ」と言われても。後悔をしたとしても。
フィルムはここ最近の監督では、トップクラスに入るほど秀逸だと思うのですが、観念的な作品なので観る人を選ぶと思います。
ごまかしのきかない年齢に差し掛かった時に、主人公の吐くラストの言葉は、生きることに嫌でも向き合い、遅くなりながらも生きることを始めようとしている様に思いました。人生は永遠ではなく、慰めがあるわけでもなく、知らなかったやらなかった事が多すぎて、それでもそれでも自らに蓋をして、諦観することは到底出来ない。気がついたのが、晩秋に差し掛かった時であっただけ。いや、本当はずっと分かっていたことだっただけ。
「幕切れは決まって、死である。
全ては生きるという困惑のもとに埋葬される。私は彼岸には関わらない。こうしてこの小説は始まる。」
気怠い昼下がりのような一本。
正に黄金の退廃、そんな一本。
乱痴気パーティに始まり、乱痴気パーティに終わる…
時間の止まった都ローマに囚われた、富に追われぬ時間の止まったセレブ達の過去と現在、夢と現を織り交ぜて語られる人生賛歌。
と言って前向きな事は特段ある訳でも無く(主役が65の爺さんだし)
「人生は所詮全てトリック」
で運ばれる物語は、やはりデカダン的退廃臭が強く感じられる。
気怠い昼下がりを楽しめるか、憂うのか…
コレを芳醇と感じられるのがオトナだろうし、「余裕」があると言うことなんだな、と思う作品。
美と儚さ。
人生枯れ始めの入口で、享楽的な日々の暮らしに虚無と倦怠を抱き始めたジャーナリストの男。パーティーやセックスに夜毎興じ、それらを楽しむ振りはすれど、心は満たされず。若者のような遊びを続ける年でもなく、その盛りも過ぎている。けれども正体の分からぬ「何か」を得んとする為、ローマの街を一人彷徨い、ローマの街にしがみつく。渇望せずにはいられぬ。その「何か」を求めずにはいられぬ。
皮肉とユーモアを盾に、感性を武器として生きてきた男は、友人知人の人生や生活に干渉し、酒を飲み、またパーティーへと興じる。
そんなある日、若かりし頃に付き合っていた初恋の女性が死んだという一報が入り、彼は心を激しくかき乱す。だが、そこから、生きるテーマがぼんやりと、その目的や照準が、何となく定まりだす。定まりだして、動き出す。再びローマを彷徨い、友人知人にちょっかいを出し、再びローマにしがみつく。
我々庶民の生活とは凡そかけ離れたセレブリティの生活を、男を、映画はただただ映し出す。
美しいローマの世界を、カメラは奔放に駆け巡るのだ。市井を映し出し、情景を映し出し、そして男の行動に寄り添う。
果たして、この男に共感が出来るのか?となると、出来る部分もある。出来ない部分もある。いや、寧ろ共感などしなくてもいいのではないか?という気もしてくる。見方によっては、彼はただ贅沢な暮らしをしながら「虚しさ」を呟くだけのクソ爺だ。ある一方では、何かひとつの高みに登ろうとする聖者にも見える。
きっと、答えはないのだろう。ローマだけがそれを知っているのだ。
グレート・ダンディズム。
第86回アカデミー賞外国語映画賞受賞作。
最近の日本でのダンディといえば、滝藤賢一のあの番組が
つい浮かんでしまうところだが、ぜ~んぜん違って(当たり前)
ジローラモが如何にダンディラインを死守しても醸し出せない
真のダンディズムが漂っていた。
まぁ好き嫌いはあるだろうけど(私的にはけっこう苦手な部類)、
カッコいいといえばカッコいい、ニヒルってこういう人を指す。
やたらフェリーニへのオマージュというか、
そういう批評が多いのだけれど、それほど意識はしなかった。
(まぁ乱痴気パーティーとかは如何にもだったけど)
だってマストロヤンニやA・エーメとは並べられない!(爆)
今作の主人公、あんまり好きな顔立ちじゃなかったしなぁ。
さて。
主人公は…ローマの総てなんでしょうねぇ。
自身は訪ねたことがないので、景色も映画で観るばっかり。
綺麗と猥雑が混在するような雰囲気を持っている街だけど、
映像で観る限りパーフェクト!に近いほど様々な面を魅せる。
この映像美に浸っていられれば、141分耐えられる(と思う)。
語り口のない描き方にテーマが見えない観客は出てった人も
多かった。自身には、これが面白い・つまらないというよりも、
部分的に見入ってしまうか、聞き言ってしまう部分が多かった。
退廃的なムードは一貫しているが、主人公が特に絶望していない
ところが救い(爆)このオッサン、結構いいたい放題なんだもの。
パーティーで噛みついてきた女史に一喝!見舞うのもお見事だし、
家では「アバズレ」を名乗る家政婦と仲良くやっている。
自分が老境に近づくにつれ、ある意味恐怖心はあるのだろうけど
今でも初恋の想い出に苛まれているなんて何て初々しいダンディ!
男は初めての女を忘れないが、女は初めての恋を忘れないらしい。
(マツコの名言)
もうひとつ、こんな観方をしてはいけないのは分かっているけれど
最後に登場した修道老女、彼女も素敵な名言を彼に与えるのだけど、
翌日、階段を這いつくばって登る彼女に、エクソシストの名場面を
連想させられて仕方なかった(もちろん背面降りはしませんけどね)
だってその前日に主人公が司祭とそんな話をするもんだから…^^;
(日本人もチラリと出演してるのね。寝そべって歌う脚ギプスの女性)
余り美しくないローマ。
このような比較をしてはいけないのかもしれませんが、同じローマを舞台にした映画である、フェリーニの「甘い生活」や「フェリーニのローマ」よりはかなり見劣りがします。映像には色々と工夫が施されているのですが、今一つ、切れ味がありません。冒頭の裸の女性たちが入り乱れる乱痴気騒ぎのシーンを見て、観る映画を間違えたな、と思いました。ちょっと下品過ぎます。全体的に見て、俳優陣にも魅力が欠けています。なんだか、男優も女優も全員、干からびているのです。アカデミー賞の最優秀外国語映画賞を獲っているということで、観る方の期待が高まってしまったのでしょう。 尚、劇場は平日ながら、6割程度の入りでした。やはり、日本にはイタリア映画のファンは多いのです。以前、フィルムセンターで特集上映されたイタリア映画祭は大盛況でロッセリーニの「イタリア万歳」は予約の段階で即、完売となっていました。いつか日本でも傑作の誉れ高いロッセリーニの「ルイ14世の権力奪取」が公開されることを願っています。
尚、映画が終わって一瞬、暗転しても席を立たないでください。エンドロールの背景に川を行く船からの風景が映し出されます。
人間讃歌
良かった!"大いなる美"を探しているが何も書けないとうそぶく老作家を取り巻く上滑りした派手な生活への皮肉な視線と、人間の嘘と弱さへの深い愛情。この辺にソレンティーノ監督の"根っこ"があるんだろうな。"根っこ"のセリフはほほえましかった。光とフォルムの動き、視点の転換、画面構成、台詞回し、ダンス、音楽、全ての旋律とリズムが美しい!
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