美しい絵の崩壊 : 映画評論・批評
2014年5月27日更新
2014年5月31日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
美しい2人の母が互いの息子と愛し合う“禁断”のサスペンス
サスペンスを生むのは殺人や陰謀ばかりではない。たとえば「彼らの愛は成就するのか?」「その愛は本物なのか?」という具合に、すべてのラブストーリーも、ある意味、サスペンスをはらんでいる。
「美しい絵の崩壊」がはらむサスペンスは、「はたして彼らを待ち受けるのは何か?」だ。なにしろ母親同士も息子同士も幼馴染みの親友である美しい2組の母子が、たがいの息子や母親と愛しあうのだ。冷静に考えれば、彼らの関係は不倫でも近親相姦でもないのだが、家族同然の熟女と10代の青年が一線を越えてしまう関係につきまとうのは“禁断感”。当事者たちがその関係をひた隠しにせずにいられない世界は、次第に不穏な空気に包まれていくことになる。4人のいる風景が美しければ美しいほど、観客は何か恐ろしいことが起こるに違いないと不安にかられずにいられなくなるのだ。
そう、美青年の恋を夢見るマダム世代なら、ヒロインたちに自分を重ねて陶酔するという楽しみもあるだろうが、彼らの愛の行方を息をつめて見つめずにいられないという意味で、これは出色のサスペンス。しかも原作はノーベル賞作家ドリス・レッシングである。4人が見せてくれる結末は、よくある禁断愛サスペンスとはかなり違う。アンヌ・フォンテーヌの抑制のきいた演出とあいまって、そこに浮かびあがる男と女の業の深さは、観る者のみぞおちに重い余韻を残しながらも、妙な高揚感まで与えてくれるのだから!
その高揚感をもたらすのは、舞台となっているオーストラリア東海岸の風景と、ナオミ・ワッツとロビン・ライトの美しさ。一歩間違うと嫌悪を抱かせかねない世界をすんなり受け入れさせるのは、この美しさによるところが大きい。母親役をあまり年齢のいった女優にしないようにとフォンテーヌに忠告したというレッシングにも感謝。
(杉谷伸子)