チョコレートドーナツのレビュー・感想・評価
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米国憲法修正第14条で護られなかった人々
舞台は1979年のアメリカ。1970年代は憲法修正第14条を根拠に、それまで差別されていた女性の、法の下での平等が認められるようになった時代だ。
しかし同性愛者への偏見は依然として厳しいことが分かる。主人公達の、第14条を根拠に母親がいない間の保護を申し立てる計画は、まともに取り合ってもらうことができず、救えたはずの命を失ってしまうのだ。
同性婚が米国全州で認められたのは2015年。同性婚の養子縁組が認められたのは2016年。この映画が制作されたのは2012年だから、社会の耳目を集める役目を果たしたかもしれないと思った。
ゲイとダウン症、どちらも差別・偏見の的になる者同士が集まってる そ...
ゲイとダウン症、どちらも差別・偏見の的になる者同士が集まってる
その要素も大事だけど、それよりも罪なき子供が救われない現実を突きつけられる
チョコレートドーナツ🍩見るたびに思い出すのはつらいよ
泣きました。何回も鼻かみました。ぐちょぐちょのティッシュをウチで捨てて、ああこんなに泣いたんだ
とびっくりしたぐらい。
1970年代の実話にインスパイアされた脚本による映画。
ショーパブで踊るゲイのルディの夢は本当は歌手。そこへひとりでやって来たポール。彼は弁護士だった。ルディと同じアパートには薬物中毒の母親を持つダウン症のマルコがいた。養育権を争う場面では養育環境の良いポールの家が必要な二人はいとこ同士だと主張し、刑務所に入所中の母親に代わってマルコを二人で育てる。約一年間。マルコは学校に行く。環境が好転して、マルコは成長著しい。学校の先生もそう言ってだから、確か。この美人先生がルディとポールを色眼鏡で見ないところが素晴らしい。しかし、ポールの上司の家のパーティーに招かれてから二人がいとこ同士ではないことがバレて、ポールの上司のランバートが、偽証だからマルコの養育権は無効だとチクることで再びマルコは養護施設に戻されてしまう。すっかり落ち込んでしまう二人。ポールは再び養育権を法廷で争うことを決意。差別問題に強い黒人の弁護士の援助を受けて、裁判は順調に進み、学校の先生の供述もあり、ゲイカップルでもマルコの養育権を得られるかにみえたが、ランバートが裏で手を回して、母親を出所させ、無理矢理マルコの養育権を主張させる。
最後まで、ハッピーエンドになってくれることを信じていましたが、シャブ中の母親が男を部屋に呼びこむ劣悪な環境に戻ってしまう。母親と男がよろしくやる間、部屋を出される。
嫌な予感がしました。
マルコが外をさ迷ったあげく、橋の下で死んでいたと新聞の片隅に載ることで二人はマルコの死を知る。ポールはランバートはじめ、裁判に関わった司法関係者に手紙を書き、これを知らせる。「マルコはハッピーエンドの物語がとても好きでした………」法律と行政が必ずしも弱者のものではないことに対する反省を促すというより、静かに燃える抗議を込めて。でも、マルコは帰って来ない。
一番悪い(ヤナ奴)は。ポールの上司の検察官(弁護士)ランバート。最初から俗物感が強くて、キライなタイプ。あきらかにポールへの嫌がらせ。
ルディはポールからプレゼントされたオープンリールレコーダーで録音した歌をカセットテープにダビングして、ほうぼうに送っていたが、ライブハウスの専属歌手の話しが決まる。
原題は Any Day Now 。いつかきっとという意味で、Bob Dylanの I Shall Be Releasedの歌詞から付けています
Any Day Now, Any Day Now, I Shall Be Released.
こんなに力強いのに悲しい I Shall Be Released は初めて聴きました。
映画で泣くのはただ悲しいとかではないです。悔し涙が大部分かな。
弱者、世間からはみ出したものが、体制の圧力や横暴によって不幸な結末を迎えたときが多い。
I Shall Be Released がかかるともう100%です。
昔(戦前、戦後)はダウン症などの障碍を持つ子供が道端で飢えで野垂れ死にすることは当たり前にあったらしいです。マルコの死に顔には何本も涙のスジがあったことでしょう。そうゆうことが、○○保護法とか制度でサポートされている今日でも、ありうるかもしれません。法律、条令の効力を発揮するには何が重要か。この映画は教えてくれます。また、原理原則だけでは融通がききません。たまになら夕食にチョコレートドーナツたべてもいいんです。邦題とてもよいです。
最近、草薙剛のミッドナイトスワン観ましたが、この映画の影響はものすごく大きいと思いました。
ルディ役のアラン・カミングはこの映画出演の後、堂々とカミングアウトできたそうです。
ルディの歌が良い
始めの数分は、自分には苦手な作品かもしれないと感じたけれど、気づいたら引き込まれていた。
映画だからハッピーエンドではないことに作品としての美学を感じるが、マルコにはルディと暮らして、幸せに生きて欲しかった。
(実話から着想を得たというだけで、実際には幸せに暮していたと信じたい)
少し「万引き家族」を思い出した。
正しいことがまかり通らない歯がゆさ。
予告を観て「あ、これ絶対面白い奴だ」と、一目惚れして視聴。
マルコにとっての最善であり、最高の生活が、世間からの風当たりや偏見がそれを許してくれない。結果最悪の結末になり、だれもが不幸になってしまう。
現代のように多様性、なんて言葉が浸透してなかった時代の話であるので、周りの人や偏見も分からなくはないけど、あまりにも悲しい物語でした。
ストーリーや展開は完璧だったのですが、ただ、マルコと2人が一緒に住んでからの描写を増やしてほしかった、というのが正直な感想ですね。
ハッピーエンドの物語が好き、とか、チョコレートドーナツが好き、とか、物語の大事なシーン、というか後々の感動を引き出すための描写が1度か2度くらしか出てこなかったので。
いい映画だとは思った
いい映画だとは思いました。
熱いセリフが多かったです。
「一人の人生をなんだと思っている」
また個人的には黒人弁護士が良かったですね。キャストも豪華で、当時の、今に続く差別の雰囲気をうまく表現しているのではないでしょうか。
しかし、いまいち感情移入できなかったのは、「自分だったら」どう思うのかという点ばかり反芻して、うーん、わからんとなってしまったからなのかもしれません。性表現が少し少ないとより見やすかったかなと思いました。
マルコは良いキャラクターでしたね。また裁判も少し偏見入りすぎだろと思えるほど滑稽でした。当時はあんな感じだったのでしょうか。正義はやはりなかったのですねえ。劇場型裁判。
ハッピーエンドではなかったですね。
最高の映画
俳優さんの演技力も然る事乍ら、とにかく内容が素晴らしい。
映画初心者の私でも分かりやすいのにあそこまで心の深い所に刺さる映画はそう多くないと思います。
愛しくて愛しくてたまらない主人公に会わせてくれた事に感謝
主人公がとても美しかった
いろいろ思うところはあるけれど、まず主人公のルディがとても美しかった。最初のゲイバーで歌っているシーン、一瞬で釘付けになりました。色気たっぷりで母性に溢れていて、女の人より女の人でした。
全員の演技が素晴らしかったですが、特にルディとマルコが良かった。
少し展開が読めた感はありますが、全体的に見るといい映画だったと思います。名言も多い。
LGBT差別について少し考えました。どうしてそこまで自分の人生に関係のない人の人生を否定するのか。もしかすると昔の人にとってのLGBTの感覚は私にとっての近親相姦の感覚なのかもしれない。もし近い将来、化学技術が進み近親間でも遺伝子に問題のない子が産める世界になってしまったら、私は近親相姦を肯定しなければならないかもしれない。そう考えるとLGBTとは私が思っているより重たい問題なのかもしれません。
これはちょっと極論ですね。勢いで考えたので、すみません。
いろいろ書きましたが、不当な差別偏見が無くなることを願います。
衝撃の結末。 こんなあからさまに差別する時代があったのかと悲しくな...
衝撃の結末。
こんなあからさまに差別する時代があったのかと悲しくなったしマルコはルディとポールの元で幸せに暮らしてほしかった。
けど少し同情的に描きすぎだとも思った。
映画の中ではゲイだからダメだという風になってたけどもしゲイじゃなかったとしても親しくもなかったただ隣に住んでただけの独身男性に監護権が渡るなんてことあるの?
唯一の強みがポールの安定した収入だけどそれもなくなったし…
ましてや育てるのが難しい障害児。
母親がサインすればOKなのか?
切なさがやたらと記憶に残る映画
グリーンブックを見たときにも感じたが、あまり直球で辛いことは描かないというのがヒットする映画の条件のような気がする。
などと思いつつ、この映画のレビューを見たら、意外とショックを受けている人が多くてびっくりした。
実際にはもっと大変な差別や偏見があったと思う。
ダウン症の少年と向き合うのも色々と難しい問題があっただろう。
そういった部分はわりとさらりと描かれている。
しかしそのあたりの描写がリアリティーに欠けていることは、この作品においてさほど問題ではないような気がする。
ゲイのカップルのふたりは少年を深く愛していた。
一般的なスピードでは成長しない少年の勉強を見て、お話をしてあげて、そばにいてあげた。家族愛というか無償の愛を与えた。
アラン・カミングの切ない表情が忘れられない。
特にポスターにもなっている、泣いているマルコを抱き締めるシーンは心の奥のほうを義ゅっと掴まれた。
マルコが夜を歩くときの世界はうつろ。焦点のあわない街の光がふわふわと夢の中のよう。
ハッピーエンドが好きだった彼が、ハッピーエンドを手に入れられなかった。
そのせいで余計にこの映画が印象に残るんだと思う。
二人のなかにこれからもずっとずっと残る、マルコ。
マルコのなかにもずっと二人が残っていく。
エンディングの歌詞の切なさもいい。
愛しい息子を守る為、戦う映画
2度目見ました。
1975年。誇り高いドラッグクーンのルディと純真な検事のポールが出会う。
ルディが同僚に「あの人は気付いてないけど、私にゾッコンなの」という言葉、すごく良かった。
純真で自然体のポールをうまく表してると思う。
ちょうど隣に住んでたアパートの女がドラッグ中毒者で捕まり、その息子の知的障害者である15歳のマルコの世話をするようになる。
ルディとポールが出会って2-3日。マルコを引き取る為、3人が一緒に暮らすことに。
マルコもようやく家と呼べる愛情に溢れた暮らしが訪れた。
しかし検事局の上司がポールがゲイだと気づき、あらゆる手段で妨害を始める。
裁判でのポールの言葉「これはゲイの問題じゃない!チビでデブの知的障害の子を誰が育てたがる!愛情をかけて育てる!」という言葉が突き刺さる。
1975年当時はゲイへの偏見も凄かったんだと思う。
ゲイがどうのこうのを抜きにしても、純粋に愛が溢れた映画でした。
その子にとって本当の家族は誰か
『ゲイカップルがダウン症の子供と暮らす』
どんな設定だよ、と気になり見始めたら最後の最後までのめり込んでしまった
素直で愛らしいマルコは、それまでの暮らしはいいものとは言えなかったが、ルディとあのタイミングで出会ったこと、衣食住を当たり前に与えられたこと、2人の父親からたくさんの愛情を注がれたこと
たった1年だけれど、彩りのある充実した生活だったんだろうなぁ
とにかくアラン・カミングの演技が素晴らしかった
・マルコを一晩家に置いて、ポールに電話をした直後に手を繋ぐ
・嬉し泣きをしたマルコを抱き締める
・歌の発表でわたしたちの自慢の子、というようにポールと目を合わせる
どこをとっても慈愛に満ちていて、母親にしか見えなかった
ルディの歌にのせたホームビデオが幸せに溢れているのもとっても良かった
だからこそのラストはズドンと落ちたし悲しくてたまらなかった
ルディとポールの悲しむ様子(涙の描写)が無いのがより苦しい
マルコの切ない背中
最期まで二人がいる世界、ハッピーエンドを目指して歩いたのだろう
裁判のシーンでのポールの台詞、涙ながらに訴える表情
、そして復讐にもみえる手紙も、ルディのように激情型ではないからこそできる行動
マルコへの愛情はルディ程ではないのかなと思いきや熱いじゃないか!とまた泣いた
収入の安定していないルディがマルコの世話をしようとすることや、あまりにも早い同棲、ダウン症児との生活がファンタジーすぎるなど現実的ではない部分もあるがそこは映画ということで
ゲイカップルという描写、
全く気にならず誰よりも子供を愛す両親にしか見えなかったが、レビューをみる限り嫌悪感を抱く人はいるわけで、、難しいんだろうなー
自分が親の立場になったらまた見たい
『幸せを大切にし、それを守ろうとしたのに守れなかった』大人たちの物語
『幸せは自分で守るべき』という映画ではない。なぜならこれは『幸せを大切にし、それを守ろうとしたのに守れなかった』大人たちの物語だからだ。しかも誰かが悪いわけでもない。幸せを壊した方の大人たちも、70年代という時代の中、社会的な分業の中で自分の職責を果たそうとしただけだった。
両方の正義が衝突している間にマルコはボロボロになり、最後の決着では生きるのにあまりに過酷な環境へ追いやられてしまった。主人公たちが「あっちはマルコの実母。こっちは赤の他人」という事実によって、深い愛情とは対照的にアッサリと裁判に負けてしまう。『どうしようもない失意のどん底』の感情を実にうまく描いていると思う。
主人公の歌声があまりに美しいため、ラストシーンはどん底による暗澹たる気持ちだけではなく、マルコと過ごした幸せだった時間も蘇らせている。
あらすじ
二人のゲイ(「ゲイバーのパフォーマー」と「地方検事」)が一人のダウン症の少年(マルコ)を引き取って育てる。そこには真実の愛情が生まれるが、70年代の空気(同性愛者への偏見)の中で裁判により引き離されてしまう。
マルコは実母の元で地獄のような生活に戻される。母親は薬物中毒で、マルコをボロアパートの廊下に出して知らない男と行為に及んでしまう。耐えられないマルコは一人で家を出てしまうが、死体で見つかるという話。
ゲイの二人が出会ってマルコを引き取るまでは実にとんとん拍子で話が進む。この映画は97分しかないし、描きたいのは幸せを守れないプロセスだろうから序盤はあっさり。地方検事が家にマルコを受け入れるところなんて「お前はまだマルコにそんなに愛着ないだろ!w」と思ってしまった。でもテンポ大事だもんね。
社会制度に幸せが引き裂かれるプロセスが描かれる
実母が薬物で捕まってしまったのでマルコを引き受ける(一時監護権)ための法的な審理を受ける主人公二人。主人公二人は「我々はいとこ」だとウソをつく。このウソを礎にして監護権が認められ、3人での幸せな生活が営まれる。だが礎がウソなので、これがバレてしまうとさあ大変。マルコは施設に取り上げられる。彼を取り戻すために二人は永久監護権に変えて再度審理へ臨む。
70年代の空気の中、主人公たちは「同性愛者の男二人がダウン症の子どもを養育なんてできるのか」という社会の疑念にどうにか勝たなければならない。今度は証人として養護学校の教員、ゲイバーの同僚、児童福祉の担当者が呼ばれて次々と証言する。彼・彼女らは同性愛者に懐疑的な社会の風潮などどこ吹く風で、主人公二人が養育者としていかにふさわしいかを証言する。彼らが育んでいた愛情がまぎれもないために、証人たちがややもすると困難かもしれない証言であっても堂々と言ってくれる胸のすくシーンである。
しかし審理では永久監護権が却下される。
ついに裁判へ持ち込む二人。これまでのマルコへの愛情を再確認し強い決意で裁判に挑む。だが実母が早期釈放されてしまうと為す術もなくあっさり負け。マルコは施設から実母の家へ送還されることに。さっさと書いてしまったが、この過程で主人公二人はマルコへの愛を再確認し、どうしても彼を育てたいという気持ちを確かめていた。しかしどれだけ真摯な愛情があっても、実母の存在の前では(それがどれだけダメな母親であっても)裁判上まったく敵わないのである。このむなしさ、どうしようもなさ、失意のどん底が実によく描かれている。
言葉にならない感情を表現する
判決に従ってマルコは実母のもとへ帰される。マルコは家に帰れると聞いて喜ぶが、実母の家の方だと気付くと「ここは家じゃない」と言って聞かなくなる。だが押し込められてしまう。
家では前と同じように腐った母親が大音量でロックをかけ、知らない男とクスリをやっている。マルコは前と同じように少女の人形を抱きしめる。三人で幸せな生活をしているときには見かけることがなかったあの人形である。元に戻ってしまったのだ。廊下に出されたマルコはそのまま一人で外に出て行ってしまう。このシーンはラストにつながるところだが、これまでもマルコが一人で出かけてしまうことが描かれていたから、観ている方は「そりゃ出ちまうよな」と納得して自然に観ることができる。
ここまでひどくはないが、不安でいっぱいの家庭を味わったことがある者ならマルコの境遇には同情せずにおれないだろう。しかも貧しくて逃げ場の無いような狭い家ならどうしようもない。外に逃げ出すしかない。マルコの表情は安心と愛情を奪われ、不安と恐怖におびえる子どもの心を実によく現わしていた。
あるプロの批評コメントでこんな趣旨の指摘があった。主人公の一人(パフォーマーの方)がマルコを愛する理由は描かれないがそれでも納得感があるのは、彼の演技からこれまでの人生でどれほどの偏見や無理解に苦しめられてきたかがわかるからだろう。一人でいるときに震えるまつげ、顔をくしゃくしゃにしてマルコに微笑む姿、といったどれも印象深い表情である。この指摘は確かにその通りで、こんな繊細な彼だからこそ失意のどん底に落ちてしまっては敵わないのである。
このゲイパフォーマーの主人公は実力が評価され自分の歌声を披露する機会を得るのだが、これがめちゃくちゃうまい。この歌の歌詞がひとり彷徨うマルコとオーバーラップし、彼こそがマルコと一緒にいるべきであったことが強調される。
差別、偏見は良くない。けれどそれぞれの正義もまたあるのかも。
お話では、マルコの自由や尊厳は認められず命まで奪われてしまいました。同時にルディーとポールの親としての存在も認められていないように感じ、悲しく思いました。
しかし最後の方で、黒人弁護士が「正義なんてないって、法律学校で最初に教わらなかったか?」「それでも戦うんだ」と言っていてまさにその通りだと思いました。
見る観点が違うことで、正義にも、悪にも、なってしまう…そんなことを考えさせられました。
この作品を見終わって、せめて私だけでも、他人への偏見や差別は持たないようにしようと思いました。
常識や経験は正しいとは限らない
偏見や憶測について考え方を変えられた映画
法律や経験談が必ず未来を捉えられるわけではない。
触れられはしなかったが高校でゲイだと気づいたドナテロの今までの生涯がひしひしと台詞や行動に現れていた。
愛情のままに動こうとする姿勢はかっこいい。
静かに沁みる
ようやく観た。
というか、こんなに素晴らしい作品を今まで観なかった自分を叱りたい。
何度も感じたマイノリティーへの偏見に対する怒り。ポールが静かにタイプし、手紙を読むシーンに胸を打たれた。
こんな理不尽な判定ありえない!あの憎たらしい上司役の勝ち誇った顔!憤りは尽きない。
せめてその後は偏見をはねのけるために正義に燃える弁護士になったと思いたい。
マルコの表情がすごくいい。原題とかなり違うのがちょっと残念だけど、チョコレートドーナッツを見るたびにマルコとこの映画を思い出すのは間違いない。
好きな映画の話で、必ず話題に挙げる映画の一つ。
学生の頃、友人も恋人も連れずになんとなく初めて1人で映画館に立ち寄った際、
偶然観た映画がこの映画で本当に良かったと、今でも幸運に感じる。
誰かと一緒に観るというよりは、1人でじっくり観るべき映画だったから。
アラン・カミング演じるルディは、観ているうちに女性にしか見えなくなる。
彼の纏う雰囲気、溢れる母性が、
どの女性よりも女性らしく、強く、温かく、そしてとても美しいと感じる映画だ。
彼のその演技、歌唱力はこの映画の見どころであること間違いなし。
そして私もいつかルディのような、真っ直ぐな愛のある「母」になりたいと、強く思う映画だった。
マルコ、ルディ、ポールの3人は、周りからしたら少しばかりいびつな家族に映るかもしれない。
「1人の人生の話だ。
あんたらが気にも留ない人生だ」
裁判官、検察官、ポールの元上司、そしてマルコの戸籍上の母親・・・。
法に則り、固定概念に縛られ、正義を振りかざしているつもりで真実の愛を見ようとしない、見ることができない哀しい人たち。
本当は彼らにとって、マルコの人生とは、この裁判が終わったら「気にも留めない人生」でしかないのなら。
これまで数え切れないほど裁いてきた、ちっぽけな人生の一つでしかないのなら。
どうかそんな必死になって引き裂こうとしないで。
偏見や差別で彼らを隅に隅に追いやって、世の中から弾き出したのは誰?
それは偏見や差別を持つ彼らのような人々だ。
彼らによって弾き出された先で、世の中の隅っこで、やっと見つけることの出来たささやかな幸せだ。
それなのに、これ以上何を奪いたい?
どうすれば気が済む?
マルコの死は、マルコを死に追いやった彼らに束の間の罪悪感を与えるかもしれない。
しかししばらくするとそんなことなど忘れて、マルコの人生など「気にも留めない人生」の一つとして記憶の奥に埋もれていくのだろう。
マルコの死が彼らに与える影響は、残酷で悲しいことにその程度のものなのだろう。
あまりに残酷なラストの傍ら、チョコレートドーナツを頬張ったマルコの笑顔を思い出す。
映画や小説のバッドエンドというものは嫌いではない。
しかしマルコの人生は、どうしてもハッピーエンドであってほしかった。
たった1人でも誤った相手の耳に入れば、、、
マルコの担任この言葉が戦いの合図。
3人で過ごせたはずの家族の時間が奪われている描写
養育能力のない母親より、同性愛者が社会で受け入れられない現状に憤りを感じた。
2人が窮地に陥っただけではなく、マルコが犠牲になってしまった。
ハッピーエンドが大好きなマルコの結末に、辛い余韻が残った。
裁判も偏見で判決が変わる。
LiLiCoがこの作品で号泣したというのを見て借りてみた。
薬物中毒と太ったダウン症の親子と、弁護士と女装シンガーのゲイカップルをめぐる話。
薬物中毒の母親が逮捕されてダウン症の子だけ残されたことを知る隣人の女装シンガーが引き取ることになるが、1970年代の偏見がまだまだある世論の中で、裁判でも一度は保護者として認められるが、母親が出所した途端に引き裂かれる。
母親は再び薬物中毒に、息子は廊下に出されてカップルの家を探し求めて3日後に遺体となって発見される。
号泣はしなかったものの、いろいろ考えさせられる作品である。
何が子どもへの悪影響なのか。
薬物中毒の母親を目の当たりにすること?
それともゲイカップルの生活を目の当たりにすること?
久々にいい作品に出会ったなー。
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