「珠玉な気取りの無さ」フランシス・ハ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
珠玉な気取りの無さ
現代用語にスイーツというのがあるけれど、その定義をよく理解していないかもしれないが、フランシスはいうなればスイーツかもしれない。嫌なスイーツじゃなくて、愛嬌のあるスイーツ。現実でまるでフランシス・ハを見たばかりのような女性に会ったことがある。アメリのように模したくなる天然だ。
冒頭から躍動と活気に満ちている。きまぐれでさびしがりや、フランシスが生き生きと描かれる。モノクロに必然性とおしゃれがある。親友ソフィーと男友達、交友と会話にフランシスのいじらしい内面があらわれる。その背後にハリーニルソンがボウイがマッカートニーがマークボランがモーツアルトが流れる。だてに単館から拡がったわけではない。
グレタガーウィグはとても白人な顔立ちをしている。監督業で一躍となったが演技も味わい深い。演技力というより、素がにじみ出るところに特色がある。ふとした仕草に、まるでカメラを向けていなかった時のような自然体が露われる。これは、この映画の絶対的な魅力にもなっている──と思う。ワインを持って議員にぴったりくっつく臨時ウェイトレスのフランシスは、どうしようもなくかわいかった。
ダンサーへの夢破れてアルバイト。ペーソスと共感をおぼえ、小品なのに、心に残っている。
郵便ボックスの小窓に、フルネームFrances Halladayが入らないので折る。だから小窓から見えるのはFRANCES HA。それがタイトル。その気負いの無さ。称賛も映画賞も何にも狙ってません──の無心。そこに無類の価値と愛おしさがある。日本映画の反対側にいる映画。
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