「実体のないものにする恋も、盲目なのだ。」her 世界でひとつの彼女 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
実体のないものにする恋も、盲目なのだ。
今や、音声でgoogle検索ができる時代。数年前まで想像も付かないことだった。ましてや、「しゃべってコンシェル」がこのまま進化すれば、映画の中の人工知能OSの開発さえも、近い将来あるのではないかと思えた。
近未来的な街並みや、PC操作や周辺のツールなどが、もうすぐやってくる未来という雰囲気をうまく醸しだしていた。
その人工知能OS・サマンサに感情があることが、なによりも映画に引き込まれる要素だった。悩み、嫉妬する。おまけに、実体がなくても○○(自粛します)までもする。
セオドアにとってはもう、ひとりの魅力的な女性なのだ。
「ふたり」でビーチを散歩するシーンなんて、小さな知的な妖精を胸ポケットに忍ばせいるかのような素敵なデートに思えた。
それに、サマンサがつくった曲「the moon song」(you tubeで聴ける!)が、スウェーデンのアーティストあたりが歌ってそうな柔らかなスローソングでとても心地よかった。
そして僕は、この恋はどこへいくのだろう?と、ずっと不安に揺れていた。
結局、あれは「人工知能OSという商品が進歩しすぎたがゆえに社会問題になってしまい、発売元が回収した」ということか?
たしかに、ありえる展開だと思った。
セオドアが、階段に座り込み、ふと周りには、セオドアと同じようにひとりで誰かに話しかけている人ばかり。それは、所詮サマンサとの恋はリアル(現実)なんかじゃないって気付いたかのようだった。
そして僕も気付いた。
しゃべって文章に起こすテクノロジーはあっても、それを人に伝えるツールはアナログな手紙だ。
サマンサとの別れのあとに、セオドアの心を癒してくれるのはエイミーという生身の友人だ。
多少面倒なことがあるにしても、やはり人の心を満たしてくれるのは、実体のあるものなのだと。
この映画。行き違いや衝突を嫌い、生身の人間との交流を避けて、二次元の世界(アニメやゲーム)で引きこもる若者への痛烈なアンチテーゼのように思えた。