「We Can Be Heroes Just For One Day」ローン・サバイバー しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
We Can Be Heroes Just For One Day
本作、観る前は、オスカーノミニーだとか、どうとかは聞いてはいたんだけど、一番の関心はピーター・ゲイブリエルの、ボウイの名曲(超名曲!)の「HEROES」が聞きたい、というだけだった。
ゲイブリエル、といえば、正直今何をしているのか、まったく興味はないのだが、オスカーノミニーの可能性だとか、戦争映画とゲイブリエル、そしてボウイの「HEROES」。
「HEROES」の歌詞そのものに若干、使い方でえらい内容になる可能性はあるが、まあ、これはおそらく「反戦映画」ではあるだろう、と想像した。
俺が甘かったね。いや逆にむしろ、予感的中か。
本作は
異常なまでに仲間意識を協調したオープニングから、失敗してしかるべき作戦ミス(もちろん映画の描き方)から脳みそ筋肉の割に顔パンパンの主人公たち4人の判断ミスで逆襲に合い、司令官、総司令官そろってボンクラで、4人は4人で「ランボー怒りの脱出」よろしく弾は当たるが、なかなか死なず、途中、邦画の伝統芸である、「敵が待ってくれる」シーンをふんだんに盛り込み、一人また一人倒れるシーンを感傷的に描き、残った一人は、ちゃんと子供と現地人が助けに回る「ランボー怒りのアフガン」に突入。ここまでファ〇ク50回(推定)。どこが尊厳ある勇気ある軍人として描いているのかさっぱりわからないまま、
「We Can Be Heroes Just For One Day」
・・・・・おいおい。
ゲイブリエルが、ボウイが、この歌詞が、こんな使われ方をしちゃったよ。
実話をもとに、とは申し訳ないが、映画は「ランボー2、3」と「アルマゲドン」と何も変わらない。
むしろ実話をもとに、でこの作り方はちょっと許されないのではないだろうか?
この悲劇を「80年代風アクション」に作っておいて、「捧げる」とはどのツラさげて言いやがるってなもんで。
むしろ「ランボー2」にささげるってなら、全然OKだが。
追記
現地のいい人とタリバンの会話に字幕が付いて、何をしゃべっているのか分かるようになっているよね?本作、唯一彼らのセリフに字幕がつく場面である。
もうね、その時点でこの映画のスタンスが実話を言い訳にした、お涙ちょうだいの好戦映画としか思えないのよ?
他の多くのレビュアー様には、まったくもって申し訳ないが、俺はこの映画のすべての表現が、好戦映画としか見えない。