「登場人物がたった一人の映画を2本」オール・イズ・ロスト 最後の手紙 DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
登場人物がたった一人の映画を2本
映画はカメラ技術、撮影、舞台、音楽、音響効果、衣装、言語、歴史、時代考証、配役、すべてのジャンルを統合して作られる総合芸術だ。大型スクリーンでフルに映画館内に響き渡る音を全身で受けながら鑑賞するために作られている。だから映画は映画館で見なければよさがわからない。
映画製作にはとても大きなお金がかかる。いかにバジェットを抑えながら質の高い映画を作るか監督の知恵の使い方だろう。
登場人物がたった一人という設定で作られた2本の映画がある。「ALL IS LOST」と、「BURIED」。どちらもとてもよくできた映画だ。製作費を10倍以上、上回る興行成績を出した。芸術にとって、贅沢とはお金をかければ良い訳ではないということがよくわかる。どちらも忘れ難い作品に仕上がっている。
邦題:「オールイズロスト 最後の手紙」
原題:「ALL IS LOST」2013年作品
監督:J C チャンドラー
出演:ロバート レッドフォード
ストーリーは
男はヨットでインド洋を航海している。家族がいるのか、なぜ外洋に単独航海しているのかわからない。しかし慣れた帆の使い方、ヨットから眺める360度青い海から登る太陽、夕日を見つめる男の姿からは、余裕と真に海を愛する男の姿が想像される。
しかし不運は突然やってくる。貨物船から荷崩れして落としていった巨大なコンテナが漂流してきて、ヨットの横腹に激突し穴をあける。大急ぎで穴を埋めるが、終わらぬうちに大嵐が訪れてヨットは大海に浮かぶ木の葉のように波に遊ばれる。浸水中のヨットのマストが折れて男の頭を直撃する。
気を失っていた男が目を覚ました時には、船内は水に浸かりヨットは半没していた。GPSも無線の水に浸かって使えない。男は、ヨットを捨てて、救命ゴムボートに乗り移る。運び出したのは救命具、六分儀、水と缶詰。ヨットは沈み、やがて姿もなくなっていく様子を、ゴムボートから見つめる。運び出した頼みの水はコンテナに海水が混じって飲むことができない。六分儀で太陽の位置から現在地を予想する。徐々にボートが北上して流されていることがわかる。救命具に入っていた釣り道具で魚を釣るが、糸にかかった獲物はサメに奪われてしまう。大型貨物船が通りかかったので必死で発煙筒を炊くが、相手は気付かずに、ゆうゆうと横を通り過ぎていく。飲み物も食べ物もなく、希望も失われた。ガラスの瓶に助けを呼ぶ手紙を入れて海に流す。
漆黒の夜の海に遂に明かりが見える。男は最後の力を振り絞ってタライに日記帳をちぎって火を炊く。遠くに見える明かりは近付いてこない。錯乱状態になった男はボートの中にあるすべてのものを火の中に放りこむ。遂に火は燃えあがりゴムボートも燃えてしまう。男は海に身を投じる。静かな暗い海に沈んでいく無抵抗の男。そのとき底のほうから海上に光が差してくる。男は夢中で浮上していく。太い腕が男の腕をとらえる。
というおはなし。
最後の一瞬が感動的だ。この3秒のシーンのために105分の長い長い孤独な映画があったと言える。良い終わり方だ。見事だ。J C チャンドラーによる、76歳のロバート レッドフォード一人登場する映画。老いてもなおこの役者は美しい。
人が山に登るのも、ヨットで単独航海するのにも理由はいらない。人生が充実していてもしていなくても、生活に不満があってもなくても、人は山に登るし遠洋に出る。帰ってこられないかもしれなくても、全然かまわない。人とはそういうものだ。
邦題:「リミット」
原題:「BURIED」2010作品
監督:ロドリゴ コルテス
出演:ライアン レイノルズ
ストーリーは
2006年のイラク。アメリカ人ポール コンロイは米軍のトラック運転手として働いていたが、トラックごとアンブッシュに会って、誘拐された。気がついたときは棺桶の中に身を横たえて、その棺は砂漠に埋められているらしい。棺の蓋は鍵がかかっているのか、重くて持ち上げることができない。真っ暗な中で手探りしてみると、バッテリーが半分になった携帯電話とフラッシュライト、ライター、ナイフなどがある。突然携帯電話にかかってきた男の声に応えると、男は身代金を今夜の9時までに払わないと放置された棺桶の中で死ぬことになる、と予告される。
ポールは米軍国務省に電話して事情を説明するが、米国政府はテロリストとの交渉はいっさいしない。しかし軍の救助班が、君を救助するだろうと約束する。ポールは救助班に電話をつなげる。そうしているうちに近くで爆発音がして、棺桶の角が破損したらしく砂が音を立てて棺に流れ込んでくる。パニックに陥ったポールに向かって誘拐救助班は、、3週間前にもそうした米軍兵士が救助された事例を出して、ポールを安心させようとする。そうするうちに、ポールの雇い主から電話があり、ポールは自分がトラブルばかり起こしているという理由で会社から解雇されていたことを知る。死ぬ前に解雇されたら自分の死後、家族への補償金が一切出ない。ポールはあせる。自分を落ち着かせるように、田舎に居る妻に電話する。「一体何なの?」け気だるい妻の聞きなれた声。そして母親にも電話する。「自分は何も変わりなくやっているから元気でね」と、さり気ない別れの言葉。
誘拐救助班から朗報がもたらされる。「君の居所がわかったから、いまからドリルで掘り出してあげるからね。」ポールは希望を見出す。しかしドリルの音は聞こえてこない。やがて救助班の声、「違った、すまない、本当に済まない。」
遠くモスクからコーランを読む浪々とした声が聞こえる。棺桶のフラッシュライトが消え、漆黒の闇。
というおはなし。
登場する一人きりの役者が、狭い棺桶の中で身動きが極端に制限される中で、誘拐犯、イラクの米軍司令官、誘拐救助班、会社の雇い主、妻、母親などと、携帯電話を通してドラマが進行する。声だけの世界で、映画を見ている人々が、実際の映像をみているかのように豊かな想像ができる。軍人のプロフェッショナルな対応、妻の育児と日常生活に翻弄されている、あまり夫婦仲が良いとは思えない、教養も垣間見られない妻の口調、そして出来の良くない息子にも心優しいが、息子の心を読むことのできない母親。それぞれの性格や生活態度や、ポールとの結びつき方が、絵のようにわかる。95分間が、長く感じない。みごとだ。
究極の密室劇だから、閉所恐怖症の人が見たら気が狂うか、病状が悪化するから見てはいけない。