アクト・オブ・キリングのレビュー・感想・評価
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根っ子から腐っている
人類の発展のために、後世に残すべき、意義のある記録映画
人の複雑さが際立つ映画ー殺すという行為への考察
映像表現でまとめた論文。
虐殺を再現した状況を怖がって泣き叫ぶ子どもらを気遣う人物と、
1,000人殺したと自慢するだけでなく、
監督が「子どもには残酷すぎます」と止めるのを気にも留めずに、幼い孫に自分がやった拷問の場面を笑いながら見せる人物とが同じ人だなんて…。
どうして人が人を殺せるのか。そのことを殺した側はどう思うのか。
そのことに拘った映画のように感じた。
監督はインタビューの度に食い下がる。
「どうして?」
「あなたはその時どう思ったのか」
「今、どう思っているのか」
サイコドラマ、ロールレタリング、エンプティチェア…心理療法の技法。
被害者の立場を演じることで被害者の気持ちに気づいて、自分の罪を振り返るという効果を狙って、ロールレタリングは矯正施設でも取り入れられている。
監督がこれらの心理療法を知っていて、こういう映画にしたのかはわからないけど、アンワル氏にとってはそういう結果になっている。
アンワル氏の最後の、おもわずやってしまったことって、自分の意識が受け入れられない自分を知ってしまった時に良く出てくる身体反応。
自分の罪に向き合うことってこういうことなんだ。
この後、アンワル氏が自殺しないか心配になってしまった。
残酷な場面が出てくるのかと怖々観た映画。
グロい場面はフィクションの方がグロい。けれど実話の再現と思うと…。
尤も怖かったのは、アンワル氏が自分の孫に自分がやった拷問シーンや自分が殺される場面を喜々として見せようとしたこと。で、途中まで孫が笑っていたこと。
「殺し方は映画を参考にした」と言っていたけど、自分のやっていることも映画のヒーロー気分だったんだろうな。こうやって感覚がマヒしていくんだろうな。
社会の悪(共産党員)をやっつける。
それがやがて、力(暴力)で相手を傷つけることが面白くなって、濡れ衣を着せてまでという証言までも出てくる。
ー自粛ポリスやSNSでの批判・いじめ・パワハラ・モラハラ・セクハラ・DV・虐待・リンチと同じ。
アンワル氏ではない殺戮者が家族とウィンドーショッピングしている姿が何度も出てくるけど、家族は彼のやったことを知っているのだろうか?実際には手を汚していないけど、その行為による報酬で享楽している人々。実行していないからその罪は彼に押し付けることができる。でも得られる部分はしっかりと貰う。怖いな。
アンワル氏の行為を讃え、より”殺し”へと煽った人々は、今回はフォーカスされない。
唯一の笑いどころが、デラックス・マツコさん似のヘルマン氏の女装。
プレマンのリーダーでファシスト(殺人も実行)の彼がよくその役受け入れたなあ。アンワル氏の命令だから?
演技もそれなりに見られたし、本当に素人?と思っちゃう演技だったので、今ひとつドキュメント感に?がついちゃうのが惜しい。
私も、これをドキュメントと思わないことで否認しているのか?
「殺しと言う行為」
意義・意味を持たせることで罪悪感をなくせる。
意義・意味があればなんでも許されるともとれる。
でも、だんだん歯止めが利かなくなり、意義・意味があることにして行われる行為。
享楽として…。
色々な人の、そして彼らを許容している社会の闇について考えさせられる。
歴史に残る作品
おぞましい映画。
とんでもなくシュール笑
まず真面目な感想を抜きに印象を言うと、とんでもなくシュール笑
日本人視点で見ると、非現実、絵空事、な登場人物たちである。
まあ、日本の戦前くらい?か、いや、ほんと感想言うと、差別発言連発になりそうなのでやめとく。。
人にとっていかに教育が大事か。
ときどき挿入されるなんでもない雑然とした町の風景が哀しくも美しい。
映画夢心地レビュー
素晴らしい作品の完成度。深く心を奪われ圧倒され胸が張り裂ける今の時代に存在すべき重要な作品。感情を力いっぱい揺さぶられる。抵抗できない力強さ。忘れがたい!人は望む人生を送れるわけではない、夕食を食べる店や洋服を選んだり、学校や会社を選んだり、できるのはその程度だ。誰と出会うか、なにが起こるのか、人は悲しいぐらい選べない。こんなにも選べない中で、すこしも望んでいなかった試練と対峙することもある。すごい映画を観たという感動がこみあげてくる。今、観るべき傑作!
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罪と罰
1960年代のインドネシアで起きた独裁政権による大虐殺。
それも恐ろしいが、もっと恐ろしいのは、関与した者たちが何も罰せられず、お天道様の下をノウノウと歩いている事だ。
日本で言うならば、殺人も平気で行う凶悪ヤクザ一味が政治のトップに居るようなもの。
映画は、彼ら主演で当時の再現映画を撮るという名目で密着しているのだが…
彼らには罪の意識は微塵も無い。
それ所か、自分たちを英雄と思い、虐殺も英雄行為。
誇らしげに語る姿を見よ!
醜悪極まりない。
再現演技は愚の骨頂。
どんな理由であれ…と言うより、殺人は必ず罰せられなければならない。大虐殺など問答無用。
ラストの“吐き気”は、多少でも罪の意識を感じたなど擁護出来るもんじゃない。
罪に押し潰され、苦しめ。
カストロやゲバラのように・・・
古今東西、このような暴政者、悪政者は数多くいた。
カストロやゲバラのように血の粛清を繰返したにもかかわらず、
英雄のまま伝説として残るのは稀で、基本的には必ずツケがまわってくる。
本人自体に?子孫に?国家に?歴史に?
この出演者達も同じだ。
時代場所に拘らず、人間は誰でもこうなる可能性があるということ。
(道徳、教養、常識、愛情なんて無力だ!)
10年ほど前にも、テーマは似ているドキュメンタリー作品があった。
『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち 』
虐殺のアクトを演じさせるのは同じ手法。
こちらの虐殺者は10代の子供たちなので陰鬱度は高い。
この手の作品を命がけで製作した方々には、ホントに頭が下がります。
自分も含めて、傍観者や観察者、学問として捉えたい輩、
単に奇人変人や悲惨な出来事を欲する観客に向けて、
この殺害行為に対して、どういうアクトをするか?
Act of killing
[この殺害行為に対して、あるいは身の回りで起きている事に、どんなアクトをしてますか?]
と、勝手に副題をつけてやった・・・・ら吐き気がしてき・た・・オエッ!
知らなかった史実
最後に引き起こされた化学反応がすごかった
過去の惨禍の加害者が、現代に至って当時の被害者役となりその惨禍の歴史を再現する映画を撮ろうとする、何とも理解しがたい男たちのお話。
インドネシアではこうも当たり前にコミュニストが差別されているのかと驚くばかりで、悪乗りで大衆の前でコミュニストを虐殺するシーンを寸劇再現しても、罵倒や批判というものは皆無で、むしろ大いに盛り上がっていることに驚きを隠せない。これこそが過去の惨禍が残したものといっても過言ではあるまい。
虐殺の劇中劇が数多く展開され、見ているこちらも半ばうんざりするほどに呆れてしまうのではあるが、演技であるはずのそのシーンが、演じているのが過去の当事者であるからなのか、不思議なリアリティーを持つ瞬間が多々あった。それは単に事実を語るインタビューやドキュメント、あるいは下手な再現映像なんかよりもずっと身につまされるものがあった。単なる記録ではなく、起こってしまった出来事が確実に存在するといった感じだ。
劇中劇がすすむにつれて、そこで演じている惨禍の加害者の心境が徐々に変化していくさまが目に見えてくる。そしてそれがラストの思いも寄らぬ化学反応へと繋がってゆくのだが、その結果を自分は決して肯定的に捉えることができなかった。映画終盤で涙しそうになったときも、決して泣くべきではないとその瞬間の感情を打ち消してまったほどである。
これが次のルック・オブ・サイレンスに繋がっていったことがよく分かった。
アクト・オブ・キリングとルック・オブ・サイレンスをセットで見て良かった…かどうか分からないくらいにこの題材の根は深すぎる。
価値観の共有が大事
観るべき映画
こんなドキュメンタリーは見たことない。
虐殺の加害者が当時の殺し方を紹介しつつ再現ドラマを撮影していく過程を追っていく、なんて、こんな映画がよく撮れたものだと思う。
加害者が自慢げに語る過去話も、彼らにとっては罪悪感の裏返しなのだろう。それは彼らも自覚しているのだが、やはりどこか僕らの感覚とは違う。自分のやったことをあそこまで再現しようという気持ちが全く理解できないのだ。彼らはおかしくなっているのである。明らかに。
最後には被害者について、一つ思うところがあるが、どこか自分が神によって裁かれるのでは、という恐怖からきているもので、心からの謝罪のような感覚ではないように感じた。
とはいえ、この映画では、彼ら個人を浮き彫りにしつつも、それだけではなく、過去の、人間の歴史についても語っているように思う。ドイツだって、日本だって、アメリカだって、残虐なことをしてきたのだ。これは普遍的な人間の弱さとして捉えていくべきことであるも思う。そういう意味で全ての人間はこれを見るべきである。
こわすぎる
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