劇場公開日 2014年12月13日

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イロイロ ぬくもりの記憶 : 映画評論・批評

2014年12月9日更新

2014年12月13日より新宿K's cinemaほかにてロードショー

英語を話すメイドとの生活で変化していくシンガポール一家の物語

失職した夫が、妻にその事実を告げられずに悶々とするのは、どうやら世界共通であるらしい。「フル・モンティ」(97)や「トウキョウソナタ」(08)がそうであるように、「イロイロ ぬくもりの記憶」に登場する夫は、行くべき職場などないにもかかわらず出勤しつづける。彼は事実を伝える勇気を持てないまま、虚構の夫を、父親を演じるほかないのだ。シンガポールに住む中国系の一家を題材にした本作は、機能不全に陥った家族の顛末を描いていくが、物語は、彼らがフィリピンからやってきたメイドの女性を雇い入れることで、さらに大きく揺らぎはじめることとなる。

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本作のユニークさは、多言語劇ならではの重層性に尽きるだろう。劇中、家族は中国語で会話するが、メイドに対してのみ英語を使用する。複数の言語を操ることが当たり前のシンガポールではごく自然な設定だが、中国語ではどうしても口にできない言葉が、英語ではなぜかすんなりと伝えられるというモチーフは、この映画のテーマにぴったりと重なる。感謝の気持ちを伝え、知られたくない秘密であっても正直に告白し、許しを乞う言葉の数々が、家族にはどうしても欠かせない。しかしそれらは、中国語で伝えるにはあまりに生々しいものだから、伝えることがためらわれ、結果として家族のあいだには大きな齟齬が生じてしまう。唯一、異なる言葉を持つメイドだけが、彼らの思いを受け止められるのだ。

この映画に登場する家族に限らず、近しい間柄にあっては、独特の言語が生まれていくこととなる。家族にしか通じない言いまわし、恋人にだけ伝わる表現……。ことほどさように、人と近づくこととは、両者のあいだに特有の言語を生みだす過程であるだろう。そうして、お互いの価値観を日々すりあわせながら生きていくことは、幸福であると同時に、耐えがたく煮詰まっていく息苦しさでもある。あらゆる家族は、だから、新しい言語をつねに探しつつ変化していくことでしか機能しない。英語を話すメイドとの生活を通して、3人の家族が自分たちのための新しい言葉を見つけたとき、ようやく彼らはお互いの失敗を包み隠さずに伝え、許しあうことができるのだ。

伊藤聡

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