イーダのレビュー・感想・評価
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どのシーンを切り取っても絵になる美しい映画。 イーダのセリフはほぼ...
どのシーンを切り取っても絵になる美しい映画。
イーダのセリフはほぼないので、イーダの心にじっくりと思い巡らせる時間があって、でも手がかりはとても少なく、誰かと共感するのは難しい映画だと思った。
静かな流れとは逆に、感情をかき乱され続けた。
イーダ。
帰る場所があってよかった。
モノクロであることが逆に新鮮で、主人公のイーダの美しさを際立たせ...
モノクロであることが逆に新鮮で、主人公のイーダの美しさを際立たせている。彼女はこの映画しか出演しておらず、女優も今はしていないとのこと。貴重な一本。 修道女になる前に一度唯一の肉親である叔母に会ってくるように勧められるイーダ。でも叔母はイーダを引き取ることを拒否し続けている人物。なかなか会いに行くのも気が進まないだろう。でも会いに行ったことで、自分の出生について色々知ることができ、叔母との距離も近くなる。でも叔母さんは判事らしく、経済的にはイーダを引き取ることもできそうなのに、、、 おばの死後、イーダは思いを寄せる男性とも親密になったけれど、修道院に戻るのか?あのラストはどういう選択をイーダはしたのだろうか?
ふーむ
修道女になる前に唯一の親族である叔母ヴァンダに会いに行く。
最初冷たかった叔母が、何故かイーダの父母の埋葬された地を探す為に奔走を始める。その理由が分かった時、深い悲しみにやるせなくなる。
呆気なく死を選んだヴァンダはもしもの望みに賭けていたのだろうか。
イーダはそのまま俗世で叔母のように生きていくのかと思ったが、修道院に戻って行ったのね。どちらが正解という事は出来ないが
【ポーランド人が絶対に忘れない第二次世界大戦のドイツの蛮行の傷跡を、静謐なトーンで描いた作品。新旧のポーランド女性の姿の対比が印象的な作品でもある。】
ー 今作は「夜明けの祈り」を容易に想起させる作品である。 舞台は、1962年のポーランドであるが、今作品は、忌まわしき行為の傷跡を間接的に描き出している・・。ー <Caution! 以下、内容に触れています。> ・孤児として修道院で生活している18歳のアンナは、ある日、”修道誓願”を行う前に、唯一の肉親である叔母ヴァンダに会うように言われる。それまで、一度も修道院に来なかったヴァンダ。 ・訪れたヴァンダは、娼婦としての生活を送っていた。彼女は、”貴女は聖女、私は”マグダラのマリア”だから、お互いのために会わない方が良かった・・”と、告げる。 ・ヴァンダは、アンナは実はユダヤ人で、実の名はイーダである事。そして、イーダの両親、ルージャとハイムは戦時中に殺され、どこかに埋められたことを告げる。 ・ヴァンダとイーダは、且つてイーダの両親を匿いながらも、最後は殺害したと思われる男シモンの家を訪れるが、彼は病に臥せっており、入院していた。 ・シモンの息子フェリクスが懇願し、ルージャとハイムが埋められた森に案内し、自ら穴を掘り穴の中で深く頭を垂れたまま言った言葉。 ”自分が殺したんだ・・” そこには、ヴァンダの幼き息子も埋められていた・・。 そして、こう呟く・・。 ”イーダは幼かったから、神父に預けた・・。ヴァンダの子は、肌の色が褐色だったし、割礼もされていたから・・” ・二人は元の生活に戻るが、ヴァンダは自宅の窓から音楽を掛けながら身を投げる・・。 ー 元、検察官であり、”赤いヴァンダ”と呼ばれた自分の現在の境遇及び息子の最後を知った彼女には生きるという選択肢はなかったのであろう・・。ー ・イーダは、ドレスを身に着け、煙草を吸い、酒を飲み、ヴァンダとの両親の埋められた土地を探す旅の途中で知り合った青年リスと再会し、結ばれるが・・。 <「COLD WAR あの歌、2つの心」で知ったパヴェウ・パヴコフスキ監督は、彼の作品の前に、こんなにも残酷で、静謐な映画を製作していたのである。 そして、ポーランド人は、第二次世界大戦中のナチスが犯した蛮行を決して忘れてはいない事を再確認した作品でもある。>
知らなかった過去を受けとめて。
COLD WARがすごく良くて、イーダも見てきました。上映してくれてありがとう、京都シネマ。
強い作家性があり、その系統がとても好みです。
台詞は少なく、画も技巧的ではないのにとても雄弁で、いろんなことがわかる、解釈できるので、映画観たなーって充実感があっていいです。
さて、映画イーダは、アンナという孤児が主人公で、アンナは請願前の修道女見習いです。請願前に身内にあって来いとシスター?に勧められ、特に気乗りはしないものの勧めに従い叔母に会いに行く。すると叔母からアンナはほんとはイーダと言う名のユダヤ人だと知らされるのです。
2人はイーダの両親(叔母にとっては姉夫婦)の住んでいた家を訪ねる旅に出ます。
だいぶ端折ると、イーダの両親は叔母の息子を預かって育てていたが両親と叔母の息子は近所のポーランド人に殺されていて森に埋められていた。幼かったイーダだけが修道院に預けられ生き残ったんです。
イーダと叔母は3人の骨を集めて家族の墓地に埋葬します。
その後叔母が突然自殺します。そしてイーダは葬儀に訪れ、叔母のドレスやヒールを身につけ、酒とタバコを味わい、セックスします。
そしてその上で修道院へ戻っていく、という結末です。
ポーランドでユダヤ人がどんな扱いを受けたか、第二次世界大戦後のポーランドはどんな風かなど、知っていなくても観られますが、多少知ってると理解が深まるでしょう。
何も知らずに生きるより、辛いことも禁じられてる甘い果実も知れる範囲で知って生きていくほうが、なんぼかまし。イーダのそんな諦観が感じられて、胸に沁みました。
曇り空
常に曇天という感じの映画。主人公も、その叔母も、それに纏わる人達も心に霧がかかったようにすっきりしないまま話は進み、最後に主人公が一人の人間としてすっきりときりっとしたところで話は終わる。光と影の使い方が絶妙です。
イーダ
不思議な映画。ポーランドの歴史が影を落としたりするけれど、なんかアロイシスパーカーみたいなアルト吹きがnaimaをかましたり、ストレンジャーザンパラダイスを思わせるロードムービーみたいな瞬間があったりする。しかもコスプレ劇であり、時代劇でもある。まだ無理と彼女をもう一度だけ外に向かわせたのは、森の悲劇でも、叔母の悲劇でも、洋服、タバコ、酒、男の誘惑でもなく、もう一度だけnaimaが聴きたかっただけっていう凛とした話。実際このポーリッシュnaimaがやたら素敵で、うっとりする。
覚悟。
内容が重いので体調の悪い時は観ない方がいいと思う作品だが、
まずスクリーンサイズとモノクロ画面の懐かしさに圧倒される。
常に人物が下半分に位置して頭上に大きな空白が施されている。
修道女となる前に唯一の親族である叔母に会いに行ったアンナは
叔母から自分がユダヤ人で本名がイーダであることを聞かされる。
やがてイーダの両親の死の経緯を辿るべく二人で旅に出るのだが、
観る前に過去にポーランドではどんな事件が起きていたかという
歴史を知っておくと理解し易いかもしれない。虐殺という事実が
ユダヤ人とポーランド人に与えた犠牲と被害・加害者意識は重い。
イーダと叔母がそれぞれにどう向き合い受け容れるのかを描くが、
静かな画面に流れるジャズが心地良くて(バッハやコルトレーン)
一瞬俗な気分も味わえる。絶望から人間を救うのは果たして神か、
それとも自分自身か。束の間の恋愛を体験したイーダの視線から
揺るがない覚悟のようなものを感じ取ることができた自分だった。
(かなり静謐な80分。髪(神)をほどいたイーダの美しさに息を呑む)
沈黙と余白
沈黙と余白の映画。 優れたモノクロの写真集を見ているような美しい映像の連続。すべてのシーンが美しい。どのショットも静謐で寡黙なのに物語性がある。簡素なのに豊かな物語。 この映画その映像において大胆なことをやっています。 画面いっぱいに表現するのではなく、ほとんどのシーンの画面上半分が余白なのです。 映画館では最前列で見ることにしていますが、シネマート心斎橋だとやや仰角になりスタンダードサイズの画面がほぼ正方形に見えました。 ぼくの目からは正方形の画面で物語が画面の下半分でしか行われていないと縦長の画面に見えるのです。 監督がスタンダードサイズのアスペクト比を選んだのはおそらくそういう垂直性を表現したかったからではないかと思います。
難しいの
初めて映画館でモノクロ見た!新鮮だったけど、ちょっとストーリー理解できなかったな。
ユダヤの大量虐殺を逃れた主人公が両親の行方を探すのは分かったけど、その後の生き方が良く分からなかった。
でもセリフとか余計な描写がなかった分ストレートに表現できていたんじゃないかな(何が)
知って生きるということ
静かで、厚く、息苦しく、鮮やかな、二人の女性の「見知らぬ過去」と「おいてきた過去」を たどるロードムービー。 人は誰しも「自分が何者なのか」という問いを抱え続けている。 まして修道院で育ち、自分の親も家族も知らない若い女性なら、その疑問は生きていく上での 避けて通れない命題となる。 人は誰しも「あの時の選択が正しかったのだろうか」という置き去りにした過去の結末を 知りたいと渇望する。 生きていく上で、それを解決しない限り時の流れとともに人生を前に進めていくことができない。 孤児として修道院で育ったイーダと、その叔母。二人はそれぞれの過去を知り前に進むために旅にでる。 人が生きていく上で「見知らぬ過去」が存在すること、それは人生の時の流れを滞らせる錘となる。 人は当たり前に時の流れとともに、人生を前に前にと生きていきたい。 だから「見知らぬ過去」を知らねばならない。 二人はそれぞれの「見知らぬ過去」を知るために旅にでる。 叔母はそれを知り、絶望する。 イーダはそれを知り、絶望した叔母の人生を取り込んだうえで、自らに体験を問う。 ジョン・コルトレーンの「Naima」に乗せて、あらゆる「初めて」を自分がどう受け止めるのかと。 https://www.youtube.com/watch?v=QTMqes6HDqU もし自分が親の顔もなぜここで生きざるを得ないのかも知らず日々を過ごすとしたら 今と同じ心のテンションで生きることができるか。 自分が切り離した枝としての「過去」のその先を知らずに、心穏やかに生きることができるか。 「過去」と「今」と、あるかわからない「これから」を探す女性二人の生きざま。 それをモノクロでくっきりと切り取った、誠実な作品。 無理くり休みを取ってまで最終日に駆け付けた価値のある、沁みる作品。
神は救ってくれるのか
男は状況に流され罪なき人を殺し、良心から神に託した子供が再び己れを慚愧の念に追い込む。
神を信じず、現実から逃げていた叔母は、イーダに救われる可能性を感じ、真実を見据える決心をするが、すべきことを終えた(終えたと思い込んだ)結果、息子の下へ旅立つ。
救いの無い現実に触れたイーダは、同じような神への不信の中で、しかし叔母とは違う道を選ぶ。
愛した男へのラストの台詞
「あなたと海岸を歩いて、それから?」
「結婚して、子供を作って、それから?」
不安な顔をしつつ、イーダは故郷に戻る。
神に祈るために。
そのイーダを追うように、最後の最後にカメラは動き始める。
それはイーダへの問い掛けの様に、あるいは現代の我々への問い掛けの様に、「動く」。
戦後のポーランドを舞台にして、人間の弱さ、神と信仰を描いた作品。傑作。
静謐。
終了間際、評価も良かったので慌てて見てきましたが観て正解でした。 IDA、でジャーンと始まりIDA、でジャーンと終わる。モノクロの画面、祈りの静謐さが美しい。何と言っていいか難しいけれど、じんわりと残るものがある。 時間を置いて、またもう一度この感情を味わいたいです。
少女の葛藤を類い稀な映像が鋭く演出
孤児として、修道院に育ち、修道女になるための誓いの儀式を済ませる前に、唯一の肉親である叔母にあい、自らにまつわる様々な衝撃的な事実を受け入れ成長していく物語。
しかし、時代の波とはいえ、真実は少女にはあまりに重たくのしかかる。自らの名前がイーダであること、ユダヤ人であったこと、ユダヤ人だった両親は街の知人に殺されたこと、叔母には息子がいて、それも一緒に殺されたこと…。修道女として全てを神に捧げるべく育てられたイーダは強くアイデンティティを保とうとするが…。同じように事実を受け入れられなかった叔母の死で、その自我が崩壊しかけて…。同僚が修道女になるのを尻目に、キリストの像のまえで泣きながら「まだなれないわ」というシーンがとても印象的で、決意が揺らぐ心の内を吐露しているようで、とても悲しい気持ちになりました。時代の波に翻弄されながら、これだけの事実を受け入れて少女は大人になり修道女に…。
映像がとにかく素晴らしい。全ての映像が余韻を残す。病院で息子が殺されたことを知り、泣き崩れる叔母を抱きかかえるシーン、叔母が飛び降り、残された部屋の余韻、両親が埋められているという場所に行く3人のシーン、頭巾?を外し女性髪をほどき街にでるシーン、叔母のドレスを着てなれないヒールで歩くシーン、幸せなベットで彼に背をむけ目を見開き何かを思うシーン…。全てが彼女の計り知れない心情を物語っているようで、とても美しく悲しく切ない気持ちになりました。
印象的な映像です
久しぶりに欧州っぽいというか、抑制された言葉と固定されたカメラ、モノクロの映画を見ました。印象に残る映画でした。最後の主人公の選択ですが、「あれっ、誓いの前だからといっても、それでもいいわけ?」というのが感想です。
考え抜かれた静謐な映像。
モノクロームのフェルメールの絵画が続くような映画です。余白を効果的に使った映像が多く現れます。じっくりと映像を味わいたい人にはうってつけの映画です。画面は移動撮影はせず、固定されたままですが、最後の最後に主人公が、何かを決心し、歩き出す場面で激しくカメラが動き出します。巨額の資金を注ぎ込んだハリウッド映画や暴力描写の多い日本映画に飽き飽きしている人は必見の作品です。フランス文学者の蓮実重彦さんが絶賛しそうな映画でもあります。不満だったのは最後のエンドロールで端の文字が切れていて読めなかったことです。余りに、幕を画面に食い込ませてしまっていたのでしょう。本編でも欠けていた場面があったのか、と思うと少し損した気分になりました。それから、あちこちに動く字幕、画面の下に横書きで出たかと思うと、画面の右上に縦書きで出たりします。もう少し、なんとか統一できなかったのでしょうか。これでは映画に集中できません。 残念なのは、上映しているシアター・イメージフォーラムがあまりに狭いことです。ロビーが猫の額ほどしかなく、そのため、観客の入れ替えのときは、芋を洗うような大混雑となります。客席もドリンクホルダーもついていません。「収容病棟」のときもそうでしたが、空調があまり、効いていませんでした。特に夏場のこの劇場に行くときには、水やお茶が入ったペットボトルが必須でしょう。熱中症にでもなったら大変です。
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