17歳のレビュー・感想・評価
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まだ、少女なのにスケベな演出家に無理矢理に、裸!?
1970年代の初頭位からフリ●セックスと言う概念が日本でも流行った。それが、曲解されて、いつしかポルノグラフィ●になり、裏本、裏ビデオと発展し、AV配信、裏配信、ファイル交換迄にいたり、僕個人にとっては、今では、他人の裸やマグアイ等のどうでもいい情景になった。しかし、僕にとって気になる事は、フリ●セックスと言う大事な概念はどこかへ吹っ飛び、派生した少女が身を売る行為だけが、残ってしまったことだ。勿論、年齢にみたない行為は、違法ではあるが、女性が身を売る行為はフランスの周辺諸国では禁止されているわけではない。だから、公然と残っている。
さて、どんなに言い訳をしようと、明らかに親父目線のロリータ●●●●●●●映画である。この映画で彼女の裸体を性的に美しいと思った生物学的に男の方はアメリカンハ●ドコアを見る事をおすすめする。それに対して性的に幾ばくか興奮された生物学的に男の方は、当該映画が美しくもなんともないと思えるだろう。哀れなペド●●●●そのもので、まだ、少女なのにスケベな演出家に無理矢理裸にさせられ、この映画で言う女にさせられてしまう。彼女の悲壮感を感じるだろう。
如何なる宗教や習慣であっても、女性が身を売る事は、そんな安易なものではない。それは裸になることも同じだと僕は思う。最後の奥さんの女優を見てガテンできた。彼女の老齢なヌードのほうがきれいに感じた。
この演出家は昔から生息する助兵衛以外の何者でもない。
【”若くて美しい”少女から女へ変化する17歳の夏のバカンスでの処女喪失からの一年間を描いた作品。主演のマリーヌ・ヴァクトの蠱惑的な美しさも印象的である。彼女が年齢相当の恋をする日はくるのだろうか。】
ー 今作をフランソワ・オゾン監督が公開したのが、彼が45歳の時である。何となく、悔しい。何故ならば、その年でモデル出身の美しきマリーヌ・ヴァクトにあのようなエロティックな演技を納得の上で演じさせ、最後にはシャーロット・ランプリングまで重要な役で出演させているのである。
それは、彼の映画監督の手腕と作品製作意図が見事であるからであろう。-
■パリの名門学校に通う17歳の少女イザベル(マリーヌ・ヴァクト)。
バカンスに訪れたビーチでドイツ人青年と初体験を済ませた彼女は、SNSを通じて知り合った不特定多数の男たちと売春を重ねるようになる。
そんなある日、彼女に対して紳士的に接して来た常連の初老の男ジェルジュがイザベルとの行為の最中に腹上死してしまう。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
ー マリーヌ・ヴァクトを劇場で観たのは、今作の4年後に公開された「二十螺旋の恋人」である。作品自体がミステリアスで、エロティックで私が、フランソワ・オゾン監督を知った作品でもある。ー
・今作で17歳のイザベルを演じたマリーヌ・ヴァクトは当時22歳であるが、その妖艶さにはヤラレルし、あそこまでのセックスシーンを良く演じたモノだと思う。
だが、観ていてそこには猥雑感はない。
ー 一部、変態的な性交を求める男のシーンは除く。-
・イザベルがドイツ人のフェリックスと初体験をしても、彼女の表情は余り変わらない。
ー ”セックスってこんな程度なの?”と言う感じである。本来、セックスは人生の愉しみであるはずなのに彼女は、どうもそうではないらしい。
その理由は私の勝手な推測であるが、彼女の本当の父親が離婚していておらず、母親のパートナーと上手く行っては居るが、心のどこかに寂しさを感じていたのではないかな、と思うのである。
そう思うのは、彼女が“裏の顔で売春婦”を始めた際にも、客は全て父親世代の男だからである。その中で、特に彼女に優しく接したのが初老の男ジェルジュなのである。-
・それにしても、劇中彼女の母親が口にするとおり、親として性に関心を持つ子供に対するセキュリティが甘すぎる。
イザベルは普通にエロサイトを観ているし、そこから自身を”レア”と言う名で登録している。
<ラスト、ジェルジュの妻だったアリスを演じたシャーロット・ランプリングのラスボス感は半端ない。
あの、独特なグレイの瞳でイザベルを少し微笑みながら見つめ、”貴女は本当は何歳・・。そう、私も最初は17歳だったわ。”と言って、夫が亡くなったホテルの6095室をイザベルと共に訪れる。
そして、”貴女の料金は”300ユーロだったわね。”と言って金をそっとテーブルに置いて”夫はどうだったの?”と聞くシーン。
その後、イザベルは想いを寄せてくる若い男と一度寝るが、直ぐに別れを告げ、”レア”が使っていた携帯電話にSIMカードを入れるのである。
ウーム。恐ろしき17歳の美少女である。彼女が普通の年齢相当の恋愛に目覚める日はくるのであろうか・・。
で、一言。【お父さんは、許しませんよ!!】>
観たかった度○鑑賞後の満足度◎ 少女から大人へ変化する…とか17歳の性を繊細に大胆に描いた…とかの謳い文句はこの映画の本質を理解していないように思う…
①♪︎誰もいない海…二人の愛を確かめたくって…貴方の腕をすり抜けてみたのォ……走る水辺の眩しさ…息もできないくらい…速く…強く…抱き~しめに来て…好きなんだもの…私はいィまァ…生きている~♪︎(『17才』南沙織、私が初めて好きになったアイドル、スゴいもんでいまでも歌詞、丸暗記してる…)
というのが世間一般の17歳についてのイメージかな…
本作のイザベルは17歳だけど一般的に17歳(って言っても本当は“一般的”なんてもの有って無いようなもんだけど)でイメージされるような娘ではない。
ちょっと変わっている(処女を捧げたフェリックスにも「君の姉さん、チョット変わってるね」と言われるぐらいだから)。
17歳を代表するような娘ではない。だから『17歳』という邦題はちと外していると思う。
原題の
酸っぱい葡萄をしたかったのかな
どうして売春に走ったのか?
色々と解釈はあると思いますが、個人的には酸っぱい葡萄をしたかったのかなと?
マスターベーションするくらい性に元々興味があったんです。
きっと初体験はこの上ない悦びがあるに違いないと期待していたのに、ドイツ人彼氏とのそれは存外につまらなかった。
肩透かしを食らってもやもやした感情をおさめるには、そもそもセックスなんて大したことないと主張する、つまりは酸っぱい葡萄をする必要があったのかなと。
売春は彼女にとってはただの主張なんです。
セックス?それが何か?って言いたいだけ。
だから売春中に感じるわけがない。
大したことないはずのセックスをするために大金を払う大人を小馬鹿にもできて、思春期の彼女にはうってつけの方法に思えてしまった。
友人には処女で通して密かに一歩先ゆく優越感を覚えるし、セックスで悩んでいるならアドバイスだってしちゃう。
だってセックスくらい知ってるもんふふふ。
そんな彼女でも父性に飢えている部分があって、それを少し埋めてくれそうなリピーターを獲得した途端、腹上死されて全部バレてしまった。
バレた所で結局また売春に走る彼女を止めるには、大したことのあるセックスをしてくれる相手に出会うしかないのかなと。
かつて17歳だった者たち...
少女と女性のあいだ?
この監督の、危険でわかりにくく美しい若い女とその扱いに苦悩する中年女性という構図は違う作品でも観た気がするなぁと思いながら鑑賞。この関係をかくのが上手だと思う。今回も台詞や表情に引き込まれた。
主人公が本当に美しく、誘われれば誰も断れないと思わせるのにぴったりだと思った。カウンセリング中の精神科医をつま先からゆっくり上へ撮るシーンがあったが、この医師も彼女にハマるのでは!?と思ってしまったほど。これくらい美しいと実の母親が怖れたり嫉妬をみせてしまうのも納得いく。
売春がバレた後の母娘がとても興味深い。娘を愛してるし大切にしてるけど、2人きりで夫(義父)を挑発してる娘を見て複雑な想いで「娘に吐き気がする」と泣く母親が印象的だった。実父が不在だから、中年男性を客に選んでたと結びつけたくなる所だが、この娘の気持ちはよく分からなかった。
それにしても洋画で観る女子高生の大人びた感じ。(心はまだ未熟…ということだろうけど)全然少女ではないから厄介だよな…
ブランチの食卓でのシーン。主人公がいない中、家族とボーイフレンドとの会話がフランスだなぁと少し面白かった。
最後シャーロットランプリングの存在感が凄い…穏やかに冷静だけど本当はどう思ってる?と探ってしまう表情、かっこいい。
17歳の心境
男的な17歳女子
官能的で美しく、危うい17歳
多感な17歳の性を描いた思春期ドラマと見るか、下世話映画と見るか、変態エロ映画と見るか。
家族と訪れたバカンス先で初体験を済ませた17歳のイザベル。
パリに戻った彼女は、売春に手を染める…。
何故イザベルは売春をするようになったのか。
イザベルにとっては初体験は余韻に浸れるものでも、感想も無い素っ気ないもの。
売春で幾度も事を重ねても、ただ淡々と。
もっと性を知りたくて、情事が好きで…という感情でも無い。
盲目的な17歳の性。
多くの男たちの中で、常連客となった初老の男性。
その男性にだけ、少なからず感情を見せる。
が、ある時その男性との事の最中、思わぬ事件が。
それがきっかけで売春がバレ、母は怒り悲しむ。
イザベルの本心は説明的に描かれない。
終盤、ある人物との対峙を通じて…。
フランソワ・オゾンの演出は、サスペンス的でもあり繊細に、17歳の少女を見つめる。
しかし何と言っても、主演のマリーヌ・ヴァクト。
華奢目のスリムな身体に、ほどよい多きさの胸。
可愛らしいと言うより美しさが映え、艶かしいエロスの匂い立つ。
やっぱり本作は、彼女を見て、彼女に魅せられる、官能美映画かもしれない。
10代のうちに一度見るといいかも
オゾン
思いの外面白いと思ったらフランソワオゾンやった。納得。
南仏のバカンスでひと夏の恋とか、秘密の売春とか、フランス映画ではド定番のテーマやのに面白かったのは、その後日談がメインやから。
本人の口からは具体的なことは何も語られないけど、適当な男と初体験する気持ちとか年上の男に相手してほしい気持ちは女なら誰でも経験ある。でも実際行動してしまった意味は良くも悪くも大きい。ジョルジュの妻に言われた「勇気があってすごい」との台詞は嫌味が無い分ストレートに響いたやろうな。
余談ですが、モニカベルッチの「女には誰でも娼婦願望があるのよ」って言葉を思い出した。
彼女がこれからどうなるか、はっきりしないまま終わったのがよかった。きっともう売春はしないやろうけど、普通の高校生活も無理やろうし。17歳でしかできない経験、羨ましい気もする。
フランス女性エロくてよい。
フランス映画の性に対する独特の向き合い方がとても好き。
売春してる娘が老人を腹上死させて帰って、おでこの傷を母親に見せながら「まるで男の子みたいね」とか言われてる感じが最高です。
なんともフランス的な映画、普遍的な青春
オゾン監督はどうしてこうも揺れ動く青い少女の心がわかるのだろう。少女のやるせない姓への憧れと無防備な好奇心、まるで自分が見てきたような流れで、圧倒されました。最後の大人の女の登場で、背伸びした自分から素の自分に戻ったようなあの表情がこの映画の完成度の高さを現している。
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