インサイド・ヘッドのレビュー・感想・評価
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感情が踊り出す超娯楽作!
ピクサーが「トイストーリー」を制作・公開してから20周年を記念して制作された、CGアニメを2D吹替版で鑑賞。
今回は11歳の女の子の頭の中の「感情」が主人公ということで、
一体どんな話になるのか期待と不安が半々だったのですが…、
ピクサー至上、BEST1の出来でした!
もうオープニングからひたすら号泣!
真夏の汗のように涙がだだ漏れ…。
目玉がもげるかと思いました。
CGアニメでここまで泣かされるなんて、「トイストーリー3」以来です。
となりが女子高生のグループだったので、34のおじさんがヒクヒク嗚咽を漏らして、かなり恥ずかしかったです。
さて本題…、
鑑賞前は、主人公の頭の中に住む感情「ヨロコビ」「カナシミ」「イカリ」「ビビリ」「イライラ」が、
それぞれの感情以外の感情を出してしまっては、
この世界観自体が台無しになってしまうのではないか、キャラクターがとても描きづらい題材だな、と危惧していたのですが、
そこを「成長」というファクターを通して描いていて、なるほど納得いきました。
初めはそれぞれの感情でのみ行動していたのに、
感情同時で影響しあい、それぞれの感情をも表現できるようになって、より深い人間形成がされていく…。
という、映画としての着地と11歳の少女の成長とが、うまくはまっていました。
また、「頭の中」という複雑な構造を至極わかりやすい世界観で表現しているので、
無駄なツッコミを考える余地なく「なるほど、具体化するとそうゆう感じになるのか」と納得できますし、
実生活上でも「幼少期の記憶でなぜかあのシーンだけ覚えてる!」とか「あの頃はハマってたけど、いつの間にか好きじゃなくなった趣味」とか、
そういった記憶のアレコレを観客がおのおのの体験をもとに咀嚼して追体験できる構造になっています。
また、登場人物によって、感情を指揮しているキャラクターが違うのも、よく考えられているところです。
ママの内面はカナシミが指揮をしていたり、パパの内面はイカリが指揮をしていたり。
それぞれの成長の中で核となる感情が次第に形成され、その影響を受けて現在の思考がなされている。
表現するのはとても複雑なはずなのに、具体的に明確にコミカルに視覚化しています。
邦題は「インサイド・ヘッド」ですが原題は「インサイド・アウト」というのも興味深いです。
「自分の内面が、環境・他者に影響をあたえる」という言葉で、
邦題よりもより深いテーマに感じられます。
実際に、主人公の内面が変化したことによって、状況がみるみる変化していきます。
それは環境や他者のせいではなく、主人公の感情が引き起こしています。
逆に、そうなるまでの主人公は、ヨロコビによって、無理に笑顔でいたり、無理にポジティブを装ったりと、精神的な負担が大きかったように感じます。
精神の崩壊と再生を、こんなにもわかりやすく、具体的かつコミカルに描けるなんて、
脚本家・監督の手腕は、まさにアカデミー賞ものだと思います。
また、「少女の成長」という題材に、鑑賞中「千と千尋の神隠し」を連想してしまいました。
全くアプローチは違いますが、境遇や着地点など共通する箇所があり、もしかしたら影響を受けて創ったのでは、と勘ぐってしまいました。
今回は一見すると、かなり大人向きに創られている印象ですが、
脳内のハチャメチャ感や、起こる出来事の数々は理解不能なドラッグ映画のようなので、
子どもにもハマる要素は満載です。
この夏、ぜひ親子で観に行って、
鑑賞後はお子様をギューと抱きしめてあげてください。
カナシミが今ひとつ。
思春期にさしかかる女の子の頭の中を感情毎に擬人化した物語。
以前に観た「脳内ポイズンベリー」の少女版といった感じか?と
思っていたが、うーん同じようでも描き方はかなり違っている。
良いか悪いかは別として、テーマは非常に分かりやすいものの
これ、子供が観て楽しめる話かなぁ?と思ったところが大きい。
何もアニメーションは子供だけが観る訳ではないし、また子供
だからといってそこに迎合したお話が面白いという訳でもない。
いずれこの感情がどういうことかアナタにも分かるよ。という
優しい意味での事前予習にはなるが(意地悪い言い方をすれば)
田舎で自由奔放に育った1人娘が都会に引っ越してきてから
何もかも馴染めず、そこへ両親も荷物や仕事のことでイライラ。
頑張って街へ出たものの、ピザはまずいし(これは失礼だよねぇ)、
学校も楽しくない、クラブに入ったけど楽しくない、帰りたい、
私は戻りたいのよ!っていう、単なる我儘娘の話じゃないか!と
思ってしまった(すいません)。ただこういう感情が環境の変化や
思春期・反抗期特有の乱れなんだよねぇ。というのが分かるので、
ウンウンと頷きながらは観られる。因みに室井祐月さんですか?
と間違うほど似ていると思ったヨロコビと、これは見た目ならば、
確実にあの芸人さんがいいのでは?と思ったカナシミがメインの
感情キャラクターで、ある事件で脳内から弾き出されてしまった
二人が司令部に戻るべく奮闘する様子がアトラクションのように
描かれていく。なかなか戻れない二人に少女ライリーはどんどん
反抗度を増して暗く落ち込み、いよいよ家出を決行してしまうが…
残された感情達の司令で、両親とのやりとり、学校でのやりとり、
などそちらがメインのシーンは分かり易いものの、ヨロコビ達の
冒険がメインになった途端ライリーの日常から遠ざかってしまう。
感情とのリンクをもっと観たかったのでそこが非常に残念だった。
(本当はカナシミに共感できなきゃなのに、ビンボンだもんなー)
ありがとう。自分の感情に向き合う勇気をもらえた。
男一人で行ってきましたが、家族連れ、カップルに挟まれる中上映中に二度も泣いてしまいました。。。
感情を伴った思い出こそ本当に素晴らしい宝物だなとこの映画に改めて教えてもらいました。感動だけではなくピクサーらしい誰にでも共感できるわかりやすい笑いが、ちりばめられていていや~最高でした!また映像、見せ方がきれい!創造的なアイディアで表現されたアート空間に引き込まれる。
しかし話の展開、ゴールがはっきりしている分、それだけ見てしまうとただ女子がホームシックになって、家出未遂、心の中は空っぽ。。。みたいな感じでつまらないかも。
カナシミが持つ共感するフィルターを通すと、映画の物語と今までの自分の物語がリンクして、涙が止まりませんでした。思い出、その時に感じた感情の尊さをこの映画に思い出させてもらいました。
僕はこの映画を見てまた明日から、素敵な思い出ができるように頑張ろうと勇気をもらえました。
内容について(私なりの理解、感想)
ライリーは生まれ育った街を離れ、サンフランシスコに移り住む事になる。ライリーはヨロコビを大切にしている女の子であり、ビビリ、ムカムカ、イカリ、そしてカナシミを必死に抑えようとする。クラスでの自己紹介の際にこみ上げてきたカナシミを抑え込もうと葛藤するが、無理に抑えようとするあまり、大切にしていたヨロコビ、思い出も制御室から失ってしまう。そして大切にしていたはずの思い出(の街)は次々に崩壊してしまう。
更に昔は色んな空想をして遊んでいたビンボンと一緒に最も大切にしていたヨロコビも完全に失いかける。
このビンボンを消滅させる演出を嫌う人もいるけど、この演出はキャラクターの心情レベルでみると自己犠牲の精神が、レイリーの心情レベルでみるとライリーの成長(=過去の自分との別れ)過程、そして思い出は非常に尊いものであるというメッセージまで含めた効果的なシーンではないかなと思う。
最後は否定し続けていたカナシミ受け入れ、ヨロコビと一緒に制御室に戻ってくる。ライリーは大きなよろこびの思い出がある分、
大きくなって堪えていたカナシミを両親の腕の中で解放させる。カナシミを受け入れることで本来最も大切にしていたヨロコビを取り戻す。
ピトー・ドクター監督は感情はその人の個性の源であり、自分の中の全ての感情を認めることの重要性を教えてくれたのだと思う。感情から目を背け、無理に押さえ込めば、自分が本来大切にしているものも忘れ、失いかねず、素直に感情を認め、折り合いをつけることで人の成長があるということ言っていたのかな?
ピクサー至上最大の傑作でしょ、これは。
見る前はそれほど期待来てなかったんだけど、見終わったあとはいい意味で裏切られた。今年一番の出来の映画といってもいい。
一人の女の子の心の動きを通じて、人間の感情を巧みに説明している点が素晴らしい。それぞれに感情があって、性格があって、どれ一つ同じ成長をしていない点、過去の積み重ねが、今の自分を形作っている点。ダイレクトだけど、分かりやすくとても楽しく完成されていて、作成者は天才ではないかと思う。
実は、製作した監督の実体験がもとになっている。監督の娘さんも同じ境遇にあってたらしく、その時に監督自身が精神や脳科学を勉強来たことが盛り込まれているらしい。
人間には、喜ぶ感情も必要だけど、悲しみを感じて、皆で悲しみを分かち合うことも必要なんだという結末も美しい。
必要ないと思っていたものが、実は自分を形作る上でも必要だったというドンデン返し、(これは見なくても分かってたけど)、は本当に人生の勉強として必要。皆はアニメを見つつも人生を学べるのだ。素晴らしい映画ではないか。
泣けるポイントが、本当にいくつもある。昔の思い出を語るシーンだけで泣ける。涙もろすぎという話もあるが。
子供の頃の架空の友達が、最後に自分を犠牲にして後押ししてくれるところは最高に泣ける。自分も、こうやって大人として成長してきたんだなあと感じて大人が泣けるシーンだと思う。
悲しみや怒り、イライラや、恐怖、そして喜び。それらは実は混ざり合って出来ている。幸せは全部あって満たされる。本当に心を満たしてくれる映画だった。
鑑賞後、過去の思い出を振り返りました。
それぞれ、感情が擬人化されているのでヨロコビが泣いたりもするが、まぁ擬人化という事で絶望した時に泣くのは普通なのでそこまで違和感は感じなかったです。
おふざけの島が崩壊する時には、自分もあんな時期あったなーとか、ビンボンみたいに自分も頭の中で架空のキャラクター作ってたなと思い返したりしました。
本編開始前にドリカムの主題歌と一般の方の思い出写真が写し出されますが、ポカーンでした。アニメ観に来てるのに三次元の知らない人の思い出写真見ても知らねぇーよ!って感じるし、主題歌は『ライリーライリーこっち向いて〜』ってライリーの情報まだ何もないのに最初に主題歌ブッ込んじゃうの!?
アレは無いわ〜
びんぼん
びんぼんのところで泣き始めたら涙腺ゆるゆるでした(笑)
悲しみがどうして必要か、というようなキャッチフレーズで、感情たちの大冒険があるのかなと思っていたのですが
絶対大人向けの作品でした。
思い出のゴミ箱に捨てられて行く無数の思い出は小さい頃の大切な思い出です。でも、成長するためにはその思い出をいつまでも持っているわけにはいきません。だから小さい頃大切な空想の友だちだったビンボンも大人になるステップとして忘れなければならなかったのかもしれません。自分にもそんな思い出があっただろうし、捨てたくなかったものだってあったかもしれないけど、大人になるにつれ忘れてしまったのかなと思うと本当に切ない気持ちになりました。
ライリーにとって転校は一つの壁でした。そこで感情がコントロールできず性格の島を壊していってしまいますがそれも成長のために必要なことです。
反抗期思春期を過ぎて感情の起伏が少なくなって、小さい頃の思い出もたくさんは残っていない今、大人になることの切なさというか子ども時代のはかなさというかまぶしさ、を感じてしまいました。
悲しみ必要なくね?って思ってしまった。
悲しみはネガティブし余計な事しかしない。はっきり言って邪魔だった。
悲しみの知識が役に立ったがそもそもお前がヘマしなかったらこんな事にはならなかった。
もう少し工夫出来なかったかな。
家族連れの子ども達もすごく退屈してた。
それとドリカムの主題歌は最後に流す方が良かったな。
今年の夏はジブリもイマイチらしいし… なんだかつまらんね。
8月公開のテッドとジュラシックパークに期待です。
パパとママへ
きっとよく練られた脚本なんだと思う。
揶揄しすぎて、複数の意味を有するものまであるのだろう。
子供への応援歌なのかと思って見てたら、パパママへの子供の取扱説明書みたいな側面もあったように思う。
子供がこの作品をみて直感的に理解できるような事はそう多くないように思う。
自分が子供を持った時に、一つのガイドブック的な位置づけになるのかしれない。
うがった見方をするなら、育児疲れを感じる親たちへ、清涼飲料を勧めるような感じか?
この作品を見て、自分たちの行動を見直すキッカケを…なんて事まで朧気に考えてしまう。
脳内会議的な話しなら、脳内ポイズンベリーの方が身近に感じられた。
ま、ディズニーだしな。
感情はなくしちゃいけないよね。
愛とか優しさとか幸せとかを見るとそれだけで泣ける年頃の私はしょっぱなの赤ちゃんライリーで泣きそうでした。
忘れられない出来事も風化してしまった思い出も全て、その一つ一つの積み重ねで今の自分ができているということを、わかっていたようで考えたことはなかったなと思いました。
成長するにつれ一つの感情だけでは片付けられない事が増え、でも「いろんな混ざりあった感情を持ちながら大人になっていくんだ」という意味のマーブルもようの玉が、最後たくさんあったのが印象的でした。
キャラクターがそれぞれ魅力的だったし吹き替えの竹内結子さん大竹しのぶさんがぴったりでした。
ドリカムの主題歌はぐっときました。
ディズニーだけどわりと大人向けな話だったような気がします。
最新式の操作台には「思春期」なるものがあったけれど、このときには今にもまして感情たちはライリーに四苦八苦することでしょう。
目に見えるようで、ちょっと笑いました。
感情について考えたことない人にはオススメ
あらすじに不安を覚えつつも、PIXARだからと期待したが、やはりこじんまりとした作品だった。
こじんまりとしてしまうのは内面の話だからというのもあるだろうが、構図にも問題がある(ただ、PIXARアニメにスケール感が求められないのであれば問題ないが、歴代の作品を観ても、どれも大きな世界での冒険・戦いが描かれているので)。
どういうことかと言うと、指令塔から迷子になったヨロコビたちが、事あるごとに指令塔(つまりゴール)の位置を確認する点がマズいと思った。例えば『トイ・ストーリー』も主人公たちはおもちゃなので、同じく舞台のスケールは小さい。しかしゴール(=アンディの家)の方角、ゴールまでの距離が分からないので、本当に帰ることができないのではないかと途方にくれる(ガソリンスタンドでのシーン)。しかし今作は、すぐあそこに帰ることが出来れば上がり・と早々に示され、主人公たちの行動範囲が把握出来てしまうので、スケール感が小さくなっている。しかも「すぐあそこ」なのに90分近く焦らされる。
物語としても決して駄作ではないのだけど、感情についてのヴィジュアルアイデアを小出しにしていく、言わばお笑い映画(重ねて言うが悪い意味ではない)。
悲しみが何故必要かなんてことはとっくに知っていて、でもPIXAR(またはアメリカ人?)ならではの解答を期待した。でも想像の範囲内だったので残念。感情について思考を巡らせたことのない人には、考えるきっかけになると思う。
また『モンスターズ・インク』での大量のドアや『カールじいさん~』での大量の風船などに通じる、「色とりどりの大量の何か」というのは監督こだわりのモチーフなのか、という発見をした。
吹き替え版を観たが、竹内結子のバカポジティブさと、大竹しのぶのメンヘラぶりが遺憾なく発揮されていて適役だった。
非常に苦痛でした 子連れの方はいつもの夢のディズニー映画と思ってみ...
非常に苦痛でした
子連れの方はいつもの夢のディズニー映画と思ってみるとえ?と思います
他にはメッセージ性が無さ過ぎると思います
私が鑑賞した劇場では何人か退出しました
ディズニーの歴史を潰すような酷い作品です
この作品を例えるなら
悪役も、メッセージ性もない訳のわからない劇を
2時間程度鑑賞しないといけません
ビンボン!
期待どおりおもしろかった。
そして、大人向きの映画だ、大人が感じることがあると思う。
マイナス思考な私だからjoyを若干うざいなぁ、とか思いながら見ていたけど、人間のいろんな感情があってもいいこと、あるべきことを再確認させてくれる映画。
ピクサーらしい感情の5人の細かい動きに笑ったし、ビンボンがひたすらかわいく切なく涙出た。
焦った時、紙袋吸ってたfear、足を出すsadness、Justin bieber 的なライリーの理想の彼にも笑った。
ドリカム好きだけど、あれはないわ。
あの邦画よりも
ちょっと前に同じようなコンセプトの邦画が公開されていたが、それよりはるかによく練られた脚本だった。
最後の帰還シーンだけはそこに至る苦労を考えるとアッサリしすぎな印象もあるけど、とにかく楽しめる作品だった。
カナシミを受け止めてくれる人がいるというヨロコビ
ピクサー久々のオリジナル作品は、11歳の少女ライリーの
“感情”が主人公、というユニークなアニメーション。
『さすがは』って言葉はマンネリも連想させるのでちょっと使いたくないのだけど、
それでもやはりさすがピクサー!というべきか、
ノンストップの快テンポで動き回るキャラたちの応酬が楽しい楽しい。
世界観の作り込みもしっかりしていて、
睡眠することで1日の記憶を整理するシーンとか、
日中受けたストレスを夢で再現または解消するシーンとか、
実際の感情の仕組み(つってもちょっと本でカジった程度にしか知らんけど)を
世界観としておもしろおかしく取り込んでいるあたり、
大人も子どもも分かり易いようによ~くアイデア練られてるなあ、と感じる。
イマジナリーランドとか夢スタジオとか深層意識の牢獄とか、まあ出るわ出るわ、
カラフルなココロの施設の様々なアイデアにワクワク。
そしてそこで繰り広げられるドタバタにニヤニヤ。
主人公たちが駆け回り飛び回るアドベンチャー要素もしっかり盛り込まれていて飽きさせない。
(ただ、ここの疾走感がピクサーの過去作より劣る気がするのが不満点ではある)
一方でライリーが送る日常も、子どもの頃に感じた不満や不安が事細かに描写されていて唸る。
両親のケンカなんて見た日にゃまるで世界の終わりみたいに思えたものだし、
僕は転校の経験は無いけど、それでも中学校に入学した時とかは
知らない同級生やオソロシイ先輩とかが一気に増えて不安だったしね。
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印象的だったシーンは、
ライリーの空想の友達・ビンボンの最後の姿。
たとえ忘れ掛けられていても、思い出してもらえなくても、
彼はずうっとライリーの友達でいてくれたんだと思うと涙。
そしてもうひとつは、
ヨロコビとカナシミが、ライリーを見守りながら肩を寄せ合う姿。
歳を取れば取るほどに気付かされるのは、
世の中はヨロコビばかりじゃなく、むしろそれ以外の
イヤな感情を呼び起こすものの方が多いという事。
この映画のライリーのように、世の中のすべてが自分に
敵意を持って襲い掛かって来ているんじゃないか、と
思えるような時期もある。
イライラしてみせても怒鳴ってみせてもどうしようもない、
「明日はきっと良い日になる」なんてとても信じられない、そんな日もある。
時には悲しみに身を委ねて、自分が一体何に苦しんでいるのか整理する時間が必要だし、
自分の力ではどうしようもないと認めて助けを求める事も必要だったりする。
そうして悲しみをありったけ吐き出した時、
それを両腕で受け止めてくれる誰かがいてくれる、その喜び。
これは何物にも替え難い。
映画のみならず自分自身のいつかの経験から言っても、
それはいつまでも大事に記憶される気持ちだと思うし、
前進する為の力を与えてくれるものだと思う。
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入り雑じり色混ざり、どんどんフクザツになっていく人の心。
どんな感情も記憶も、前進する為の大切なものだと
前向きに捉えていけそうな、そんな気持ちになれる映画。
と同時に、自分の悲しみを受け止めてくれる人達が
いてくれるって本当に幸せな事だし、
なるべく自分もそうありたい、と感じた次第。
良い映画でした。
それにしても笑ったアイデアは、
他の人たちの個性豊かな頭の中までいくつか登場する所。
最後のイヌ・ネコなんて、中も外もあんまり変わんないんですけど(笑)。
<2015.07.18鑑賞>
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長い余談1:
僕はいつも宣伝に関する部分は本編とは切り離してスコアを付けている。
(作り手が意図してない部分で作品の評価が下がるって不憫だもの)
だけどねえ、今回は余計な宣伝のせいで気分が盛り下がったのは間違いない。
監督ピート・ドクターにもドリカムにも恨みは無いが、
本編直前に作り手のメッセージやら本編とは直接関係の無い
イメージソングやらを無理やり聴かせるのはやめてほしい。
さあいよいよ映画だ!と気合を入れたところで、
作り手の顔や話題作りの為の曲を見せられると、
否が応にも映画が“商品”であると認識させられて
も・の・す・ご・く気分が盛り下がる。
(だいたいメインの客層であろう親子連れがピート・ドクター
の顔を見て「監督だ、わあい」と喜ぶワケないと思う)
誰だ、こんなガッカリ構成を考えたのは――。
僕は目を閉じて、インタビューも曲も意識から締め出してました。
おまけに今回は短編までもが全編歌なので……しかも
ハワイアンソングがそんなに好きな訳でもないので……
それになんか歌詞も深みが無いししつこいしなので……
本編を観る前からなんだか耳が疲れてしまった。
全編オルタナティヴロックだったら喜んで観るけど。
(絶対ファミリー向けじゃないよそれ)
長い余談2:
某映画誌の評論家等が『キャラに人間がコントロール
されてる描写は不気味』みたいな内容を書いてたのだが、
子どもの絵本とかだとそんなのはありふれた描写じゃないかしら。
むしろ精神分析の関連用語だらけになりそうな内容を
こんなに楽しく簡潔にビジュアライズできるアイデアに驚嘆する。
そもそも世の映画の全部が全部オトナ向けに作られてるワケじゃないんだし、
ファミリー映画に対してそんな穿(うが)った見方をして楽しいのかね、と思う。
良作
人の感情をキャラクターにするというアイディアが素晴らしい。発見だ。
感情が玉になって、それが思い出となる。簡単に思いつきそうで中々思いつかないのがアイディアなんだと思う。
お話の内容は児童文学のような感じ。
人は喜びだけではなく、悲しみがあって、成長出来る。
よくよくある話を違った見え方で作ってあるのがいいんだと思う。
幼児や小学生よりも、中学生くらいの子向きのテーマかな、と劇場の様子を見て感じた。
最初のドリカムのは最初じゃなくて、最後に流した方が構成的に良かった気がする。
ネガティブ思考の再評価
よくできた話だと思った。脳の中の感情を擬人化して、人の感情や記憶の仕組みをモデル化してストーリーにしている。
5つの感情の中で、なぜヨロコビが主導権を持ち権威的に振る舞えるのか。現代社会では、喜びという感情を持つことが望ましいということになっているからだ。ポジティブ思考礼賛が強いアメリカでは特にそうだろう。
そして、悲しみは、持ってはいけない、というプレッシャーがかかっている。
この映画のヨロコビとカナシミは、ポジティブ思考とネガティヴ思考、と言い換えた方が映画のストーリーを理解しやすい。
(ところで、disgustをイライラと訳したのは失敗だったと思う。イヤケ、ウンザリとした方が良かった)
カナシミが感情を表したいときにも、ヨロコビが「なんのためにいるのかわからない」と邪魔してしまう。
ネガティブ思考は、社会人にとっては評価が下がる、子供にとっては、親に嫌われる、という理由で封印されがちになる。
ライリーの「家出を決意するまで」の行動原理は、「嫌われたくない」「いい子でいる」というもので、これが大人になる過程でどのような変化が起こるかが、この映画のストーリーとなる。
カナシミは働くべきときに働けないことが続き、ヨロコビからは何もするな、と命じられてしまう(抑圧状況)。
そして、本来なら人格や行動原理の基になっている「特別な記憶」に、悲しみの記憶を加えなければならないときに、ヨロコビに無理やり邪魔されてしまい、逆に全ての特別な記憶にアクセスできなくなってしまう。これは心が死んだ状態(鬱状態)を意味していると思う。
その後、ヨロコビとカナシミは心の中のいろいろな場所を冒険するわけだが、
おふざけからの卒業
空想の友達からの卒業
体験が抽象概念に加工される過程
友情、家族との関係の変質
こういった「精神的成長」をモデル化しているのが面白かった。
ライリーだけではなく、他の人々の感情たちにもそれぞれ特徴が出ていて、例えばライリーの両親の感情たちは、カナシミを仲間外れにするのではなく、5つの感情が協調して働いているように描かれている。
最終的に、今回の事件の記憶が、「喜びでもあり、悲しみでもある」記憶になることで、2つの感情は表裏一体のものであり、両者のバランスが重要であることが示される。
また、これまでのたくさんの「特別な記憶」が喜びの記憶から、悲しみの記憶に変わる。これは、子供時代の単に純粋に楽しかっただけの記憶が、成長すると、「もう決して戻れない過去」という悲しみに変わってしまうことを意味する。
ヨロコビは、この大人への成長にとって不可欠の変化にあらがって、いつまでも子供の心のままでいることを望んだともいえる。
日本は、会社のような場所ではネガティブ思考が嫌われる傾向があるものの、プライベートの気安い友人関係の間では、むしろ積極的に出しているように思う。
だからといって健全だとは言い難いので、日本版のインサイドヘッドを作ったら、また全然違うストーリーになるんだろうなあ、と思う。
冒頭のドリカムの曲と、火山島の歌はあきらかに「無い方が良い蛇足」だと思う。
ドリカムの曲自体は良いと思うんだが、さあ映画がはじまるぞ、というタイミングでやられてはたまらない。知らない家族の写真をえんえん見せられてもね…。
火山島の歌も、もっとストーリーがあればまだ退屈せずに見られたのだけど、これ何番まで続くん?( ;´Д`)って感じだった。
どうでもいいが、これって、おじいさん火山と若い娘火山だから絵になったけど、逆におばあさん火山と若い男火山だったらどうなのよ?って思った。
男と女の位置付けがステレオタイプ過ぎて、なんだかもやもやした。
バランスが悪い
感情を擬人化しているのだが、ポジティブな感情がヨロコビだけで、一人で厄介な感情を制御しないといけいのが大変だった。喜怒哀楽でよかったのではないだろうか。
カナシミも指令室の外に出ているのに、ライリーは始終悲しそうだった。腑に落ちない設定というか、着眼点は面白いのだが設定を活かしきれてない感じがした。感情はいろいろないまぜになっているので、このような表現では描き切れないのかもしれない。
カナシミがうざいけど、彼女なりにポジティブな存在理由が示されている感じはしたものの、明確に伝わってこなかった。無理矢理そんな感じにしているだけのようにも見えた。
日常をはみ出さないドラマ作りは好感を抱いた。
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