ホドロフスキーのDUNEのレビュー・感想・評価
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その情熱が、人を、世界を動かす
先日、新作の方の映画「DUNE 砂の惑星」を観て、
話題になったけれど完成しなかったホドロフスキーの
DUNEって、どんなものだろうと視聴
いやいやいや
凄いですねこの、溢れるどころか
爆発しそうなパッション!!!
情熱の塊のような人だホドロフスキーって
でもって、人の才能を見抜き惹きつける
吸引力が凄い
メビウス、ギーガー、ダリ・・・ビッグネームが
並ぶ
彼らを「その気」にさせる引力って
要するに「やる気まんまん」なんだろう
映画配給会社がDUNEの映画化に及び腰に
なったのは頷ける
20時間の、途方もなく金食い虫のような映画は
もし作れても、採算が合わないし現実的ではない
結果的には、完成しなかったけれど
後発の様々なSF作品や漫画に多大なる影響を
与えたという事で、そういう「種」を蒔いた
功績は大きいんじゃないかと思う
印象的だったセリフ
「DUNEは、この世界では夢だ」
「でも夢は世界を変える」
「志を持たずに生きる事は無理だ」
「出来る限り大きな志を持つ」
「失敗したら、別の道を探す」
タフだなぁ
その情熱が、人を、世界を動かす
この当時は金銭的にも技術的にも難しかった事も
現代の技術のアニメやCGなら可能だと思うので
誰かホドロフスキーのDUNEを作ってくれないかなぁ
・・・伝説のまま、そっとしておくのが
正解かもしれないけれど。
歴史を変えた「製作中止映画」
2021年10月、ドゥニ・ビルヌーブ監督による超大作SF映画『DUNE 砂の惑星』が公開され、そこそこのヒットを記録しています。そんなタイミングで、映画好きの友人から「観ておいた方がいいよ」とオススメされたのが本作でした。私は恥ずかしながらホドロフスキー監督について存じ上げなかったので、かつて彼が『DUNE』の映画化を試みていたということも当然知りませんでした。ざっくりとした内容について知っている状態での鑑賞です。
結論ですが、映画好きならば観ておくべき作品ですね。ホドロフスキー監督がどれほどの情熱を持ってDUNEの制作に着手していたのか、そして2年半もの歳月を費やし、数々の世界的スターの出演にもこぎつけ、撮影の一歩手前まで行ったにも関わらず頓挫してしまった「DUNEの映画化」がどのように後世に影響を与えていたか。映画好きならば、間違いなくホドロフスキー監督に魅了されてしまうと思います。この映画が実際に完成していたら、間違いなく映画の歴史は変わっていたでしょうね。
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『エル・トポ』『ホーリーマウンテン』などで知られるカルト的な人気を誇る映画監督「アレハンドロ・ホドロフスキー」。SF小説の超大作『DUNE 砂の惑星』の実写映画の監督することになった彼は、並々ならぬ情熱を注ぎこみ、映画の制作準備に取り掛かる。サルバドール・ダリ、ミック・ジャガー、オーソン・ウェルズなどの大スターたちをキャストとして迎え入れ、準備が着々と進んでいたにも関わらず、その映画は撮影することなく制作が中止されてしまう。後の映画に多大な影響を与えた「存在しない映画」の制作秘話を、ホドロフスキー監督本人をはじめとする関係者たちへのインタビューや当時の資料を基に解き明かしていくドキュメンタリー。
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映画評論家としても活躍されているライムスターのラッパーである宇多丸さんは本作を「ホドロフスキー監督の魅力を描いたアイドル映画」と評して絶賛していました。私もそう思います。私は本作を観るまでは『エル・トポ』『ホーリーマウンテン』などの映画はおろかホドロフスキー監督の名前すら知らない状態でしたが、本作を観ただけでホドロフスキー監督のことが好きになるくらいには彼の魅力が強く表れた映画になっていると思います。
とにかく全編通して、ホドロフスキー監督の作る『DUNE』がいかに素晴らしいものだったかを語る内容になっていて、「どのようにして制作を進めていったのか」「どのようにして一流のスタッフを招集したのか」といった、武勇伝にも近い苦労話が展開されていきます。「このような経緯でキャストを集めた」と自慢げに語るホドロフスキー監督の語りの後に、そのキャスト本人がその時の話をする。最初は武勇伝めいたホドロフスキー監督の話を聞いて「自尊心の強いオッサンの誇張を含んだ大げさな話」かと思っていたら、紛れもなく事実だったのが分かります。これが面白い。
本作の監督であるパビッチ監督も「ホドロフスキーは生来のストーリーテラーだ」と語るように、彼の語りは引き込まれるように面白く、多くの観客やスタッフを惹きつける魅力があるのが分かります。多くの一流キャストがホドロフスキー監督のもとに結集し、歴史を変える映画『DUNE』の制作に向けて動いていた理由が理解できますね。
本作の前半は、最高の映画を制作するために文字通り世界中を飛び回り、一流の「戦士たち」を招集し、映画のプロットも出来上がり、撮影も間近というところまで進みます。「制作中止になった映画のドキュメンタリー」と聞いていたのに中盤くらいまでトントン拍子に準備やキャスティングが決まるので、「なんでここまで順調なのに制作が中止されたんだろう」という疑問がどんどん大きくなってきます。
そして映画の終盤。ついに「とある理由」で映画の制作は中止に追い込まれます。この理由がなんとも皮肉ですね。この「理由」が無ければ間違いなくここまで映画の制作準備は進まなかっただろうに、それが原因で映画の制作が中止に追い込まれてしまうなんて。
しかしホドロフスキー監督が情熱を費やして『DUNE』の制作に取り掛かり、世界中から情熱溢れる一流のキャストを招集していなければ、間違いなく映画の歴史は一歩後退していました。『エイリアン』は生まれなかったでしょうし、『スターウォーズ』も違うものになっていたでしょうし、後世の映画も変わっていたでしょう。この世に存在しない映画にも関わらず、間違いなく映画業界に革新をもたらしました。
そして本作『ホドロフスキーのDUNE』が制作されたことをきっかけに、『DUNE』の制作中止以降疎遠になっていた監督のホドロフスキーと製作のセイドゥーが再会し、ホドロフスキー監督の23年ぶりの新作映画『リアリティのダンス』が制作された。本作もまた、間違いなく映画の歴史を変えた作品であったと私は思います。
映画好きなら観て損はしない作品です。オススメです!!!
開き直り・・
製作中止映画のメイキングをドキュメンタリーにするというのも風変り、少しは赤字の補てんに見込めると思ったのか、ハリウッドに一矢報いねば気が済まなかったのか?
動機に興味を惹かれ鑑賞、概ね、想像通り、根っこはホドロフスキー監督の自画自賛と恨み節でした。何故、頓挫から35年も経って本作を作ったのか、時代が変わり再評価の兆し、プロデューサーだったミシェル・セイドゥーとホドロフスキー監督が再度タッグを組んだ「リアリティのダンス(2013)」の公開もあり汚名返上、名誉挽回の好機と思ったのかもしれませんね。
彼の話を聞くにつけ、まるで新興宗教の教祖の様、彼にとって映画とは布教活動のようなものなのかもしれない。古代仏教が求道の動機づけとして六道絵の地獄絵図を用いたように恐怖と狂気の具現化が不可欠だったのでしょう。ただ現代では説得力に欠けるので近未来を想定したSFは格好の舞台と「砂の惑星」に目を付けたのでしょう、原作未読と開き直って都合よく改変、欲しいのはシチュエーションだったことは明らかです。
先ずはそのための絵師や特撮技師集めに奔走する、キャスティングもしかり、灰汁の強さが最優先、こだわりは建物から衣装まで微に入り細にわたる。
ハリウッドのメジャーに彼の狂気性は受け入れられなかったものの構想や詳細な絵コンテなどの副産物はその後のSF映画に多大な影響、刺激を与えたことは事実、納得です。
好き嫌いは別として監督のこだわりと熱意は伝わりますし巨匠黒澤監督も無理難題でスタッフを困らせたと言う逸話には事欠きません、かと言ってハリウッドの指摘もあながち不条理とは言い切れないから受け止めは微妙です。
幻の本編を観てみたかったかというと興味は湧きますが劇中で出てきた手足を切断する拷問のシーンなど余りにグロテスクだし、本気とは思えませんが12時間の長尺では一挙上映鑑賞は無理筋です・・。
Movies has a heart. 魂の戦士たち
ドゥニ・ヴィルヌーヴ版「デューン」が公開される前に予習として鑑賞しました。確かにスタッフはスゴかったけど、このホドロフスキー版が映画になってても理解できた自信ないッス💦
ホドロフスキーの作品って一作も観たことないです。ちょっと紹介されていたんですが、正にカルトって感じでしたねー。検索しても配信やってなさそうでした。最後にデヴィット・リンチ版の出来の悪さに大喜びしていたのがちょっと面白かったです。
やー、でも多くのSFの元ネタになってたのは良くわかりました。もし完成してたら伝説的なカルト映画になった事でしょう。ってか、このドキュメンタリーはデューンの話よりホドロフスキーがスゴい人物だったって作品でしたね。多分ホドロフスキーの映画はドラッグやりながら観ないとわからないのではないかと思えました。
本作だけ観てもつまらない!デューン/砂の惑星→ホドロフスキーのDUNE→リアリティのダンスと観てください!
「狂気がなければ芸術作品は生み出せない」
byアレハンドロ・ホドロフスキー
『デューン/砂の惑星(1984年)』
『ホドロフスキーのDUNE(2013年)』
『リアリティのダンス(2013年)』
1980年 エレファントマン
1984年 デューン/砂の惑星
1986年 ブルーベルベット
これはデビッド・リンチ監督の1980年度の監督作品です。
この後1990年に、私の大好きな"ワイルド・アット・ハート"を撮りますが……。
さて、みなさん。一作、一作、内容を思い出すと、かなり酸っぱい顔になる作品がありますよね?
そう!「デューン/砂の惑星」です。
※実は昨夜30年振りに観ましたが、諸々と酸っぱかったです。
いやいや、大好きですよ!
顔にできたおできを、執拗に気持ち悪く映し出す困ったコダワリとか。
仄暗い、こんがらがったサーガとか。
ナウシカをはじめ、色んな作品に影響を与えた(何故か側面の部分的なアップばかりの)サンドワームとか。
厨二の大好物である"力が覚醒する"とことか。
人気者のシンガーだと?スティングだと?知ったことか!と、これでもか!と格好悪く死なすとことか。
まだまだ可愛いショーン・ヤングとか。
大好きですよ!
でも、ブッツ、ブッツに話が切れて、なかなか世界に迎え入れてくれない部分もあり。
きっと、もっと長い作品だったんでしょうね。
だってある監督は「絶対に12時間で撮る!」と言ってきかなかったんですから。
それだけの時間をかけてこそ、描ける世界観なのでしょうね。
1975年「デューン/砂の惑星」を、12時間で撮ると言ってきかなかった監督がいます。
スタッフ&キャストと言わず「魂の戦士」と呼んで探し求め、変態的な交渉術で天才達を口説き落とし、完璧な企画ができあがっていたのに。
ある理由でダメになったんです。
その過程を、ドキュメンタリーにしたのが"ホドロフスキーのDUNE"です。
ホドロフスキーと言ったら、"エル・トポ"でパンツ一丁で泥まみれで蠢いていたイメージが強いです(笑)すみません、他の作品は未見です。
ハリウッドのメジャーな映画会社に売り込みにいった際に、実は"企画は最高!だけど監督を変えろ"と言われた理由は、この"エル・トポ"のせいでした。
「あんな変人に、むっちゃお金のかかる12時間の映画を撮らせられっか」だったんです。
最近"オンリー・ゴット"をレフン監督から捧げられていた、鬼才、変態、アレハンドロ・ホドロフスキー監督。
ホドロフスキー監督が撮ろうと思った「デューン/砂の惑星」が、どれだけ凄いか「魂の戦士」一覧を見るだけでお分かりになるかと思います。
◎スタッフは下記の通り。
ミシェル・セドゥー
メビウス
クリス・フォス
H・R・ギーガー
ダン・オバノン
ピンク・フロイド
◎キャストは下記の通り。
デヴィッド・キャラダイン
ミック・ジャガー
オーソン・ウエルズ
サルバドール・ダリ(と、ダリのミューズ:アマンダ・リア)
ブロンティス・ホドロフスキー
このメンツで、12時間の映画を撮るって凄くないですか?
ホドロフスキー監督が、目をキラキラさせて当時の様子を語ります。なんだ、こんなに可愛い人なんだー。と思っていたら、むっちゃ笑顔で「私は原作をレイプしてやったんだよ!レイプしてやった!」と繰り返していて、びっくりしました(笑)
いや、80歳過ぎてこのテンション!素晴らしい(でも、息子さんで俳優のブロンディス、疲れそう……)。
当初は、特撮に「2001年宇宙の旅」のダグラス・トランブルを予定していました。
でも打ち合わせ段階で、ホドロフスキー監督そっちのけで電話に40回も出るその不遜な態度で「あいつは魂の戦士ではない」と断るとことに。
爽快!
ホドロフスキー監督は"映画は自分にとって芸術なんだ"と繰り返し言いますが、それがよく分かるエピソードです。
さて、ここまでできあがっていた企画が、監督へのダメ出しでなくなってしまいます。
が、満を持してリンチ監督が映画化するんです。※ホドロフスキーの企画は映画化してません。
ホドロフスキー監督は泣いたそうですよ。でも、勇気を振り絞って映画を観にいったそうです。
「リンチだぞ、あの天才リンチが撮った映画。とても敵うわけない!けど……」
この後、ホドロフスキー監督は満面の笑みで続けます。
「けど、大失敗やん!酷いやん!」
リンチ監督の「デューン/砂の惑星」を観て、すっごくハッピーになった!って。
あ、決してリンチ批判をしているわけではないんです。
ホドロフスキー監督は確信したんですよ、自分の企画が間違ってなかったって。自信を取り戻した満面の笑みだったんです。可愛い人。
ホドロフスキーのDUNEは幻の作品となってしまいましたが、その企画の片鱗はSWにも、フラッシュゴードンにも、エイリアン(ホドロフスキーのお陰で出会った2人が作ったんだもの)にも、最近ならプロメテウス等にも見つけられます。
未完なのに、多くのSF作品に影響を与えるとは。凄いです。
ギーガーや、レフン監督の貴重なインタビューや、クリス・フォスの宇宙船のイラスト(凄く良いんですよこれ!)が見られるだけでも素晴らしいです。また、もし本当に映画化されていたら、SWはどうなっていたんだろう?と思いを馳せるのも楽しい。
「狂気がなければ芸術作品は生み出せない」と"ホドロフスキーのDUNE"で繰り返し言っていた監督と、プロデューサーのミシェル・セドゥーがそれから35年後に再びタッグを組んで制作したのが、"リアリティのダンス"です。
本作は、ホドロフスキー監督半生の映画化です。勿論、ご本人も出演されてますよ。
あ、半生というか、子供の時に体験したエピソードの数々と言った方が良いかもしれません。寺山修司の「田園に死す」に確かに似ています(あ、VHS持ってます)ね。
色々と、妙なんです(笑)
父親(ブロンティス・ホドロフスキー)は厳格というか、息子のアレハンドロを強く育てたいと思うあまり、麻酔ナシで歯科治療をさせたりします。
巨乳の母親は(オペラ歌手志望だったみたいで) 普段の喋る口調が、全てオペラです。暗闇を怖がるアレハンドロを靴墨で真っ黒に塗って克服させたり、夫の伝染病を放尿で治したりします。なんでしょう、何かを超越した女性です。
そんな幼少期のアレハンドロを、優しい目で見つめて励ますホドロフスキー監督。
妙なエピソードから垣間見られる、チリ政権下の抑圧された恐怖と奇々怪々な貧困生活。
ホドロフスキー監督は、現在86歳です。
本作を観ていて、創作の源になっていた狂気と、漸く折り合いをつけたのかも知れないと思いました。凄く、解りやすい作品です。
独裁的な父と、その父に抗えない母と、あの時代を赦す。
ホドロフスキー監督の悟りと、優しさを感じる作品です。
そして同時に、ホドロフスキー監督とのサヨナラが近付いていることを、強く感じる作品でした。
いつまでもお元気で!そう願わずにはいられません。
原題が「LA DANZA DE LA REALIDAD(英:THE DANCE OF REALITY)」です。
真実のダンス。現実を思いっきり踊らせる。現実を好き勝手にダンスさせて、滅茶苦茶にして、そうすれば何かが再生されるのかも知れない。
私もリアリティのダンスをしようか。
できれば3作品、纏めてどうぞ!
はた迷惑で愛らしい「作る人」
久しぶりに映画館で爆笑した。
あ〜ぁ、作る人って何てはた迷惑で愛らしいんだろう。
ちっちゃな悪ガキを見守るように父アレハンドロを見る
息子ブロンティスの慈愛に満ちた眼差し、そして最後の言葉。
彼はきっと何度もこの言葉を自分に言い聞かせて
ままならないその人生に折り合いをつけてきたんだろうな。
不覚
今は無いスターログというSFビジュアル誌を読んでいた者だから感慨深げなドキュメンタリーだった。大画面でクリス・フォスのメカが映しだされただけで胸に迫るものがある。
ホドロスキーの強烈さがプリ・プロダクションをドラマチックに魅せてゆく様に引き込まれてゆく、必要なのが技能よりも“魂”を表現できるスタッフというのは面白かった。ダグラス・トランブルよりもダン・オバノンを選ぶ件は、本当に彼らしい。
正直にいえば当時のハリウッドはアメリカン・ニューシネマが下火になり大作といえばパニックぐらいのもので後の「スターウォーズ」も中規模の映画だった。(映画雑誌の前評判の無さも顕著だった。なにしろスターが出ていないから)だから、彼の作品が実現しなかったのは当然といえば当然かもしれない、それでもブロンティスの「あれもデューン、これもデューン」に不覚にも泣いてしまった。
監督が魅力たっぷり
ホドロフスキー監督がとにかく元気で、明るくて人たらしであることがとてもよく分かった。てっきり暗い変人の芸術家だと思っていたら全然違った。
そして壮大なテーマや志を抱いて『DUNE』に取り組んでいた事がとても感動的だった。『DUNE』に必要な魂の戦士を集めようとしていて、『アストロ球団』みたいだった。そんな監督に映画を作らせなかったハリウッドはクソだと思った。ジョン・レノンに出資してもらえばよかったのではないだろうか。
監督は『DUNE』のために腕を切り落とすなら落としてもいいとすごい覚悟を明るく語っていた。
オレも漫画に長年取り組んでいるのだが、果たしてそれほど全力で製作に取り組んできたかと言えば全くノーである。ずっとぬるい漫画しか描いておらず、そうでなければ長く続けられなかったということを言い訳にする始末で、この先もきっとそのままだ。そうして、一度も全力を出し切ることなく生涯を終えていくのだろうと思うと恥ずかしい気持ちになった。
いつか命を懸けて取り組むべきテーマを見つけてみたいものだ。
(追記)
改めて2回目見て気づいた事。
監督は魂の戦士を集めて映画を作ろうとしていた。それは、才能に対する絶大な信頼だと思う。よくよく考えてみると、オレは自分の才能も他人の才能もあまり信じていないところがある。芸術などの表現は、いうなれば「世界にひとつだけの花」であり、誰でもその人なりの表現ができれば素晴らしい花がひらくのではないかと思っている。結果として上手に花が開かない場合があったとしても、何のきっかけで開くかどうか分からない。自分が漫画家として受け入れてもらえているのも、もちろん努力している部分はあるにせよ、たまたまなような気がする。自分の才能もあまり信じてない。
しかし、人を圧倒する才能というのは実際にあり、それに信じる気持ちが強いことは、更なる素晴らしい表現につながりそうである。そして自分の才能をナルシスティックに信じることができた方が余計に魅力的な作品をつくることができると思う。
そんなことを2回目で思った。
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