「DVの不条理」トム・アット・ザ・ファーム よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
DVの不条理
死んだ恋人ギョームの葬儀のためにその実家を訪れ、そこで彼の兄フランシスから暴力的な支配を受ける主人公トム。
フランシスがなぜ暴力を通じて執拗にトムを支配しようとするのか。フランシスによるトムへの暴力も含めてすべてを知っているはずなのに、母親がそこに触れないのは、またフランシスへの無関心はなぜなのか。そもそもギョームはなぜ死ななければならなかったのか。物語が進むにつれて他の謎は少しずつほどけていくのだが、上の三つの大きな謎に関しては最後まで合理的な言葉で明らかにされることがない。
これらの謎に対して観客が抱く「なぜ?」という疑問は、なぜトムはゲイなのかという自明に対する問いが意味を持たないのと同様に、当人たちにとっては客観的合理的理由などないのだ。スクリーンに映るありのままが、謎に対する答えなのかもしれない。しかし、ほとんどの観客にはそれが合理的なものには見えないから、謎は謎のままなのだろう。
DVは一方的な暴力ではない。その暴力を受け入れる相手がいることで初めて成り立つ。しかし、なぜ進んで受け入れるのかという理由を合理的に把握することは難しい。パーソナリティ障害を抱えた人々の行動に、合理的な理由など当てはめることは出来ない。当人ですらその理由を意識していることは少ないだろう。結局なぜという疑問に答えるためには、その当人の文脈に沿って理解をしていくことが要求される。
不条理な暴力や支配、一般社会からの隔絶などに苦しみながらも、その場を離れようとしないのは、そこにしか自分の身の置き所を見つけることが出来ないからに他ならない。不合理な暴力で赤の他人を束縛し、自分を愛さない母を恨みながらも彼女の望む物語を実現しようとするのは、そこにしか自分の居場所がないから。二人の息子の抱える問題、他人が自分の家に軟禁されている事実を知らぬ顔で生きているのは、、、