アデル、ブルーは熱い色のレビュー・感想・評価
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愛は性の垣根を超える
「愛は性の垣根を越える」とはアデルがクラブで話しかけられたゲイのおっさんの言葉だが、この映画はゲイカップルという関係の特殊性、或いは社会的な迫害や差別の対象としての同性愛ではなく(同性愛者のデモ運動の描写はあるにせよ)、相手を求め相手からも求められることの幸福や快楽という、極めてプリミティブで普遍的な愛についての物語だった。
同性愛という要素はむしろ、2人の関係性のイノセンスを際立たせている。
周囲や世間一般の不理解というのは往々にして、当人たちの感情を特別化させる要因となる。
古いフランス映画『シベールの日曜日』における男性と少女の親子とも恋人とも形容しがたい関係性のように、当人たちだけが理解し合える世界というのは、秘匿的だからこそ輝いて見え、そして、切ない。
お互いを貪るような長尺のセックスシーンはプリミティブな衝動の表象であり、また、ややもすれば不幸な未来を予兆する刹那的な危うさを感じさせる。
この映画における愛は肉欲でしかない、といった批判の存在を想像するのは容易い。
しかし「それの何が悪いのだろうか」という気持ちにもさせる豊かなリリシズムが、この映画には感じられた。
主演2人の表情の演技はとても印象的だったし、セリフの掛け合いも小気味良い。
アデルとエマの関係性、殊に嗜好が食い違おうとも互いを受け入れ認め合えるような精神性は、自分にとって愛のひとつの理想像だ。
W主演の女優は素晴らしいが、時間の浪費感が残る
レア・セドゥが抜群に上手い。これまでの作品とはまったく違う顔を見せる。目線や仕草、体全体から漂う空気、本当にレズビアンなのではないかと見まごうばかりだ。
アデルを演じるアデル・エグザルコプロスはハイティーン特有のふっくらとした顔立ちで、デビューした頃の宮沢りえを想わせる。アブデラティフ・ケシシュ監督はアデルの食べるシーンや寝顔を多用し、目と唇の動きで幼い色気を出させようとしたようだ。
この作品、女性同士の性愛描写が取り沙汰されているが、アデルは同性愛に目覚めたわけではない。たまたま好きになり愛した相手が女性だった。それだけのことだ。ここが大きなポイントとなる。恋愛にはいろんなかたちがあり、アデルがエマに寄せる恋心はそのひとつにすぎない。
二人の女優の振る舞いが自然で、初めて本気で人を好きになった青い恋の一途さがよく出ている。
この作品、一見、何ものにも囚われないエマが奔放に見える。だが観ていくと、自分の心の赴くままに生きようとするアデルのほうが自由人に見えてくる。
ただ、話に脈絡がない。少女が大人になっていく過程を描いたのは分かるが、3時間も見せておいて何のひねりもないのは、どうもしっくりこない。フランス映画らしいといえばそれまでだが、アデルが童話作家としての道を歩み始めるとか考えられなかったのだろうか。それだとアメリカ映画的だと言われようが、何か前向きに終わってもらわないと時間の浪費感が残る。
それにしても向こうの高校は文学の掘り下げ方が深い。「源氏物語」もああいう授業だったら、もっと興味が持てただろうと思う。
傑作。
これほど深く感銘を受けた恋愛映画は数少ない。初めてと言っても過言ではないだろう。
この作品の特殊な部分としてセクシャルマイノリティの恋、異常なまでのアップと長回しの多用、必要以上に長く激しい性描写があげられる。しかし、そのどれもが只の飛び道具的なものではなく、ちゃんとした必然性がある。
まずはアップについてだが、主人公の二人のシーンでは二人の顔以外、ほぼ何も映されていない。これは二人がその時、その瞬間、他の物が見えなくなるほど相手に没頭している事を指し示すのと同時に揺れ動く感情を台詞ではなく表情で伝えるという点でも嘘臭くなくて良かった。我々観客も二人の感情を共有するために有効な手段だったといえる。また、長回しも800時間にも及ぶ撮影時間の中、あのドキュメンタリーを見ているかのような自然な演技を引き出すために必要だったと推測できる。後々長回しだったと気付くほどで違和感のあるシーンもほぼなかった。
性描写についてはなぜここまで長く見せる必要があるのか最初はいささか疑問であったが、なるほど。後半からラストのアデルがエマを激しく求めるシーンにかけて効いてくるのである。あそこまでお互いがお互いを激しく求めあっているものを長々と見せられた後に訪れる別れ。その喪失感を観客は否が応でも共感せざるを得ない。作品全体を通すと感情が全面にでた印象を受けるが、こういう部分を見ると実に緻密に計算されて作られていることがわかる。
最後にセクシャルマイノリティの恋についてだが、まず物語というのは特殊でないとならない。それは単純にそうでないと面白くないからだ。そういう意味でレズビアンの恋というのは特殊だ。しかし、この作品の素晴らしいのは、それを特殊だと押し付けがましくやるのではなく普通の思春期の恋として描いているのである。描いているのではあるが、恋愛の普遍的な部分として「相手にとって自分が唯一無二の存在でありたい」「この人しかいない」「運命」といった願望や理想がこの設定ではより強烈に浮かび上がってくる。それを違うと知った時の現実。そして、自分もその他大勢の中の1人と理解したアデルはラストカットでアップではなく引きの絵で遠くへ歩いていくのである。
もう…こりゃ最高でしょ。1週間はこの映画のあらゆるシーンが頭からは離れなかった。ここまで尾を引く作品も久しぶり。生涯の中でも忘れられない1本となりました。
続いて行く物と終焉と
立場の違いやら求め合う願望の違いは あれど、しかも これだけ若い時代の感情で あっても、いや、若い時代の しかも奥底の感情の交換だからこそ、Adele と Emma の心には、脳味噌には深い“傷痕”が刻まれる。
小2なアタクシには奔放の中に落ち着きと情熱を併せ持つ Emma の本当の気持ちは読み取れないのだが(優しい微笑みにも つい、心を寄りかかってしまう…)、Adele の飾らない(飾れない とも云う)不器用な心の波には身に つまされる思いである。
どうやら私の周りを見るに、観る時期に依って感想が異なる映画な様だ。
そして只今、私は きっと安定しているのだろう。
一途な恋
性別を無視すれば、浮気したアデルを許さず、その後も安易に復縁しなかったエマの一途な恋を描いた作品と言える。その意味では、最後までエマを求め続けるアデルも一途というべきか。
アデル役の女優がシャルロット・ゲンズブールを彷彿とさせるアンニュイさ。
また観たい・・・
カンヌ国際映画祭で絶賛の『アデル、ブルーは熱い色』
序盤から長く、中流階級の家庭に育つ極々普通の女子高生アデルのリアルな日常を、少し退屈な程に描かれている。しかし、食事をむさぼるシーンや睡眠、学校生活のリアルな様はまるでカーテン越しに垣間見ているようだった。そしてあの授業風景の中にはアブデラティフ・ケシシュ監督が伝えたかった「性を超えた愛への理解」以外にも伝えたかったメッセージがあったと思う。教科書の中で、一目ぼれをし、声をかけずにすれ違ったことへの後悔という感情を先生が説いていたが、これこそが「若者よ!やりたいと思ったことは後悔のないように挑戦しよう!」と伝えたかったのではないだろうか?そしてこの淡々としたシーンは、普通の女子高生がこの後どのように同性愛の世界に引き込まれていくのか興味津々に観ている観客を焦らしているようだった。
男の子との恋愛に違和感を持ち始めているアデルは、街ですれ違ったブルーの髪をした女性に魅了されるのだ。ここから映画の中でブルーがアクセントカラーとなり、ブルーのベンチ、発煙筒のブルーの煙、ブルーの絵画、ブルーのシーツ、洋服、海、映像はさりげなくブルーが美しくしまってくる。
ある日、ガールズバーに行ったアデルは、そこでブルーの髪をした美大生のエマと再会するのだ。そして二人は惹かれあい、愛し合う。
この二人のベッドシーンは、女優魂を見せつけられたようで感服した。
音楽の少ない映画だったが、アデルの誕生会でかかった曲(I FOLLOW RIVERS)が、私には心地よく、ノスタルジックな中に新しさと力強さを感じて一瞬で好きになった。そんな音楽にあわせて踊るアデルの複雑な心情をした目が印象的だ。
やがて先生の職についたアデルはエマと一緒に暮らすようになるが、インテリジェントな家庭で育ち、違った世界観を持ったエマに、アデルは少しずつ距離を感じ、寂しさを覚えるのだ。そしてその寂しさを埋め合わせるために、アデルは職場の同僚の男性と浮気をする。
終盤、畳み掛けるように、二人が強く結びつき、すれ違い、裏切り、別れる。
アデルの裏切りがばれ、エマの家から追い出される時の泣きじゃくるアデルの演技は圧巻だ。胸がつまる。
エマと別れたアデルは孤独と後悔に苛まれるが、数年後、カフェでエマと再会する。
エマはニッコリ微笑んで現れるのだが、それはやさしい大人の女性だった。あのはにかんだような微笑みの虜になった人は少なくないはずだ。二人はハグをして昔を懐かしむ、エマの臭いをいっぱいに吸い込むアデルの表情が切なかった。そして抑えられずキスを交わし再縁を懇願するアデルなのだが、エマの潔癖さがアデルの愛をもう一度切り捨てる。エマは今のパートナーとの良好な生活を話す。
「本当にもう私に愛情がないのか」と訝るアデルの表情がたまらなく悲しい。
ただ私的には、もう少しエマの芸術家としての苦悩と、才能が認められないもどかしさが欲しかったように思う。
ラストシーンは、あんなに華やかな成功をにおわせるのではなく、数人の画家仲間と共同でギャラリーを借りて個展を開く設定の方がリアルだ。そして、アデルがその個展を訪れ、エマとパートナーとの熱い関係を見せつけられる。アデルはひとりで作品を見て回り、エマのパートナーをモデルにした絵画をいくつも眺める中で、1点だけ自分(アデル)をモデルにしている絵画をみつける。アデルは回想する。エマが、いつもこの絵を自画自賛し、自分の作品の中で一番好きな作品だと豪語していたことを。しかし、その絵画は、売約済みというラベルが貼られていることに気付き・・・アデルは愕然とするのだ。エマが一番好きだと言っていたアデルとの思い出の作品を売ってしまうのだと・・・。アデルは確信する。本当に二人の愛が終わったのだと・・・。そしてアデルはギャラリーを一人寂しく出ていく。そこへ例の元俳優の男が追っていく。
最後のシーンは、数日後、エマが自宅で作品を描いている。その足元にはアデルをモデルにしたあの作品が立て掛けられていた。売られていなかったのだ。エマはアデルに対して売約済みだという見栄をはって小さな復讐をしたのか、やっぱり手放すことができなかったのか、わからない。おそらくパートナーに遠慮して壁には掛けられず粛然と置かれているのだろう。エマは一生この絵を手放すことはできないだろう。レオナルド・ダ・ヴィンチが『モナリザ』を一生持ち続けたのと同じように・・・。人は愛した人を、一生引きずるのだ。時に思い出に浸り、時に心の中で話しかける。
私はこんなラストがいい。アデルとエマの愛は互いの心の中で永遠に続いて欲しい。
体験する映画
パルムドール、ラブシーン、センセーショナルな宣伝文句もあり話題だったこの映画。3時間という尺もあり、有る程度心に余裕を持たせてから観賞に至った。
主人公はよく食べよく泣きよく寝る健康的な女の子。少しだらしなそうなところも親近感…。エマと出会ってから、歯車が狂ったみたいに人生が動いてく。恋に生きるってこういうこと?アデルの一途さ、切実な思いが画面から溢んばかりに伝わる。痛いほど。
ラブシーンは濃厚だったけど、この映画の中のワンシーンに過ぎない気がした。視線を交わすだけで官能を感じるようなシーンが多々あったし、そっちの方が印象的。
恋の始まりから終わりまで描いてる構成は、映画「ブルーバレンタイン」に似ている。これも大好きな映画だけど、アデル〜は、より主人公たちとの距離が近く、感情だけをこれほどまでかと描いてる。
正直、3時間結構疲れた。だけど映画館から出てから、映画の世界から抜け出せない自分がいた。
彼女たちの人生をあんなに近くで見ていたから。思ってた以上に感情移入したみたいだ。
これからの人生、愛とか恋とか生きていくこととか、ふと立ち止まって考えるときに、この映画をまた思い出すかもしれない。
鮮やかで切ない、熱いブルーを。
前の方に基本的に賛同します
この映画はレズビアンの恋とその性描写がひとつのポイントとなっていると思いますが、それを除いたら一体何が残るというのでしょうか? よくある出会いと恋と性行と別れがあるだけです。たしかに映像は美しいし、主演の2人、特にアデルを演じた女優は素晴らしかったと思いますが、映画な内容そのものとしては特に新鮮な視点がある訳でもなく、私には基本的に退屈でした。
一つの愛に果敢に立ち向かった姿に心うたれました。
寝顔、食べる顔、見つめる顔、アデルの顔が何度もスクリーンいっぱいに映される度に”mignon”という映画の台詞が反芻しました。外国の女優を「美人だ」と思ったことは多々ありますが、「かわいい」と思ったのは初めてです。私は、外国人に、とくに白人に容姿でコンプレックスを植え付けられてきた世代ですが、最近はアジアンビューティのほうが好ましく感じられていました。映画も子供の頃は豪華さ、かっこよさで洋画一辺倒でしたが、日本の俳優のプロポーションも今では外国の俳優と引けをとらず、一方で外国人の「バタ臭さ」が消化できなくなってきて、今では邦画を見ることがほとんどです。そんな折り、世界最先端の「かわいい」文化の日本にいて、「バタ臭い」はずの外国人女優に何度も「かわいい」を心の中で連発するとは自分自身驚きでした。
同性愛については原作ほど主たるテーマになっていませんでした。二人の愛の始まりにときめき、成就に喝采し、破局と孤独に同情し、終局に悲しむ。アデルの若くて未熟な恋愛の過程をハラハラしながら見入ってしまいました。エマが男でも、女でも、多分同じ気持ちで観ていたと思います。ベッドシーンはフランス映画にありがちですが、ちょっと必然性がない場面が多かったかと。美術館とのシーンをシンクロさせることを考えると一回くらいはあってもいいのかもしれませんが。
印象的だったのはアデルがエマに追い出されてから、淡々と教師の仕事をこなす姿と、孤独に打ちひしがれ、感情を抑えきれずにいるシーンが交互に映し出されたところです。教師の仕事をしている彼女の姿は無感情で事務的な印象すらありますが、その生業が孤独な彼女を救っている。皮肉にも、教職はエマに価値を否定されたものでした。片や、エマに伸ばすよう迫られた文才。泣きながら綴った日記は原作ではストーリーそのものとして語られていましたが、この映画の中では一片も読まれません。「あくまで個人的なもの」というアデルの意志が貫かれているかのようでした。
大きく原作と異なるラスト。エマの個展に招待され足を運ぶアデル。そこでかつてアトリエに招き、自分が切り盛りしたパーティーと同じ面々が集っている。アデルは愛想程度の会話を交わすと早々に会場を後にします。その時の彼女の思いはどんなものか、ずっと考えさせられました。昔のパーティーで、エマのパートナーとして周囲から祝福された時と残酷なまでに立場が違う。自分は過去の存在で、もうエマが自分の元には決して戻らないとさとった悲しみなのか、エマの新しい愛人への嫉妬なのか。
パンフレットでケシシュ監督のインタヴューで述べていたような、社会階級の差をアデルがパーティーで見せつけられたからか。もしそうならば、アデルはその階級差を惨めに思ったようには見えませんでした。前のシーンでエマへの未練を「今の相手を私より愛しているのか?」と訴えたアデル。エマは答えられず、今は妥協の愛に身を置いていることを暗示させていました。
アデルが「個人的なもの」として大事にしてきた愛が、エマの社会階級にとってどんなものなのか、個展をみて確信したように思えました。アデルが高校生の時から悩み、肉欲をさらけ出し、孤独に狂い、過ちに悔やみ続けた、そんな未熟ではあるが体当たりで愛に臨んだ姿は、後付けの知性で浮ついた、髪の青くないエマの世界にくらべて、なんとも気高く感じられました。アデルがそれを確信して、思いを振り切れたなら救いです。そして人生の第三章に向うことを願わずにはいられませんでした。
あさましい「肉欲」の映画。苦痛を強いる179分。
カンヌ国際映画祭で審査委員長を務めたスピルバーグは「偉大な愛の映画」と激賞したとのことですが、このことば、信じてはいけません。なんと云っても、この映画は一人の女子高生があらゆる欲望に翻弄される過程が軸になっているのですから。あくまで「欲望」が先にあり、「愛」などは所詮、後付けなのです。まず、食欲、このアデルという女子高生、パスタをぐちゃぐちゃと如何にも汚らしく食べます。口の中の咀嚼されたパスタが見えたりもします。観ている者に不快感を与えます。次に睡眠欲、口を半開きにして如何にも放恣な寝顔で眠りを貪ります。そして、性欲、男でも女でも来る者は拒みません。特に、美術学校の学生、エマとの女同士の全裸での性交場面はまるでケダモノです。お互いの股間を舐め合い、大きなあえぎ声を出すのですが、観ているうちに胸糞が悪くなりました。この映画では至る所で、色々な人物が文学論や芸術論を開陳するのですが、そのどれもが、誰もが知っている有名なエピソードばかりなのです。特に、サルトルやボブ・マーリーのエピソードはこちらが恥ずかしくなってくるほどの当り前の話なのです。よく知られたエピソードを挿入することによって映画を水増しするのは感心しません。しかし、この映画の致命的な欠点は殆ど編集に注意が払われていないということなのです。バーやクラブ(昔風に云えば、ディスコ)の場面が、延々とだらしなく、続くのです。(長回しとは違います。とにかくしょうもない会話がだらだらと続くのです)性交渉の場面も同様です。舐めたり、揉んだり、尻をひっぱたいたり、もう大変です。そして、終盤、アデルとエマがある喫茶店で再開する場面も冗漫です。あろうことかテーブル越しにキスをしている間にアデルが欲情し、喫茶店で行為に及ぼうとします。あり得ない話です。とにかく、こうした場面を手際よく編集していれば、映画はもっと、締まり、緊張感を持った作品になった筈です。
私は1976年の「タクシー・ドライバー」以来、カンヌ国際映画祭で最高賞を獲得した作品は全て観ていますが、この作品はその中でも最悪の出来の部類に属します。この監督はエイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」などを観直して、モンタージュのなんたるかを勉強し直した方がいいでしょう。映画というものは長ければいいというものではありません。このケシシュという監督がブレッソンやゴダールのように優れた編集技術を持っていたなら、この作品は2時間以内のしまった作品になっていた筈です。
尚、☆を半分としたのはあくまで、私の主観的な判断に拠るものです。一人の平均的日本人が下した判断に過ぎません。特異な感性をお持ちの方は私とは全く違う感想を持つ筈です。この映画に最初から強い関心をお持ちの方、または同性愛に理解のある方は一度、観ておいた方がいいでしょう。
新宿バルト9で午前11時の回を鑑賞。客の入りは8割強、殆どが一人の来場でした。男性よりも女性の方が目立ちました。カップルで行くのは避けた方が賢明かと思います。
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