劇場公開日 2014年1月11日

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鉄くず拾いの物語 : 映画評論・批評

2014年1月7日更新

2014年1月11日より新宿武蔵野館ほかにてロードショー

ロマの一家の「リアル」を鮮やかに描出した人間ドラマ

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ダニス・タノビッチの新作は、ボスニア・ヘルツェゴビナに暮らすロマの一家の実話に基づいている。ある日、激しい腹痛に襲われた妻セナダは、危険な状態にあることがわかるが、保険証がなく、高額な費用を払えないために病院から手術を拒否される。夫のナジフはそんな妻の命を救い、家族を守るために奔走する。

地元の新聞でこの出来事を知ったタノビッチは、世間に訴えるために一家を訪ねたが、映画にするには1、2年を要するため一度は断念しかけた。しかし、セナダとナジフという当事者を起用することで、限られた時間と予算で映画化に漕ぎつけた。それだけに夫婦の親密な関係などは、さながらドキュメンタリーだが、これは決して単なるリアルな再現ドラマではない。

たとえば、マイケル・ウィンターボトムは、昨秋日本公開された「いとしきエブリデイ」にも端的に表れているように、ドキュメンタリーとフィクションの狭間にリアルを追い続けている。タノビッチのアプローチもそれに近い。

この映画には事実に縛られない独自の視点や構成が巧みに埋め込まれている。筆者が特に注目したいのは、薪割りと火力発電所のコントラストだ。物語は、薪の調達から始まる。ナジフは雪が残る道を山まで歩いて木を伐り出し、薪にする。中盤でも途方に暮れつつ薪を割り、最後もそれで終わる。一方、一家が車で病院を往復する場面では、執拗に都市近郊にそびえる火力発電所が映し出される。

薪と発電所はどちらも一家が生きていくためのエネルギーを供給するが、そのスケールはまったく違う。自分の手で調達できる薪に対して、巨大な冷却塔を備え、煙を吐き出す発電所は得体の知れないもののように映る。それは一家の前に立ちはだかる壁を象徴している。タノビッチは一家の目線に立って、象徴的な表現を切り拓き、彼らの温もりや不安、苦悩を実に鮮やかに描き出しているのだ。

大場正明

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