オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴのレビュー・感想・評価
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なあ、いい天気だから外に出ようぜ
ヴァンパイアって、引きこもりだよね、ってここまで分かりやすく描いた映画はあんまりないかもしれない。
世の人間をゾンビと称し、自分たちの生活圏やライフスタイルを脅かす存在として嫌い、自分の好きな音楽に没頭し、遠く離れた彼女には会いたいといって、わざわざ彼女から出向いてもらったりして。
「ああ、俺、この世を憂う、ロマンチストだぜえ」
全編引きこもりのポリシーで貫かれて、とことんかっこいい男とは真逆で映画が進んでいく。
ひたすら、引きこもり夫婦の気持ち悪い会話に付き合わされる。
最初はアホくさ、思いながら、吐き気をもよおしながら見てたが、血液を調達するシーンや、にわかに時代感覚がおかしい音楽センスなど、ああ、これ、ワザとか、と気付くと、俄然笑けてくるようになる。
「ひきこもっちゃダメなんかぁ」
世の引きこもり、というかジャームッシュ自身にかもしれないが、強烈に皮肉たっぷりに、ひょっとしたらあるいは、自虐的なメッセージがここにはある。
シャレオツな宣伝、お疲れ様です。
「ONLY LOVERS LEFT ALIVE」というのは、ジャームッシュ自身が意図的かどうかわからないが、「LOVERS」とは世に言うカップルのことではなく、この映画で言う、血を吸う、DRINKER(S)に置き換えるとよくわかる。
印象的なシーンとして、血を飲むシーンは、エクスタシーに達した
恍惚な表情をすべてのヴァンパイアが見せる。
また、人間が血を流したり、怪我をしたところを見るとゾクゾクするのは、普通に性の象徴。引きこもろうが、本能的な欲求は変わらない。
ラスト、彼らが、引きこもりのねじまがったポリシーをブン投げ、夜道のカップルを襲うのは、
「あんなに嫌っていたイヴの妹エヴァのやり方が正しかった」
「ウジウジ籠っていると生きてられない」
ということなのだろう。
LOVERSとは愛ではなく、欲望を追うもの。
ヴァンパイアにとって、純粋な欲望、生き血を吸うものがだけが生き残る。
引きこもりは、外に出て、その存在において、純粋な欲望を追いかけなければいけないのだ。
さあ、いい天気だぜ?
2013年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️⭐️✨
『JIM JARMUSCH Retrospective 2021』にて鑑賞(初見)。
イヴがターンテーブルに載せたシングル盤には、Westbondのレーベル面が…おっ!ファンカデリック!?と思ったら、Denise LaSalle "Trapped By A Thing Called Love" …さすが"スタックス派"(笑)…バックは、Hi Rhythmだけどね(笑)
*主人公のアダムがギター・コレクターで、ちょっとした"うんちく"話なんかもあって、オープニングからなかなか面白かった。
*ホラー要素は低めですが、ユーモアの効いたストーリーに2時間ずっと釘付けだった…オススメ!笑
よかった
ジャームッシュの映画は良く眠くれるので、寝る前に少しずつ見ていたら30分あたりから面白くなって、特に妹が現れからはますます面白くなって最後まで見た。さっさと追い出せよとイライラしつつも目が離せなかった。こんなことならコンディションを整えて頭からじっくり見ればよかったと後悔した。
吸血鬼が創作意欲を持っていて才能にこだわっているところがとても面白かった。時代劇で過去の交流なども描いて欲しい。尽きない寿命があって、感性は枯れないものなのだろうか。
現代では吸血殺人なんか御法度であることが何度も繰り返されていたのも面白かった。「あなたに贈り物をしたいわ、お金を全部よこしなさいよ」と言うのが変で面白いのだが、素直にお金を渡してしかも彼が本当に喜ぶ贈り物をするので安心した。
音楽もよかった。顔から色つやを抜くメイクがそれっぽかった。
かっこいいロキ
最初の人間、アダムとイヴってことなんでしょうか。
最後、怪異の王としては高潔かつ気品ある死を選ぶ、の方がかっちょいいと思いました。
かっこいいロキを観にいって本物の女吸血鬼と遭遇してしまったよ…、って感じ。
映像もさることながら…
聴かせる映画です。全編に漂うミスティックな雰囲気と、それにマッチするアラビアンなムードのBGM。最後は実在するレバノンのミュージシャンをそのまま出演させて、なんとも粋な演出。ありきたりなヴァンパイア映画とは一線を画した、玄人向けの作品です。
環境汚染で、なんとヴァンパイアも絶滅危惧種に。
原題は1964年に発表されたSF小説“Only Lovers Left Alive”と同じ。劇中でもイヴが愛読書として、旅先までも携帯していました。
この小説は大人が全員自殺してティーンエイジャーたちがやりたい放題する社会の出現を表現しています。そんな世紀末の到来を予見した原作になぞったか、本作のルックはジャームッシュ監督が説明するヴァンパイアのラブストーリーというよりも、強烈な皮肉を込めた社会風刺の作品といったほうが分かりやすいでしょう。何と言っても、文明の発達は、人間の体内に様々な科学物質を取り込み、もはやヴァンパイアが安心して、人間を襲えない状況となっていたのでした。もしも、衝動的に不特定多数の人間の血を摂取すると、永遠に近い生命を生きられる長寿のヴァンパイアでさえ、命を落とすことになってしまうことさえ描かれていました。だから現代のヴァンパイアは、身の安全のために不特定の人間を襲うことをやめて、信頼できる医師を通じて、安全な血液を入手していたのです。その原因は近代化による水質汚染。地球の環境問題が、ヴァンパイアの棲息も追い詰めているのだという本作の主張は、なかなか面白い着眼点だと思います。
ただ作品としては、セリフなしの比喩的なシーンが多いのと、主人公のアダムが伝説のインディーズミュージシャンという設定なので、ライブやレコードを聴いているシーンが長いところが気になりました。もっとテンポを上げてサクサクと語ってもらいたいところです。
余談ですが、アダムのモデルとなったミュージッシャンは、きっとローリング・ストーンズのキース・リチャーズではないかと思います。風貌が似ています。また、妻のイヴが暮らすモロッコのタンジールには、彼らの別荘があり、アルバム「コンチネンタル・ドリフト」は1989年にタンジールで録音されています。ちなみにジャック・スパロウ船長はキースをイメージして演じた、ジョニデは公言しています。キース自身も2007年、シリーズ3作目『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』でジャック・スパロウの父親、ティーグ役として出演。映画とつながりの深いミュージッシャンです。
但し、アダムの異常なほどのいろんな楽器を器用に弾きこなし、異常なほどの楽器フェチなキャラは、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズから引き継いだものではないでしょうか。
ところで、彼らの名前から察するに、旧約聖書の創世記のころから生きてきたのでしょう。その時々の文明の芸術や文化や思想を司る歴史的有名人を影で操って、影響を与え続けてきた彼らは、凄くプライドが高いのです。普通の人間をゾンビと見下していました。 アダムの自慢話の一つに、シューベルトの曲は、こうやって作ったのだよと、まるで本人の守護・指導霊になったかのような感じ。
また、イブの父親で「先生」と呼ばれるマーロウは、たくさんの戯曲を書いており、もしかしたらシェイクスピアのゴーストライターをやっていたのは、彼なのかもしれません。
単なる健康問題ではなく、そんなプライドの高さが、人間を襲うことを野蛮な行為として、葬り去ったのだと思います。台詞でも、どんなに飢えても「そんな15世紀の昔にやっていたことになんてやらないしてしない。」ということが何度も語られます。
ただ安全な血液の入手ができなくなったことで、生命の危機を感じた彼らはどんな選択を行うのか、すごく興味深いラストでした。
さて、物語は至って単純。夫のアダムは、どんな弦楽器でも弾くことができる天才的なミュージシャンとして、デトロイトで人知れず暮らしていました。会うのはプロモーターのイアンだけ。イアンはアダムの依頼でエレキギターの名機を買い集めていたのです。それ以外ファンの若者たちとも一切会うこともなく、住所も極秘に。
アダムは、1960年代以降の文明については否定的。iPhoneを使いこなしてテレビ電話してくるイヴに対し、アダムは、わざわざノートパソコンを、50年代の丸形テレビにつないで会話していました。パソコンは仕方ないのかな?
モロッコとデトロイトとの遠距離恋愛に淋しさを感じたイブは、夫の元に駆けつけます。移動はヴァンパイアなので、いつも夜間。だから飛行機の発着時間にも気を使わなくてはいけないので大変です。
デトロイトに着いて、夫の邸宅に向かうイブが見るデトロイトの町並みは、自動車産業の衰退で、ゴーストタウンとなっていて、ヴァンパイアが隠棲するのにピッタリです。
相当長い間会っていなかったふたりは、久々の逢瀬を楽しみます。ヴァンパイアだって、エッチはやるようです(^^ゞ
昼は寝て、夜は起きてデートを楽しむ平穏な日々が続くふたり。特に血液を呑むときの至福の表情が印象的でした。
そんなところに押しかけてきたのが、イブの妹のエヴァ。大切な血液のストックをがぶ飲みして、イアンとはイチャイチャとやりたい放題。血液を取り上げられたエヴァは、ついついイアンを襲って殺してしまいます。死体の処理に困ったアダムとイブは、どんな選択を行うのかというものでした。エヴァの脳天気さが、ヴァンパイアらしくなくて面白いところです。
最後に、本作では「ぐるぐる回るもの」が、メタファーとして扱われています。
オープニングでまるでアダムとイブがが同じ場所にいるかのように、シンクロしてぐるぐる回っているかのように映し出された入り、しつこいくらいにアナログレコードがぐるぐる回っているところがアップされたり、テープレコーダーの大きなオープンリールがぐるぐる回っているところが映し出されたりします。
ふたりは時々、量子物理学の議論をかわしていました。この廻るという概念、そして離れた場所の存在がシンクロはして動くというメタファーが意味しているものとは、量子もつれでわかる新しい量子力学の世界を象徴しているものと思います。それは、「2つの量子は離れていてもつながっている」というアインシュタインを悩ました現象でした。とても難しい概念なので、「量子もつれ」とは何かと「不確定性原理」について、興味がある方はお調べ下さい。
きっとジャームッシュ監督は、彼らは「量子もつれ」を操作して、永遠の生命を手に入れているということがいいたいのだと思います。
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