りんごのうかの少女 : インタビュー
工藤夕貴&横浜聡子監督「りんごのうかの少女」で起こした“奇跡”
青森・弘前を全国に知ってもらおうと同市が企画した短編映画を託されたのは、青森市出身の横浜聡子監督。りんご園を営む家族の一人娘を主人公に、ユーモアとスパイス、そしてホロリとさせる感動をまぶした「りんごのうかの少女」を完成させた。脚本にほれ込み、その世界観に魅了されたのが工藤夕貴。父・井沢八郎さんの故郷でもある弘前での撮影では、多くの縁を感じたという。かけがえのない時間を共有し深い信頼関係で結ばれたふたりが、作品に込めた熱い思いを語る。(取材・文/鈴木元、写真/編集部)
地域発信型と呼ばれる映画が昨今増えているが、中には名所旧跡や象徴的な景色を前面に押し出したPR映像的なものも目にする。だが恐らく、弘前市は横浜監督にそれを求めなかったはず。りんご農家が多いため、唯一のリクエストは「りんご農家の方が見て喜ぶような映画を作ってほしい」だった。
「青森県の人ってすごくシャイで、身近な人でも気持ちを言葉で伝えるのが下手な人が多い。そういう一番身近な人間関係がいいのでは、というのは最初から決めていました」
りんご農家を舞台に母娘を軸にした家族のドラマを念頭に置き、脚本を執筆。映画を見る限り確かに家族ものだが、さまざまな伏線があり、メタファーがあり、時に予想外のキャラ(動物含む)まで登場し、実に起伏に富んだ物語が展開していく。いったい、どのような思惑があったのだろうか。
「短編で人を感動させるのは、なかなかハードルが高いなと思っていたんです。今まで起承転結があっていいお話だとねという映画は作ったことがなかったので、なるべく見ている人が寄り添いやすい、誰にでも当てはまるような物語にしようとは思いました。それにプラス、どこかで見ている人を驚かせたい。そのあたりのバランスを考えながら書きました」
中学生のりん子は、りんご園を営む両親に反発し家出を繰り返している。だが、家を空けている間に父・玉男が不慮の事故で急死。母・真弓との溝は深まるばかりだが、母娘のきずなは切れるはずもなく、ふたりは体を張って本音をぶつけ合っていく。
真弓役のオファーを受けた工藤だが、ちょうど主演映画「カラカラ」がモントリオール世界映画祭に出品され受賞するかどうかでやきもきしていた時期。スタッフの“催促”で目を通したが「うわあ、なんだこれ。面白い」とゾッコンになり、出演を即決したという。
「横浜監督は同じ女性として一生懸命、前向きにやっていらっしゃるだけでうれしいのに、脚本でものすごくイメージが膨らんだんです。なんでりん子はこんなふうになっちゃって、どこから手をつけていいか分からない。そんな伝えたいのに伝えられない不器用な家族関係があって、本当は心の底ではちゃんとつながっているはずだけれど、確認し合う時間もなくて毎日を惰性で過ごしている家族観がすごく新鮮で、監督の目のつけ方があっぱれでした。当たり前の日常生活を切り取って当たり前のことしか出てこないのに、映画って魔法をかけることができるんだと、純粋に関わりたいと思いました」
この吉報には、“ダメ元”で依頼した横浜監督も「飛び上がるくらいうれしかった」と相好を崩す。さらに、玉男役に決まったのは永瀬正敏。ジム・ジャームッシュ監督の「ミステリー・トレイン」以来、24年ぶりの共演が実現したのだ。しかも、オムニバスの同作で2人が出演した1編は「ファー・フロム・ヨコハマ」。久しぶりの再会が“横浜監督作品”という偶然の巡り合わせとなった。
工藤「共演するべくして、やっと永瀬くんと会ったって感覚でした。わあ、チョー懐かしいねって感じで。けれど旧知の仲なので他人行儀にならなくてやりやすかったし、安心感があって楽しかった。私たちの間ではまったのは、(「ミステリー・トレイン」で)あんなに自由に横浜を旅していた人たちも、結婚して10何年かたつと問題児を抱えて、世知辛い日常生活に追われる人生を歩んでいる。人生ってそういうものだよねって、けっこう笑えました」
横浜「りんご園でおふたりが初めて撮影でいらした時に、やばい、あのふたりがいると思って何だか見られない。緊張というか、喜びと緊張と…。あのシーンは精神的に相当たかぶっていました(苦笑)」
加えて工藤にとって弘前は、父の生まれ故郷。親子で帰省したことはないが、子どもの頃に祖母の家を訪れた思い出が詰まっている。初挑戦の津軽弁も自然と体にしみ入ってくる感覚があったそうだ。そして「今回の映画では不思議なことがたくさんあった」というので追及すると、2007年の工藤の誕生日に亡くなった井沢さんを最後に見舞った時の思い出を語り始めた。
「父親がほとんど意識を失っている時に、口がずっと同じ動き方をしていたことを覚えているんですけれど、何だろうと思っていたら多分それは『誕生日、おめでとう』と言ってくれていたのが後から分かったんです。とにかくそのひと言だけ、私に言いたかったんだろうなって」
くしくも「りんごのうかの少女」で、互いに理解し合った真弓が遠ざかっていくりん子に向けてつぶやくセリフが「誕生日、おめでとう」。映画としてのクライマックでもあり、工藤にとっての撮影最終日の最後のシーンでもあった。
「台本では最後の最後まで気づかなかったんですけれど、やっぱり私がやることになっていた映画なんだなあって。父親も岩木山を見ながら育って、私ともいろいろあった中で最後に伝えたかった言葉が、映画で私が子どもに対して伝える言葉だって演技し終わってからハッと気がついて、これ、パパの言葉だって思ったら1人になってから泣けてきちゃった」
目に涙を浮かべ声を詰まらせながら話す姿に、こちらも感じ入ってしまう。他にも親友の1人がプロデューサーと高校時代の同級生であることが判明するなど、深い縁を感じずにはいられないエピソードが多くあったという。それも含め思い入れの強い作品だけに、その自身のクランクアップでは寂しさがあふれた。これは、まだ他のシーンを残していた横浜監督も同じ気持ちだったという。
工藤「自分が好きな作品に関わっている瞬間が至福の時なんですね。華やかに公開されたり、赤じゅうたんで自分がスポットライトを浴びる時よりも、撮影している時が一番楽しい。だからずーっと撮影が続いて、いつまでも演じていたいという感覚を持ち続けているんです。今回も台本から好きだったから、終わるのは嫌ですよね。もう終わっちゃうんだという感じ。監督の助手として残りたいくらいでした」
横浜「工藤さん、これで帰っちゃうんだって、りん子との別れではないですけれど、個人的にはシーンが自分と重なって寂しかったです」
それでも、「出ていただければ奇跡」とまで夢見ていた工藤の、作品に対する真摯に姿勢には感謝の念を惜しまない。完成した作品にも相当な手応えを感じている。
「工藤さんにお母さん役をやっていただけたことが、この作品にとって一番大きかった。本当に撮影の過程を楽しんでくださる方で、照明部、撮影部などと同じ俳優部として現場にいらしてくれるんです。工藤さんがいなくなったら、この現場大丈夫なのかなって心配になっちゃったくらい。そういう意味でも、過程がちゃんと残ったというか、できた作品もすごくいいものになった」
工藤も「もちろん自分の中に課題はたくさんあるけれど、やっぱりいい。本当に関われて良かったなって思います」と満面の笑みを浮かべた。
さまざまな縁によって導かれたふたりの思いが結実した「りんごのうかの少女」は、横浜監督が「大きな一歩」と語る12月7日の東京公開を経て、来年に入ると札幌、名古屋、大阪、愛媛、宮崎と、弘前市が思い描いた全国へ広がっていく。