あなたを抱きしめる日までのレビュー・感想・評価
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演じるとはこういうことなのかも…
まるでその人そのもののように思えてくる。ジュディ・デンチもスティーブン・ジョン・クーガンも。子役まで出演者すべてがその瞬間にそこへ行けば、そこにいるような気がする。
・・・なんちゃって~というような場面がない。映画の中の空気感が最初から最後まで変わらない。そして静かな音楽が寄り添うように流れる。人生は思い通りにいかないものだけれど、救いはあなたのすぐ隣にもあるのよというように。
長年の労働のあとに手にしただろう平穏な日々と家族を大切に思うどこにでもいるおばちゃん。大学などには行かなくても物事の本質をあるがままにとらえようとして生きてきた人の賢さを感じさせるセリフたち。ジュディ・デンチの寡黙な青い瞳に吸い込まれそうになった。
人にとって<許される>ことはさして重要な事じゃないのかも。表面上ではなく心から<許す>ということは意味深いけど。あのシスターはフィロメナに<許された>けれど、自分で自分が<許せる>のか。それとも自分の罪には思い及ぶこともなく生涯を終えるのか。
邦題は微妙。
頭が固いほど道徳的。敬虔なクリスチャンはこういう感じなのだろうか。フィロミナのキャラクターが「お年寄り」をすごく象徴的に表現していました。
重いはずのストーリーですが、この可愛らしいおばあさんと記者のやり取りが微笑ましい。予想していたよりもさり気ないラストだったのですが、実話なのですね。
意外な
お母さん、強かった。もっとしんみり暗いトーンかと思ってたけど笑うとこもあった。
修道院、閉鎖された環境にいると逆に歪んだ集団でのイジメ、隠ぺいが正しいことだと思っちゃうのか?
景色が良かった印象が残ってます。
ジュディリンチが愛くるしい
本当にあった話と言う事でとても許せる話ではなかったけど、眉間に皺を寄せてイライラせずに観れたのはジュディリンチの愛くるしさのおかげだったように思う。何度も抱きしめてあげたいと思った。しかし、死が迫ってるにも関わらず母親を探しに来た息子に対する修道女の行動は腹立たしかった。結局宗教は人間性までは救ってくれないのだな…
実話なのは驚いた
フィロミナの娘がマーティンと会っていなかったら、息子を見つけることはできなかったかもしれないね。マーティンとフィロミナの会話が面白くて、終始笑っていた。息子のビデオを観ていたら意外な真実を知ることになるんやけど、マーティンは怒るけどフィロミナは許すんよな。母親の息子に対する純粋な愛にはぐっとくるものがあった。
100万に一つの…
50年の時を経て生き別れた息子を捜すアイルランド人女性の姿を描き、アカデミー作品賞にもノミネートされた感動作。
良作だった!
ドラマチックな題材なのは当然、実話の映画化。事実は小説より劇的。
ベタな邦題から温かな作風を想像するが、ユーモアと批判精神のスパイスが効いている。
息子を捜す母フィロミナと、協力する記者マーティン。
片や、小さな事にも素直に感動し感謝する、子供のような性格。
片や、職業柄か、何事も斜めから見る皮肉屋。
性格も考え方も正反対の二人のやり取りが面白い。
息子の消息を追ってアメリカにやって来たフィロミナのカルチャーギャップも充分なユーモア要素。
その昔、修道院で出産したフィロミナ。
カトリックにとって、未婚の母は罪(らしい)。
愛する我が子は養子に出され、無理矢理引き離されてしまう。
これは、以前見たある映画でも取り上げていた、この当時のイギリスの社会問題の一つでもある、児童移民。
修道院が養子斡旋していたという、衝撃の事実。
修道院=清らかな善のイメージの裏側の闇を暴く。
物語の中盤で、息子の消息は意外な形を迎える。
そこで終わらず、息子の形跡を追う。
(↑ちょっとネタバレか?)
辿り着いた先が、再び修道院。
ここで、さらに隠されてきた真実が語られ、マーティンは激昂する。
それが罪の償いだと主張する修道院側。
その時、フィロミナは…。
宗教に馴染み無い日本人にとって、この時のフィロミナの行動はなかなか理解し難いかもしれないが、フィロミナはカトリック信者。これが彼女なりのけじめ。
お茶目に、哀切滲ませ、清く正しく。ジュディ・デンチが何のケチもつけられないさすがの名演。
マーティン役のスティーヴ・クーガンはイギリスのコメディアン。本作では脚本も担当、マルチな才能を見せる。
スティーヴン・フリアーズは「クィーン」に続いての好演出。
フィロミナがまだ見ぬ息子を思いやる気持ちが、何処までも一途で温かい。母の愛は深い。
実は、息子も…。
親子の絆は固い。どんなに時が離れようとも。
普遍的ではある。が、それこそが、“100万に一つ”の奇跡なのだ。
まるで“M”のスピンオフ映画
メロドラマ風のタイトルとは裏腹に非常に力強く、信念に満ち溢れた作品である。
未成年で妊娠したことから修道院に入れられ、生まれた息子を養子に出されたひとりの女性が50年の時を経て生き別れになった息子を探す旅に出る。母親の息子探しという目新しくはないプロットでありながら、テンポの良いストーリーとウィットに富んだ会話でグイグイと観客を引っ張っていく。
主人公フィロミナを演じるのがジュディ・デンチ。ひとつの手掛かりを基に記者のマーティンと共にBMWに乗って息子の行方を追っていく様子はまるで007の“M”のスピンオフ映画を見ているかのような気分になる。
旅を通じて徐々に明らかになる息子の行方とその素顔。時に喜び、時に感情が揺らぐフィロミナの姿は50年間会えなかったとしても母親としての愛情の深さを感じさせる。しかし、今作の特筆せねばならないところは息子探しの旅を通じてフィロミナ自身の過去の過ちと宗教的な信仰と向き合うことになる点である。
それぞれの信念が交差する結末。この物語が実話だというから最後の驚きは半端ではない。どの価値観も考え方も決して間違いとは言えないのだろうが、もし、自分がフィロミナの立場だったらと思うとあの決断はできないだろう。そんな彼女の勇気こそ“100万年に1度の結末”を生み出している。
主演のみで引っ張るのも、限度があると…
嗚呼、ジュディ・デンチ…と堪能の一本。
実話に基づく、食べ応えのある物語。
作品としても上手く纏まって魅せてくれるのですが…
イマイチ登場人物の本気が伝わって来ない、細かい演出の粗さが気になってしまい乗り切れず。
母性が重要な柱だけに、余計に主人公のふらつき(信仰もあるかもですが)に「えぇ?!」となることしばしで感情移入がしづらく。
記者にしても、この仕事に対する情熱がどうにも感じ辛くて。
惜しい、そんな一本でした。
聖なるもの
原題は「Philomena」Philo(愛)と me(私)意訳すれば「私を想っていた」
インテリで無神論者のマーティンと無教養で敬虔なフィロミナとのギャップでの笑いで映画は進み意外な最後へとたどり着く。
クライマックスのシスター・ヒルデガードの台詞も意訳すれば「真面目にやって来た私を貴方たちに批判される筋合いではない」であり、逆切れでもある。
そして対比として息子の本心を知るのを恐れていたフィロミナの終盤への教会からクライマックスそして終焉までの行動からみえるのは「真に必要なことは教条を守ることではなく試練を乗り越える」である。
試練を乗り越えたフィロミナは聖なるものを得た。だからこそ修道院の残忍な行為を赦すことができたのだ。
凄い実話!
4月にある国に行き観光で修道院の中をみたのですが、一言でいって“暗い”。ガイドさんの話だと、やはりそこも昔その中で女の人が死んだとか…、あの時代ならありうるストーリーだと納得です。しかし、何故もっと早く息子探しをしなかったのだろう?残念。カソリックは厳格だとは知っていたにせよ、未婚の母になった娘を修道院に入れたり、ラストシーンでも、戒律だからと言って、母を訪ねてきた息子に対して、しかも死の直前なのに、会わせなかったなど、我々には理解しがたいし、それこそ“赦せない”のですが、当時ならではのその厳しさが伝わってきます。それなのに母のフェロミナが赦すとは、ますます解らないのですが、昔の人にありがちな理不尽でも敬虔なクリスチャンなら従うという、それなのでは!と解釈し、“人を赦すことにより自分も赦される”との解釈をも持ちました。そして内心では自分では出来なかったけれど、裕福な家庭で育てられ立派な人になれた事への感謝もあったのでは?と。しかし、息子は“どんなに母に会いたかっただろうに”が伝わってきて胸が痛んで止みませんでした。
罰を与えるのは神か?教会か?
これこそ、正に事実は小説より奇なり!
もしかするとフィクションではこういうキャラクターもストーリーも生み出すことは出来なかったかもしれない。
カトリック教会(修道院)による人間性を否定する酷い行いというのはやはり事実が元になった『マグダレンの祈り』で目にしていたし、オーストラリアへ養子に出された子ども達の親探しについては『オレンジ太陽』で見ていたので、フィロミナの身の上に起きたことについては一応免疫があったのだが、とても意外だった、というか驚きだったのは、その後の展開だった。
この展開はフィクションでは思いつかなかった、もし思いついていたとしても、リアリティがないと批判の対象にさえなっていたのではないか?
日本人的感覚いえば、子供を自分の手で育てようという意思を持つフィロミナから息子を奪うこともあってはならないことだと思うが、将来を考えれば恵まれた環境で育てられたことは息子にとって幸せだったと言えないこともない。
しかし、大人になった息子と母親の再会を妨害するというのは、フィロミナに対する罰というにはいくらなんでもやり過ぎに思える。
フィロミナは息子を産んだこともその父親と恋に落ちたことにも後悔はないし、修道院に対する恨みみないように見える。
(マーティンや観ている私達にとっては、それが理解出来ない。)
しかし、彼女はセックスを楽しんだことは罪だというのだ。
たとえそれが罪だったとしても、罰を与えるのは教会や修道院、ましてシスター・ヒルデガード個人だろうか?
罰を与えられるとしても、それは神の仕事ではないのか?
シスターの行き過ぎた行為は、彼女の個人的な嫉妬、恋をしセックスを楽しみ、息子を授かったフィロミナに対する彼女の女としての嫉妬ではなかったか?
私にはそう思えて仕方なかった。
こんな邦題なので50年前に生き別れた息子を探す母と元ジャーナリスト...
こんな邦題なので50年前に生き別れた息子を探す母と元ジャーナリストの旅というものすごい地味な話かと思いきや、クライマックスで一転して驚天動地の結末に辿り着く大傑作。ジュディ・デンチとスティーブ・クーガンがボケツッコミを延々と繰り返す軽妙さとテーマの深遠さのギャップが激しい本作が実話だというのも驚きです。
"赦す”とはなんだろうか
信仰とは、赦すとは、難しい問題ですね。
フェロミナにとってカトリックの信仰があったからこそラストで、シスターたちを赦すということができたのだと思うと余計に。
ジャーナリスト・マーティンとの戻ってくる旅は、フェロミナにとってかつて失った息子との日々を疑似体験したような気分だったのではないかしら。そしてフェロミナとマーティンのやり取りは重くて難しいテーマを描く本作の中で清涼剤のように感じました。
かつてのアイルランドのカトリック修道院については『マグダレンの祈り』を、児童移民については『オレンジと太陽』(原作小説題:『からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち―』)、信仰と修道院については『汚れなき祈り』を思い出したのでした。
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