「罰を与えるのは神か?教会か?」あなたを抱きしめる日まで arakazuさんの映画レビュー(感想・評価)
罰を与えるのは神か?教会か?
これこそ、正に事実は小説より奇なり!
もしかするとフィクションではこういうキャラクターもストーリーも生み出すことは出来なかったかもしれない。
カトリック教会(修道院)による人間性を否定する酷い行いというのはやはり事実が元になった『マグダレンの祈り』で目にしていたし、オーストラリアへ養子に出された子ども達の親探しについては『オレンジ太陽』で見ていたので、フィロミナの身の上に起きたことについては一応免疫があったのだが、とても意外だった、というか驚きだったのは、その後の展開だった。
この展開はフィクションでは思いつかなかった、もし思いついていたとしても、リアリティがないと批判の対象にさえなっていたのではないか?
日本人的感覚いえば、子供を自分の手で育てようという意思を持つフィロミナから息子を奪うこともあってはならないことだと思うが、将来を考えれば恵まれた環境で育てられたことは息子にとって幸せだったと言えないこともない。
しかし、大人になった息子と母親の再会を妨害するというのは、フィロミナに対する罰というにはいくらなんでもやり過ぎに思える。
フィロミナは息子を産んだこともその父親と恋に落ちたことにも後悔はないし、修道院に対する恨みみないように見える。
(マーティンや観ている私達にとっては、それが理解出来ない。)
しかし、彼女はセックスを楽しんだことは罪だというのだ。
たとえそれが罪だったとしても、罰を与えるのは教会や修道院、ましてシスター・ヒルデガード個人だろうか?
罰を与えられるとしても、それは神の仕事ではないのか?
シスターの行き過ぎた行為は、彼女の個人的な嫉妬、恋をしセックスを楽しみ、息子を授かったフィロミナに対する彼女の女としての嫉妬ではなかったか?
私にはそう思えて仕方なかった。