「母の根性に感嘆します」あなたを抱きしめる日まで catなんだわよ~んさんの映画レビュー(感想・評価)
母の根性に感嘆します
修道院の閉鎖性には、開いた口も塞がらない。
アイルランドって怖い、宗教ってトンでもない一面がある。
あれでも宗教者?
キリストだって、生きていたら激怒しそうな仕打ちじゃないですか。
お母さんって凄い!
女は弱くても、母は強しです。
この方は根性が坐ってます。
ジュディ・デンチというコメディー系女優さんが、面白しろおかしく演じてましたが、でもこの母親はごく普通の方ですよね。
色気より食欲、見栄より実利、まさにオバサン(笑)
でも真心があったのが勝利の元かな。
不幸を幸福に変える実力あります。
これって幸せの掴み方かも知れないですね。
心の持ちようで如何にも人生が変わる。
憎くっても、神経が疲れるから許してしまう・・・。
しかしながら、決して憎しみを忘れたワケでもない。
憎いからこそ許す・・・みたいな。
余程、彼女のほうが修道女のトップより人間性が上です。
人間性が上のほうが幸せになりますね、現世の処し方ですね。
この映画で、そんなことを学んだ気がしています。
息子さんも、不幸なようで結局のところ幸せだったと信じたいです。
いい息子♪
心ある、頭も優秀な息子さんですネ。
一つだけ気になることが・・・。
アメリカで会った「妹」とは?
彼女は、息子(アンソニー)の仲良しだった女の子でしょうか。
彼女を貰いに来た夫婦に、アンソニーと仲良く遊んでいてどうしても離れないので、修道院からアンソニーも一緒に貰われいく原因を作ってしまったあの女の子でしょうか?
あまり裕福そうな暮らしはしていませんでした。
この女の子の母はなぜ会いたいと思わなかったのか?
母にもイロイロ居るということでしょうか。
私が映画の細部を見損なったのか、コレだけが未だに疑問として残っています。
各所の映画解説を読んでも、これは明らかにされていません。
どなたか知っている方がおられたら、教えて下さいな。
〉女の子の母はなぜ会いたいと思わなかったのか?
とのご質問ですが、
まず第一に、ストーリーが煩雑になるので映画本編ではこの一組の親子だけに焦点を当てたのだと思いますよ。
(原作ではもう一組の母娘について少しでも触れているのかどうかは原作本を取り寄せてみるしか確かめようはありませんし、邦訳の有無も私は知りません)。
そして第二に、
もう一人の女の子のお母さんが娘を捜していたかどうかについて、この作品内では、一番最後のエンドタイトルの字幕で「今なお多くのアイルランド人の養子とその母親が互いに捜し続けている」とドキュメンタリーの補足として解説を付してあります。
この字幕によって、
《成長した娘メアリーは母親を捜さなかったけれど母親のほうはきっと他の母親たちのように捜していたに違いない》と私たちに語りかけていると思います。
すみません。
(娘が母親に会いたがらない)じゃなくて(母親が娘に会いたがらない)のは何故か?
だったんですね。読み間違えてました。削除方法が分からないので取り急ぎスミマセン
妹が素っ気なかったのは、アンソニーの友人のピートが最初面会を断ってたのと同じ理由だと思います。
つまり、「母親からいらない子供だから里子に出されたんだ」と修道女から嘘の説明を受けていて、本当の親に対して憎しみを持っていたのだと思います。
アンソニーがそれでも本当の家族を信じて自分の最期を迎えた事がさらに感動と憤りを与えているのだと思います