「監督は社会を変えたかったの?」子宮に沈める れちぇるんさんの映画レビュー(感想・評価)
監督は社会を変えたかったの?
映画の内容は正直、ただ単に犯罪者が被害者を殺害する一部始終を再現したようなものでした。
私は率直にこの映画を見て伝わってきたメッセージは、
“バカな母親”たちよ、”もっとしっかりしろ”というものでした。
これを見て観客が感じるのは、ネグレクトは母親のせい、子供がかわいそう、バカな母親の元に生まれなくてよかった、こんな感じでしょうか。
ネグレクトは母親だけのせいですか?
違う。
根本的な原因はそれを救うことのできない社会構造にありますよね。そこの描写が何もない。
女性が子供を産んだ途端に母性に包まれて献身的に母親の役割をするべきだというのは、幻想であり社会のエゴ。
女性1人が周りの助けなしに子供を育てるなんて常人ではできない。壊れるのが普通。
母親が周りに助けを求めても救われない描写、別れた後の父親が子供になんの興味も示さない描写、周りが他人の家庭の問題だと見て見ぬ振りする描写。
現実のネグレクトを構成する問題がすべて欠落している。
バカな母親のせい。それしか描かれていない映画。
グロテスクな映画を見たいだけの人にはおすすめしますが、こんな題材を扱っておきながら社会をひとつも変えることができない残念な映画です。
人それぞれの背景があります。
あなたがあの立場ならそうはならなかったかもしれませんが、現にそうなった子供がいるわけです。見えていないだけであの子どものよう子は世の中に沢山いるわけです。あなたにとって何のメッセージ性の無い映画だったかもしれませんが、身近に困っている方が居たら気にしてあげてください。その些細な事が誰かを助け、その家族も助けられるかもしれないのですから。
Tarou yamadaさん
例えば戦争を扱った映画は、戦争はいけないことだというメッセージを含んでいると思います。例えば火垂るの墓で子供が苦しむシーンはいたたまれない気持ちになりますよね。
かたやこの映画は、子供の苦しむシーンをひたすら見させるにも関わらず何のメッセージ性もなく、仮にメッセージがあるとすれば母親がしっかりしろ、という間違ったものなので酷い出来の映画だと私は思ったのです。
最後すべてやりきった母親の最後が描かれてないでエンドロール、あれは社会を変えたかったという偽善者的なものではなく、「こんな母親どう思います?」て問いたかったからだと思います。映画全体的に定点撮影が多かったのは「登場人物の人となりではなく起きた出来事」を見てほしかった、つまり登場人物の属性は関係なくこういう事案(自分が冷静さを失う時、人は時として弱い時があるかもというの、あの母親は前半頑張ってました)もあるとを伝えたかったのではないかと私は考えます。