「両親に有難うって感謝できれば、その気づきで人生を変えられる作品となるだろう」青天の霹靂 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
両親に有難うって感謝できれば、その気づきで人生を変えられる作品となるだろう
劇団ひとりの原作・監督だけにコメディタッチを予想してきたのに、意外とシリアスで、心温まるヒューマンドラマだったのです。映像には、劇団ひとりの性格が滲み出ていて、カット割りが細かく丁寧。テレビで見せるひょうきんさや切れキャラとは違って、内面は、几帳面でナイーブな感性の持ち主なんだろうなと感じました。
全体としては短めで、もう少し主人公の春夫がマジッシャンとして活躍するところを見たかったのですが、最後の春夫が語るひと言がこの作品のテーマだったとしたら、そこでさくっと終わるのが正解だったと思います。
春夫と同じように、人生に行き詰まりを感じている方にはお勧めの作品です。春夫のことをけっして他山の石とせず、ご自身の許せなかった両親と向き合い、春夫のように反省と感謝の思いにつなげることができれば、その気づきで人生を変えられることができるドラマなんだとお勧めしたいですね。
物語は、ホームレスとなって音信不通だった父親・正太郎が荒川の河川敷で病死したとき、その惨めな姿が自身と重なって春夫が号泣したとき、まさに青天の霹靂で、空から巨大な落雷が彼を直撃するのです。気がついたら昭和48年の自分が誕生する直前の時代へタイムスリップしていたのでした。その時代で偶然正太郎と再会するまでが少々長いプロローグとして語られます。
ラストシーンを見る限り、本当にタイムスリップしたのか、それとも幻想か定かではありませんでしたが、確かにいえることは、春夫が父の死をきっかけに、自分の潜在意識に押し込んできた本当の記憶を取り戻すために、心の旅をしたことです。
正太郎と向き合ったときは裁くこころが抑えられず、春夫がことごとく反発するところは爆笑で綴られます。けれどもネタバレが進んで、母親となる悦子から、生まれてくる子供は、どのような子供になるのか未来を予言して欲しいとせがまれたときに、言葉を詰まらせながらも、「きっとその子はあなたを誇りに生きていくことでしょう」と応える春夫の台詞と表情に涙を禁じえませんでした。
春夫の記憶では、正太郎はまともな仕事につかず、春夫の養育すら放置して、姿をくらましたとんでもないバカ親父でした。母親については、正太郎から好きな男ができておまえを置き去りに逃げた酷い母親なんだと聞かされていたのです。だから春夫は両親に裏切られたという強い怒りを持ち続けて、大人に。
マジッシャンとして腕は確かなのに、人前で喋れないという芸人として欠点を持ってしまったのも、両親に愛されていなかったトラウマから、ついつい自分はだめな人間なんだという思いぐせがついてしまったのです。
でも、人は自分がしてあげたことや傷つけられたことは執念深く憶えていますが、人から受けた恩というのは忘れがち。たとえ赤子でも実は誕生時に受けた両親からの深い愛情を強く記憶しているものなのです。その後の子育ての苦労などつぶさに思い起こせば、両親から受けてきた恩とは、どんな深海よりも碧く心に染みいり、どんなに星霜を重ねても尽きることはありません。
タイムスリップした春夫は自分の出生時の秘密を知ります。そして自分がどんなに独りよがりで親を呪い続けてきて、恩知らずだったのか悟るのです。ネタバレを避けますが、少なくとも悦子は、夫と春夫を裏切っていませんでした。そして、春夫の誕生を心から祈っていたのでした。そんな悦子が心を込めて書いた絵馬を見て、春夫は愕然とするわけですね。自分は生まれてこなければよかったんだとさえ思っていた春夫でしたが、こんなにも愛されて、期待して母は自分を産もうとしているのだと思い知らされるのです。
正太郎も自分が生まれることになって責任を感じて、マジッシャンで大成することを諦めて、「定職」に就きます。その動機も春夫にとって意外でした。
但しマジッシャン同志だった正太郎と春夫は、浅草の演芸ホールでコンビを組み、春夫の驚異のスプーン曲げのネタで一世を風靡しそうになっていたところだったのです。そんな春夫に嫉妬して正太郎は逃げ出したのかもしれません。逆に春夫は、苦手だった語りも滑舌になっていき、芸人としての地歩を固めます。
ふたりの芸に対する違いを見ると、未来を知らない正太郎と骨身に沁みるほど味わっている春夫では全くモチベーションが違ってきました。タイムスリップして過去をやり直すとこうことは、それ自体が反省そのものであり、至らないと思ったところを修正していく中で、希望も生まれて、俄然やる気になって、運命が拓かれるものなのではないでしょうか。
惰性に流されるままのダメ男ぶりをまるで充て書きで描かれた春夫役を演じる大泉洋がまさにはまり役でした。タイムスリップ後の春夫には、そんなダメダメな未来から何とか抜け出したいし、自分の父親も救いたいという思いがヒシヒシ伝わってくる演技でした。 春夫よりも刹那に生きている正太郎の性根のなさとすぐ切れる喧嘩っぱやいところを劇団ひとりがよく演じていました。ただ正太郎よりも存在感を見せたのは、悦子のほう。普段は優しく微笑んでいるのに、正太郎が弱音を吐くと、豹変してビンタする柴咲コウらしい気性の強さを見せつけてくれました。
最後に、タイムスリップ後の浅草の歓楽街がまだ賑やかだった頃の描写が凄いのです。あまりCGに頼らず、小道具やら当時の乗り物などかなり細かいところまで揃えて、昭和の雰囲気を醸し出していました。そんなところにも監督のこだわりの強さと東宝映画美術部の意気込みを感じる作品でした。