「SEXは快楽?スポーツ?コミュニケーション?」愛の渦 ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)
SEXは快楽?スポーツ?コミュニケーション?
私には、尊敬してやまない師匠が1人、いる。
恋人のいない期間が、彼氏が初めてできて以来、たったの数か月しか存在しないという、
「恋愛のスペシャリスト」こと、タレントの重盛さと美先生はこう言った。
「浮気できる人のエッチってあんまり面白くないですよね」と。
「SEXはただの快楽ではない」という真理。
浮気ができる人は、自己の欲求を満たすだけにSEXをし、
突き詰めれば、男性女性をとっかえひっかえできる類いの、容姿が端麗で美形な人間は、
探求心に乏しく、他者への思いやり(情)に欠けた人間である可能性が高い。
さらに考えると、SEXは、快楽でもなく、スポーツでもなく、「SEXはコミュニケーションである」ことになる。・・・はず。
この映画に登場する、SEXを求めてとある一室に集まった人物たちは、
大きく分けて2種類に分けられる。
スワッピングに積極的な人々と、消極的な人々。
つまり、軽い気持ちでSEXできる人間と、軽い気持ちでSEXできない人間との2種類。
前者(役柄ではサラリーマン・保育士・フリーター・OLの人たち)はおそらく、
浮気のできる類いの人間で、探求心に乏しく、他者への思いやりに欠けた人である可能性が極めて高い。
後者(役柄では童貞・常連・ニート・女子大生の人たち)はおそらく、
浮気のできない類いの人間で、探求心があり、他者への思いやりが強い人である可能性が極めて高い
ところが、重盛先生がいう所のSEXが面白くないはずの前者は、表面的にはコミュニケーションに長けているように見え、
面白いSEXができるはずの後者は、一様にコミュニケーションの取り方に表面的には難があるように見える。
この逆説や矛盾は一体どう解決すればいいのか!?
私は3日間もの時間を費やし、この難問について考えた。
何度もこの映画のSEX描写部分を、
サブスクで巻き戻し再生(決してエロ目的ではない)させて見直し考えた。
そして、ある事に気づいた。
誰からも声がかからない童貞(駒木根)が、見た目ヤバすぎてやはり誰からも声がかからない常連(赤澤)を毎回指名してSEXを繰り返すたびに、
童貞はSEXのスキルを短時間のうちに向上させ、常連を満足させているではないか。
やはり、浮気ができない人は探求心が富んでいる!
そして、ニート(池松)は毎回女子大生(門脇)を指名し、女子大生に情が芽生え、思いやっているではないか。
途中参加してくる2人のカップル。スワッピングに興味津々(探求心がある)だったが、女のほうが別の男と行為に至ると、
嫉妬心が爆発して怒って帰ってしまう。やはり、他者への思いやり(情)が強い。
さらに、サラリーマンと保育士とフリーターが、OLのいない所で、OLの局部が臭いと嘲笑っている。やはり、思いやりにかけた連中である。
私の推理は間違っていなかった。逆説や矛盾を解決できたと満足し、ようやく映画のフィナーレ部分まで再生を進められると安堵していた矢先、
終盤、野外に出てニートが女子大生にフラれるシーン。
ニートは女子大生をあれほど思いやっていたのに、女子大生はニートの想いを拒絶した。
普段大人しい(表向きはコミュ障)のに、SEX行為時は大声で喘ぐ(SEXコミュ力は高い)女子大生は、後者だったはず。
まさかの裏切り。矛盾の未解決差し戻し、逆説解明の自己破綻。この3日間、思案した時間は無駄だったというのか。
絶望で途方に暮れた私は、再びサブスクの再生ボタンを押す。門脇麦の膨らみに乏しい乳房を見、大きな喘ぎ声を何度も何度も聴きながら。
良かった演者
○門脇麦
○駒木根隆介
○赤澤ムック(赤澤セリ)
○信江勇