「琴線に触れた。」そこのみにて光輝く crawlonさんの映画レビュー(感想・評価)
琴線に触れた。
チケット売り場で「始めがつまらない映画は最後までつまらないのよ、だから帰っちゃうわ」と得意げに語る人に、心のなかで「いやいや、そんなことない作品だってありますよ、おすすめ致しましょうか」なんて偉そうな態度をとっていたのですが、たしかに映画におけるオープニングは物語というフィールドに鑑賞者が降り立つ第一ポイントであって、そこでの直感はあんがい怜悧なものだったりして、そのままTHE ENDみたいな作品は多々あったなぁと本作を観ながら思っていた私ですが、ああ、まさか我の未熟さを知るとは。
ああ、自分の苦手なタイプの作品だ。と直感したのは『共喰い』(青山真治, 2013)の菅田将暉が出演していたのも起因するでしょうが、この間延びしたかのような尺の取り方や、気怠いカメラワーク、男と女の関係、家庭崩壊、またその周辺を謂わば修飾的に描く作風にうんざりしていたがためでした。
しかし、本作は、前半こそ起伏の無い物足らなさがあるものの、後半は「琴線」に触れた!その確かな想いがありました。
野方図に暮らす主人公がパチンコで逢った一人の青年へ火を貸したことから家に招待され、アルツハイマーの父、介護・性処理をする母、そして一人の女に出逢う。
登場人物が「何をしている人間か」つまり何の職に就いているのかは、漸次明らかになり、その方々で生活上の障害が見えてくる。働かなきゃ食えない、そんなの知っている。どんな類いの仕事でも生きるためにはやらなければならない。本望でなくても、稼がなくてはならない。水商売が何だか良く分からない価値観で以て非難されようが需要はあるのであって、金銭で清算されておしまい。
女は、ある社長の相手をして、その誼みから仕事を貰う弟の青年。
言うまでもなくこのような舞台で冷静沈着理性を携え続けるのは不可能ですから、私は、酒を浴びるように飲んで引火率を上げて、あたかも導火線のようなタバコに火をつける彼らがいつ爆発するのだろうと気が気で無い状態でした。ライターからする摩擦音、あれが非常に怖くもありました。
目には映らない燃え上がる炎を纏った身体に、毛布が被さって消火するかのように抱き合うシーンの数々。
性描写も、素直な表現で(もっとも一方の支配的性描写は憎々しい)、自然現象に映りました。
また、BGMは最小限に抑え、鑑賞者が当該シーンのより良い捉え方を見失いかねない際、ひとつのヒントとして旨く使われている印象を受けました。
『そこのみて光輝く』のタイトルからして、「光」を探してしまいがちですが、光とは例えば夜明けの太陽とか、本来自然界に存在する、私たちの「照明」でしょうから、物語を通じてはやはり自ずと見えてくる美しさに焦点を置くべきだと感じます。
ラストシーンの絶妙な朝日の入射角は二度と撮れない奇跡と言って過言ではないのでは。
私が、本作をどうしても評価したい、その要素の一つに「一人も死なない」ことを挙げます。純粋なドラマには傷こそ必要なときもありますが、人の死で物語を遮るのは、もう現代じゃ通用しないんじゃないかな、そう信じてやまないわけです。