「殺さずの誓いを殺すとき。」猿の惑星:新世紀(ライジング) ハチコさんの映画レビュー(感想・評価)
殺さずの誓いを殺すとき。
前作から10年後の世界、猿たちは森林でコミュニティを創設、
シーザーを頭に平和に暮らしている。
人類は例のウィルスで90%が死滅、残った人間達は荒れ果てた
都市部に身を潜めている。という設定。
冒頭しばらく猿たち(だけ)の生活ぶりが流れ、あぁもう人間は
いないんだな。と匂わせるが、そこへ突如、ダムを視察にきた
人間と猿が出くわして、パニックの幕開けとなる。
オリジナルを観た人は今後にどんな展開が待ち受けているか
百も承知だが、この時点で解決策はなかったのだろうか。
元は人間が編み出した新薬による猿への投与が原因でこうなり、
猿は高度な知能と共に人間への信頼と憎悪を同時に抱くことに
なった。彼らはもはや猿ではなく、人間に近い。
人間に近いということは考え方までも人間に相似てくるわけで、
そのことが猿の世界に思わぬ影響を齎す。
今作では、ほぼ互角の対話や圧力による支配が描かれていく。
前作のウィル同様、人間側に親和派マルコムが登場する。
生き残った人間達が生活するための電力、その確保の為のダム
再開工事を担う彼は、それが済めばすぐに撤退すると約束する。
平和を守りたいシーザーは辛くも同意するが、仲間は認めない。
人間側にも猿側にも相手を憎む同派がいて一致団結とはならず、
あちこちで諍いが起こるが、街へ降りて人間を視察した猿の
掛け声で事態は急変を迎え、ついに裏切りと戦いが幕を開ける。
同派に必ずいるといっても過言ではない異分子。どっかの政治
派閥でも同じようなことがよく起きるが、これが人間ならではの
性質というか、行動だといっているようなもの。それを纏める
リーダーの何と大変なことか。何とか諫めて穏便に済ませようと
しても反旗を翻した暴者は留まることをしない。殺さずの誓いを
守る猿と、平気で人間を殺す人間。その違いを描いてきた本作が
遂に猿側にそれを破らせる。この衝撃と選択をどう見るべきか。
いよいよ全面戦争と化す今後を憂いマルコムとシーザーは別れる。
まるで人間ドラマを観ているかのような131分、どうして!?と
叫ぼうとも、やはり世界は変わらないことの悲痛は止まらない。
(A・サーキス絶好調!ずっとシーザーのままでいて欲しいくらい)