「ウィゴの一人二役の芝居は素晴らしかったです。」偽りの人生 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
ウィゴの一人二役の芝居は素晴らしかったです。
なんといっても、ヴィゴ・モーテンセンが全編スペイン語で、しかも双子役を演じ分ける難役に挑戦したことを評価したいと思います。現実逃避願望をもった兄と、目的の為には犯罪にも手を染めかねないリアリストの弟という対称的な個性を見事に演じ分けていました。モーテンセンの寡黙な演技からは“もうひとつの人生”を夢見た男の悲哀がじわりとにじんでくるのです。その余韻が実に切ないのです。ラストシーンでは、主人公が何のため「偽りの人生」を選んだのか、その虚しさのいくばかりかを、主人公を乗せたボートが残す白い航跡がしみじみ語ってくれました。
もう一つ、舞台となるティグレを背景にうまく使い、何ともいえない不穏な空気を醸し出していたのです。ティグレはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスから30キロほど北にあるデルタ地帯。大小の川が迷路のように流れ、画面を満たす水面から、たゆたう川の匂いが伝わってきます。兄ペドロが営む養蜂業が映し出されるシーンでの蜂のアップも不気味でした。そんな冷気や湿気と濃密に呼応し、暗鬱なサスペンスを醸し出したのでした。
物語のはじまりは、ブエノスアイレスの医師アグスティンが妻との決まりきった生活にむなしさを感じ、久々に再会した兄を殺害したことから。兄にまんまと成りすまし、故郷の村で新たな生活を始めます。生前の兄が誘拐犯罪に関わっていたため計画が狂い出します。
この設定で納得いかないのは、医師として生活面では満たされていたのに、なんでアウトローな兄と入れ替わろうとしたのかです。全般的に台詞が抑制されているので、説明不足さを感じました。ただ兄の生業である養蜂業が儲かる商売であることと、犯罪グループから過去の仕事の分け前にありつけるという臨時収入もあり、生活面では遜色ない成りすましだったようです。
そして何よりも収穫だったのは、ペドロが養蜂の助手に雇ったクラウディアの存在でした。30歳以上も年下の若い女ロサと恋仲となり、関係してしまうのです。何につけ小うるさいアグスティンの妻クラウディアとはえらい違いです。ロサとの関係に深い安らぎを覚えたのでした。
懐かしい土地で兄の人生を生き始めて見えてくるのは、性格の違う兄への複雑な心情や遊び仲間だったアドリアンとの確執。アグスティンは偽りの人生を生きることで、これまでの人生こそ偽りだったことに気づくのでした。
但しサスペンス映画としてはやや淡泊な作りという感じを否めません。アグスティンの正体をあまりにあっさりアドリアンが見抜いてしまう展開には、ガッカリしました。クラウディアもペドロと面会したはずなのに、その指に結婚指輪の後があるのに気がついて、この人は死んだはずの夫であると気がついてしまうのに、なぜか大騒ぎしませんでした。
もう少し、アグスティンが偽りの人生になりすましていることがバレそうでバレないすれすれのアクシデントを見せて、ドキドキハラハラさせて欲しかったです。
これが初長編となる女性監督アナ・ピターバーグは、自分の記憶をもとに脚本を執筆したそうです。加えて3歳でアルゼンチンへ引っ越し、ブエノスアイレス近郊の山すそにある全寮制小学校に入学した過去を持つヴィゴがこれを読み、製作と主演を引き受けたのが本作の経緯となりました。アグスティンが古い写真を見ながら漂わせる少年時代への郷愁。そこには制作陣やヴィゴたちの思いがひしひし伝わってきました。