「ほとばしる愛の物語」ビザンチウム 小二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
ほとばしる愛の物語
『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』よりも美しく
『ブレイド2』よりも強く
『ノスフェラトゥ』よりも危険な
ヴァンパイア映画の傑作である!
そんな強気な煽りも言いたくなるほど面白かった!!!!!
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ニール・ジョーダン監督、ほんっとに喰えないジジイである。
『クライングゲーム』『ことの終わり』では
えぇっていうオチにびっくりさせられたけど、今回もそれに近い。
ケレンミたっぷりのゴシック調、思い切りよすぎのバイオレントが
目眩ましとなって終盤まで展開が読めない。
少女版『ブッチャー・ボーイ』ってことなのか…と自分的には納得しかけたところで
ラストシーンでハタと気付かされる。違うじゃん、全然違うじゃん、これって
ほとばしる3つの愛の物語だ、と。
1つ目の愛は
200年も孤独に耐えてきたヴァンパイア、永遠の16歳エレノアと
難病で余命わずかな青年フランクとの愛。
愛とはその人の総て受け入れる事、フランクはエレノアの特殊すぎる物語を受け入れる事が出来るのか?
二人の初恋であり終生最後の恋でもあるその結末にシビれる。
2つ目の愛は
エレノアと母クレアの親子愛。
クレアの孤独な魂を照らしていたのはエレノアの存在で
クレアからエレノアをとったら何も残らない。
それでも母クレアが下す最後の決断にグっとくる。
そして3つ目の愛。
「貝は腐っても真珠は残る」何だろうこの暗喩。
この秘められた愛が話の結末を大きく変える。
性と暴力に彩られ、ビザールな映像の下に隠された
「孤独な魂を照らすもの、それは愛」…というド直球なテーマに痺れたんである。
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ニール・ジョーダンのファンとしては
監督特有のビザールな映像に悶絶しっぱなしで、もうそれだけで充分幸せで、
下記はわざわざ書かなくても良い野暮な事なんだが、ジョーダン濃度が高いなあと思った点を追記しておきたい。
<赤ずきん>
エレノアが赤いフードを被っているシーンがあり、これってもろ「赤ずきんちゃん」。
ジョーダン監督の『狼の血族』も赤ずきんをモチーフとしており、少女が大人になるまでを象徴的に描いている。
本作の赤いフードや最後の血の滝も、少女が大人になるまでの暗喩だろうか。
本作をヴァンパイア物としてではなく赤ずきん物語として見ても面白いと思う。
エレノア役のシアーシャは、世界で一番「ザ・少女」な女優だった訳だが、本作で大人への道程を演じ「脱・少女」できたのではないだろうか。
<アイルランド>
ジョーダン監督といえばアイルランドな訳であるが…
本作もアイルランドの詩人イェイツの「ビザンチウムへの船出」が下敷きとなっている。
詩の全文を読んでいただければわかるのだが、ある意味、ものすごく詩に忠実に作ってある。
「刹那的な官能を謳歌する若者中心のこの世界で、私に真の魂の歌を教えてほしい」
って、そのまんまである。
刹那的な世界からの船出は、老いと死を意味しているのだろうか。
死を永遠に書き換えるのは、イェイツにとっては芸術であり、ジョーダンにとっては愛だったという事なのか。
エレノアが老人の血ばかり吸うのは、「ビザンチウムへの船出」的でもあり、「赤ずきん」(おばあちゃんは狼に食べられてしまう)的でもあった。
<ブッチャー・ボーイ>
ジョーダン監督の『ブッチャー・ボーイ』が大・大・大傑作だと思う私にとって、『ブッチャー・ボーイ』の女の子版とも思える箇所が本作には散りばめられていて唸ったのであった。
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他にも色々あると思うが斯様にジョーダン濃度が高めな本作、
ビザールな映像を一皮剥けば、芯には実直な愛の物語があり、
是非とも多くの人に観てもらいたいと思うのだが、
芯にたどり着く前に、立ちこめるジョーダン臭にダウンする人もいるだろうとも懸念する。
そんな時は、他のジョーダン作品なぞを観て、身体を馴らしていっていただけたら幸いである。
お世話になります。
私のファンなんて、何をおっしゃいます。私のはただの落書きです。
ここでのスタンスは好き勝手に、としているので、返信は悩みましたが、
こちらも小二郎さんに楽しませてもらっているので、やはり返信させてもらいます。
全レビュー、一気読みさせてもらいました。
特に力の入ったレビューの、力の入るポイントが面白いですね。文章力尊敬します。
アップする作品群も楽しいです。
今後も「小二郎さん的な」レビューを上げていってください。