「父娘の就職奮戦(=SF)映画として観るインターステラー」インターステラー ウシダトモユキさんの映画レビュー(感想・評価)
父娘の就職奮戦(=SF)映画として観るインターステラー
おもしろいけど、話が長いのが“ノーラン節”ですね。
タランティーノみたいにムダ話が多くて話が長いんじゃなくて、「ちゃんと説明したくて、よかれと思って話が長くなるタイプ」がノーランの真面目さというか几帳面さのような気がします。
さて、本作インターステラー、相対性理論がどうちゃら、『2001年宇宙の旅』へのオマージュがこうちゃら、突っ込んで知れば、たくさん語りたくなっちゃう作品だと思うんですが、
僕は個人的に、「父と娘の就職奮戦映画」として楽しみましたよ。
主人公のクーパーは、以前は技術者として働いてたが、その技術もオワコン化し、現在は実家の農業で家族を養っていた。断続的に襲ってくる不況の砂嵐に、クーパーは「このままじゃダメだ」と不安を感じ、「昔はガツガツと争いの毎日だった、今のほうがむしろスローライフでいい。」とつぶやく老父に苛立ちを覚えたりもしていた。
ある日、ひょんなことから小さな転職サイトにアクセスしてしまい、過去の技術を評価されてスカウトされる。その転職サイトからは過去何人も有望企業に旅立った実績があるとのこと。特に有望な3社の転職者からは、その充実ぶりを報告するメールが定期的に届いているので、クーパーは転職活動仲間と共に、会社訪問することになった。
最初に訪問した会社は「浮き沈みの波が異様に激しい業界」で、先輩転職者はすでに退職した後だった。次に訪問した会社では先輩転職者が迎えてくれたが、実は人間関係の「冷えきったブラック企業」だった。
やはりプランBの「転職」は厳しいので、プランAの「起業」はどうかという話になった。が、起業ノウハウもちゃんと指導するという転職サイトの説明が、実は嘘っぱちだったと判明する。
やっぱり前職は辞めるべきではなかったのか?こうして転職活動をしている間にも、どんどん年齢は上がっていくし、貯金も減っていく。ほんの1ヶ月の履歴書のブランクだって、23年間の無職に等しい評価をされかねない。「次に会うときには、娘といっしょくらいの年収かもな」なんて言っていた冗談が冗談じゃなくなってきた。
そしてクーパーは、とうとう生活苦というブラックホールに飲み込まれてしまう。
そのなかで、父親としてのクーパーは、何を願い、何をしようとしたのか?
娘にとって、父親はただの失業者だったのか?
娘はどんな進路を選ぶのか?
そしてクーパーのその後の運命は!?
・・・というお話のように、解釈してみましたよ。
“大宇宙”において人間の生活環境として適した場所と、
“小宇宙”において悔いのない生き方や幸せをカタチにして見せた「五次元」。
僕が得た結論としては、
親として子にすべきことは、知恵を伝えていくことだ。
ということです。
物理的に宇宙船に乗せてやるということでも、住める星を与えてやるということでもなく、
そこに至るための教養と情報と、意志を伝えることが大事なんだなと思いました。