「トップの場所に立つ者にしか見えない景色が映し出される作品」ラッシュ プライドと友情 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
トップの場所に立つ者にしか見えない景色が映し出される作品
本作のハイライトシーンとなる日本で初めてのF1世界選手権は、1976年10月24日に富士スピードウェイで開催されました。
24日の決勝は夜半から激しい雨が降り続き、コース各所に水溜りや川ができるほどの豪雨に見舞われ、レース中止も噂される中で強行されたのです。御殿場名物の霧で視界も悪化していました。
そうしたなかでのスタートシーン。スローモーションで切り取られれた映像は、まるでレースカーにシャワーを浴びせるかのような豪雨と霧を切り裂くように、各車が火花を散らしながら発進したのでした。このレースで年間王者の決着がつく、ふたりのトップレーサーの激しいライバル心にふさわしい緊迫感ある発進風景。けれどもハワード監督は、それを敢えて、真逆に静かで圧倒的な映像美に切り取ったのです。思わず全身から鳥肌がたち、映画を見る至福に包まれた表現方法でした。
本作のメインは、F1における1976年の世界王者決定に至る、激しいライバルレーサー同士の命を削るバトルを描いた作品。その栄光とリスクを秤に掛けた命がけの勝負のシーンは、まるで当時のレースの実況を見ているかのような臨場感に包まれていました。
まず目に飛び込んでくるのは、圧倒的なレースシーンの大迫力。30台のカメラを駆使して描かれるレースシーンは、どんなF1中継よりも刺激的。その分、命を落とす危険と隣り合わせているレーサーの恐怖感もまざまざに伝わってきます。
そんな危険もものとしない、今どき珍しいほどアナクロな“男の世界”を描く作品です。前途したように、そのストレートな美しさは、実話ベースの物語を神話の領域にまで高めてくれたと行っても過言ではないでしょう。
劇中でも、何度もF1レーサーの死亡率の高さが伝えられます。25人のレーサーのうち毎年2名も死んでいるというから、ストーリーテーラーを努める主人公ニキ・ラウダが自嘲気味に、こんな危険な職業を選択するのは、よほどの馬鹿か変人だというのも頷けます。でも危険だからこそ、手に入れがたいものだからこそ、あとさき顧みずプライドをかけて、ラウダを執拗に追いかけ、トップを取りに行ったジェームス・ハントの意固地な気持ちも良く伝わってくるのです。何と言っても、彼は毎年あと一歩のところで、年間王者に大手をかけながらも、ラウダに持っていかれてしまっていたのでした。何事にも派手好きで目立ちたちがりやなハントだけに、どうしてもラウダの立っている場所に己が立たずにいられないという感情がひしひし伝わってきます。
そんなハントの思いを込めて、レースシーンでは極限まで加速する車のエンジン音が爆発し、早いカット割りでレース中のレーサーの心象を表現していきます。そこに映し出されたものは、単にレース映像を切り貼りしたという代物ではなく、トップの場所に立つ者にしか見えない景色と敗れた者が噛みしめる憧憬とが交差する、まさに“プライド”そのものが、存在感をもって表現されていたのでした。
それにしても、ラウダとハントのふたりの天才ドライバーは、水と油というより、コインの両面のような表裏一体の存在と言えるでしょう。性格的にもその走りはコンピューターと云われた、緻密で頭脳派のラウダに比べて、ハントは自由奔放。私生活でも、独りの女性を愛し、家庭を大切にしたラウダに比べて、プレイボーイだったハント。そんなふたりが、レース後に鉢合わせでもしたら大変。ハントはラウダをネズミと蔑み、ラウダはハントのプレイボーイぶりを「人気者」といって揶揄して応戦。見ているとちょっと容姿でラウダにはコンプレックスがあったのだと思います。そんなコンプレックスが、彼をF1チャンピオンに押し上げていく原動力になったのではないでしょうか。
逆に、ハントはモテすぎ!アイコンタクトだけで、知り合ったばかりの看護師やアテンダントと速攻のメイクラブになってしまうので、余計なところに精力使い過ぎていたのですね(^^ゞ
レースコンデションに対してもふたりの考え方は、対極的。通常のコンデションでも事故率が2割あることから、ラウダは2割を越す天候リスクは負わないと、76年ドイツGPの開催強行に反対。しかしラウダを追い越すためなら死も厭わないとするハントは、目の前のレースしか頭に浮かばない一発屋でした。
トップを張るラウダも以前は、命知らずの走りで、いまの地位を掴んだのでしたが、愛する人と結婚したとき、「幸福」が「自分の敵」になってしまったのでした。その気持ちよくわかるな。
さんな真逆な性格のライバル同士は、敵愾心ばかりで憎むあっていたのかというと、違っていたのですね。例えば、ハントがドイツGPの開催強行を主張した結果、ラウダが重大事故に巻き込まれて、入院。退院後の記者会見で、醜くなったラウダの顔のことをあげつらって質問した記者を、ハントはボコボコに殴ってしまうのです。
また、ラウダもラストシーン近くで、ハントに、おまえの存在をバネにして怪我を乗り越えることができた。おまえの存在は、憎くも感じたこともあったが、今では神さまが使わしてくれた存在だと信じていると告白するのです。続けてナレーションでラウダは、ハントを唯一の友人だったと言い切ります。
きっとハワード監督は、ホントはラストで互いの友情を確認し合うシーンを描きたくて、しのぎを切るレースシーンを延々と撮り続けたのではないでしょうか。互いにプライドの高さゆえの対立が、お互いの力量を認め合ったとき生まれる友情への変異。そんな男の熱さを感じさせるための2時間だったような気がします。
持つべきは、よきライバルなんですね。おっと、隣で寝ている試写会同行者の女子!そんな男の熱さを分かってくれるのかしらん(^^ゞ
ちなみに最後のレースシーンは、1976年シーズンの最終戦であり、ドライバーズチャンピオン決定戦でした。ラウダは、3ヶ月前に開催された第10戦ドイツGPで瀕死の重症を負いながら復帰し、2年連続王者を目指してポイントランキング首位(68点)に立っていた。対するハントはドイツGP以降4勝を挙げ3点差(65点)まで詰め寄ったのです。
史実では、ラウダは危険すぎるとわずか3週でリタイア。レースカーから降りるとき、ラウダは奥さんにアイコンタクトするのですが、どんな台詞よりもそのアイコンタクトが、「幸福が自分の敵」だと思ってしまったラウダ夫妻の気持ちを表していたと感じられました。
ラウダがリタイアとした後のハントの走りは、まさに神かがりもの。勝利への執念が伝わってくる渾身の映像にぜひ注目ください。完全燃焼したハントは、このレースの2年後に引退してタレントへ転身してしまうのも納得の激しさでした。
それにしてもダニエル・ブリュールの本人そっくりなネズミチックな風貌。そして、筋肉むきむきで女性ファンを虜にしてしまいそうなクリス・ヘムズワースのなりきりぶりは、両者ともあっぱれ。ラウダとハントの当時の写真をみれば、両者の役作りの高い完成度にビックリすることでしょう。
サントラも『天使と悪魔』を彷彿されてグッドでした。