「傑作。バイオ危機のシミュレーションとしても優秀」カサンドラ・クロス LSさんの映画レビュー(感想・評価)
傑作。バイオ危機のシミュレーションとしても優秀
いつだったか忘れたが、年少時にテレビで見て私の嗜好を決定づけた作品の一つ。これと「未知との遭遇」の市民を強制退避させる防疫装備(白装束にガスマスク)の米軍の兵士たちに、政府の陰謀を実行する尖兵としての不気味さと裏返しのスタイリッシュさを感じてしまった。往年の大作とはいえ、劇場で観られるとは思わなかったので感激である。午前十時の映画祭に感謝したい。
今の目線でみても、CGのない時代、セットと肉体のアクションと特効だけでこれだけの緊迫感ある映像を創り出せることに感嘆する。特撮(ミニチュア)の落下シーンもモンタージュの巧みさと相まって、怖さの方が先だって違和感を覚える暇がなかった(テレビで見たときは実物だと思っていた)。
加えて、機能的に整ってはいるものの猥雑な列車内と対照的な、国際保健機構(WHOならぬIHO)の米作戦室の、シンプルモダンで人間味を感じさせないデザインと静けさが冷酷な感じを引き出している。
ストーリーの背景はバイオテロだが、コロナ禍を経た今見ると、驚くほど現実の事態―客船の寄港拒否、乗客の隔離と支援の両立困難、隔離施設や移動手段の欠如、情報の不均衡など―を先取りしていて秀逸である。
また、危機を管理する立場では、トロッコ問題(欧州のパンデミックを防ぐために千人の乗客を犠牲にするか)に直面するリーダーという側面もある。この点、隔離作戦の指揮を執る米軍情報部のマッケンジー大佐は、計画を冷徹に進める有能な指揮官であるとともに、(治癒の可能性があるという)新たな状況にもリスクをとれず一度決めた計画を変更しない頑迷な官僚的人間(あるいは命令を逸脱できない軍隊の構造的問題)を体現している。
そして、パニック防止に名を借りた秘密保全(そもそも米国が国際機関内で違法に危険な病原体を扱っていたことが発端)優先の姿勢が、隠蔽と証拠隠滅のために「全てを消し去る」という思考をもたらす。それを結果的に推し進めた大佐自身も隠蔽の対象であることが恐ろしい。
年少時には見飛ばしていたチェンバレン(元)夫妻のエピソードも、展開によく織り込まれていて、医師が銃撃戦をやるに至るまでの心情に過剰な飛躍がなく受け入れられた。ヤノフに行きたくないユダヤ老人、ヒモの登山家を含め、皆の役割がストーリーに嵌まっていくのが心地よい。(帰結は悲しいが)
なお、「非常宣言」のレビューで本作を観たいと書いたが、見返すと思った以上に(映像だけでなくプロットも)共通点が多いと感じた。ある意味マスターピース的な存在かもしれない。ストーリー上の大きな疑問(長いので後述)はあれど、傑作である。
ここからは妄想的考察:
凄みあるスリラーの一方で、瑕疵もある。初見のときから「列車が落ちて壊れればそこから病原体が漏れるのではないか」と思っていた。酸素火災で燃え尽きるのを期待するのは楽観的過ぎるし(実際、爆発までタイムラグがあった)、川を流れ下る遺体や動物を介して拡がる可能性はあるだろう。
今回疑問に思ったのは、なぜポーランドなのか?である。ヤノフに隔離施設を準備することになったのは(描かれていないがおそらく)スイス国鉄のオーナーたるスイス政府およびIHOとポーランド政府の合意によるもので、米側の選択ではないだろう。冷戦期であり、東側のポーランドとそこまで迅速に折衝できないだろうし、病原体が東側陣営に渡って解析されるのも望ましくない。
そこで、前述のようなリスクがありながらも、途中にある「悲劇的事故」が起こり得る橋を利用したのではないか。だが、当時の技術ではポーランド国内をリアルタイムで監視するのは難しい。実際、大佐は二等車に生存者がいることを知らないまま「全員死亡」と報告してしまった。
通過国の西ドイツをもっと利用する選択肢もあったのでは?NATO加盟国で在独米軍もおり、米国の政治的影響力もある。ニュルンベルクで列車の隔離工事をしたのは駐留米軍部隊だろう。それならいっそ、隔離後運行を打ち切らせ、そのまま現地(あるいは米軍基地内)に留め置いて厳重監視下においた方が秘密保全上よかったのではないか。長期間米軍が関与し続けることが憶測を呼ぶと考えられたか、あるいは西ドイツ政府が工事のための停車を超えて国内に留めることを拒否したのかもしれない。
ちなみに大佐はニュルンベルクでの作業をテレビ映像で中継させる(ひげ剃りのシーン)ほど慎重だった。命令には従うとはいえ、情報管理できないポーランド行きは本意ではなかっただろう。