ホーリー・モーターズのレビュー・感想・評価
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映画を描いた映画
監督自身から幕を開ける物語。
長い一日をドニラヴァンが演じ分けるんですが,これがものすごい幅で見応えがあります。
物語を簡潔に纏めると、主人公オスカーを通して“社会には決められた役割があり、皆はそれらをずっと演じ続け生きている”という風刺的な作品に見えます。
でもこれは映画を描いた映画であり、また自身を描いた映画でもあるのでしょう。
インターミッションを含め11ですか、その数の作品にカラックスがもう一度会いに行ってるように見えました。
自身の「TOKYO」「ポンヌフ」はもちろん、さまざまな作品へのオマージュが見え隠れしていましたしね。日本人的には「ゴジラ」はツボでした。
迎えたラストは意見が別れそうですが、私は何か好きでした。
レオス・カラックス監督の傑作!
この映画、観始めた時は「何、これ? 状態」だったが、ドンドン観ていくうちに「次は何?それで次は?」…と思ってしまう「とっても面白い映画」だった。
レオス・カラックス監督、さすがである。
朝から深夜まで白リムジンでアチコチを巡っていき、一人の男=オスカー(ドニ・ラヴァン)が様々な人となる姿を見せてくれる。
白リムジンを運転するのはセリーヌという女性で、オスカーのアポをコントロールしながら運転していく…。
乞食の婆さん、トレーニングして女と絡む男、墓を彷徨う怖く見える男(→モデル女性をさらって逃げる男)、娘を車に乗せる父親、アコーディオンを演奏しながら街を集団で歩く男、殺人者?被害者?の男、「伯父様」と呼ぶ女性が近くに居る死ぬ寸前の男など……をドニ・ラヴァンが見事に演じ分ける。
お墓シーンで「♪ゴジラ~メインテーマ」が流れるのも印象的。
終盤に流れる歌の歌詞「♪人は望む、生まれ変わりたいと…」というあたりが、本作のテーマに思える。
観る人によって印象は当然異なると思うが、個人的にレオス・カラックス監督の傑作だと思う。
(※)2013年日本公開作、同年のキネ旬第6位。
パリ・死神の車
こここれは…生きてる間に劇場で観たい
目に焼き付けて焼き付けて焼き付けて
どの場面も自分の寝てる時の夢で見たい
夢の場面で入って行きたいところばかり
アコーディオン担いでモブに参加したいところだ
ドニ・ラヴァンってもういい歳だろうけど
(どれが素顔か分からなくなってきた)
軽々と女優を抱き上げデパートの階段を登る
すごいね〜身軽だし
お正月に、娘が宿題で見とかなきゃいけないのがあるの、と言うので付き合って一緒に『TOKYO!』を見たのが運のつき、オムニバス3話中1番面白くなかった河童キャラのメルドが出てきて始めて
今見てるこの映画、レオス・カラックスのだ⁉︎
と気がついた…間抜けなあたし…
配信のお薦め作品を流れのまま見続けているからたまにこんなお宝を発見させてもらえる
いいのか悪いのか…
この手の映画、あたしは大好物で
絵がきれいなのでいつまでも鑑賞していたいし、ストーリーも理屈も不要なのだけど
自分なりのまとめとしては「この世の生き様」
としておこうかと…
タイトルはベルリン・天使の詩より
ドニラバンとカラックスの二人三脚
だから、なんだよっ、ていうのばっか
もうええわ、てなった。正直かなりしんどい映画。
この例えもどうかと思うけど、北野武におけるTAKESHIsとかこのへんを外国人が見るとおんなじ気持ちになるのではないか笑(あ、TAKESHIsはそこまで嫌いじゃないんだが)
信者が付いていくような作風なので興味がない場合、理解しようって気持ちすら起きないっていう。たとえばシーン毎で、あ、おもしろいな、てところがあれば違うが、個人的には全然で、だから、なんだよっ、ていうのばっか。
ただ終盤のオチ、あれ、なんだよな。もしかしてあれやるためだったの、それはそれでまんまとしてやられた感じで腹立つな笑
映像としての価値は高い
不思議と心に残る映画
装いながら
カラックスを観ずして映画通を名乗るなかれ。
絵本を見るように
気付いたらハマってた
苦手なものは苦手
私が苦手な映画のジャンルの一つに、鬼才が描く難解映画・哲学映画がある。
そういう映画って、批評家からは絶賛され、世界レベルで見れば傑作なのだろう。
でも、おバカな自分にとっては全く理解出来ない。
レオス・カラックスも世界が認める天才なのだろう。
「ポーラX」以来長編としては12年振りとなる本作も、批評家や世界中で絶賛。
リムジンに乗り込む男が、11人の男に姿を変え、奇妙な仕事をこなし、ある一人の女性を追い求める様を、現実と幻想を交錯させて描く。
シーン一つ一つに深い意味合いがあるのだろう。
レオス・カラックスの才気もほとばしってるに違いない。
…でも、この映画を理解出来た人、何人居るんだろう?
こういう映画に魅了されてこそ、真の映画通なのだろう。
分かり易い娯楽映画を好む自分なんて、映画通の風上にも置けないただのミーハーに過ぎないかもしれない。
でも、びくびくしないで声高らかに言いたい。
好きなものは好き、苦手なものは苦手。
この映画、苦手だ。
また自分の低脳振りを示す事になるが…
唯一印象に残ったのは、あの偉大なテーマ曲がかかった時だけ。
(どういう意味合いで使用されたんだろう? 男の奇行は怪獣のようなもので、それを表す為に使用されたのかな?)
ドニ・ラヴァンのお仕事ムービー。メルドも出るよ!
ドニ・ラヴァンがオムニバス映画「tokyo!」のカラックス作品で演じたメルドを始め、様々なアポと呼ばれる他者になる仕事?を演じていくというストーリーなのだけど、彼が成るメルド以外の人物もどうやら他作品から続く文脈があるようで、ドニ・ラヴァン、レオス・カラックス、ひいては映画全般についての相当な知識が無いと言わんとすることを完璧に理解することは難しいだろうと思う。メルドでのフレンチジョークですらも置いてけぼりの感があった僕としては、かなり厳しかった。
彼が劇中で演じていく物語も現実社会に対する風刺の入ったものが多いようだし、映画製作側と少なくとも同じフィールドに立たないと評価の仕様がないような気もしてくるので、この映画単体としてはなかなかこれくらいの評価しかし難い。
ストーリーは現実と演技の境というものがわからなくなっており、映画とは、演技とは、自分とは、といったような観念的なテーマを提示してくる。その辺り「8 1/2」のようであり「バードマン」のようであり、巨匠になるとそういう自身の苦悩とかを作品に昇華したくなるものなのだろうか。
ラストの解釈も、他者やシステムに行為を代替させてそれを体感するだけになっている現代への嘆きと取れたけれど、果たしてそれが合っているのか....
カラックス作品や映画的素養がもっと増してから見るとこの映画の評価ももっと高まるように感じた。
自分でいることに疲れたら…
家庭やネットに引き込もっていないで、社会と向き合うことが大人であるなら、行為と思考に責任を持たなければならない。
何かしら演じないと生きていけない世の中で、行為と思考の美しさを追求して、思う存分、好きな自分を演じればいい。
追求する美しさ。
かつての映画界の巨匠たちが、天国の映画館で「この世」を鑑賞している。その間を通る、ヨチヨチ歩きの赤ちゃんはカラックス自身?
人生はいつも夢舞台
観る側、観せられる側、舞台を用意する側、用意される側、お互いが相互に了承済み了解済みの元に行われるタイプの『トゥルーマン・ショー』といった趣ですね。
あらゆるタイプの役柄を数件クライアントから要求され、それを即興で演じ切ってしまう男の奇妙な一日に密着、的な映画です。まあ仮想密着ドキュメンタリーですね。
ていうかぶっちゃけ犯罪ですよね、これ。
彼の演じる役柄の本気加減というかその没入度がハンパないので怪我人続出するし死人も普通に出るという。
ここら辺の急激な展開見せられて、もうなんというか、演劇ごっこやお遊戯レベルの世界ではないんだなっていう事実をこっちは突き付けられる訳です。
そのリアル度が狂気の側面を孕みだすんですよ。というか狂気の側面しか孕まないというね。
ああこれガチンコ演技なんだって。デ・ニーロアプローチどころじゃないっていう。人殺しとる訳だからね。
そっちへ一旦物語が転がり出すと、序盤の眠たい展開からこっちも本腰入れて観ざるを得なくなるという。
でね、そんなことやってれば自分だってナイフで刺されるしピストルで蜂の巣にされる訳ですよ、主人公だって。そんなもんね。そうなります。自分だけ無敵状態は有り得ない。
すると、何故か瀕死の状態でセーブポイントに戻るとリセットされて体が元に戻っちゃってて、あれ?これファンタジーじゃん。ファンタジーだったのかよ?というリアル演技と肉体復活のダブルショック。
そんでいよいよ物語の訳が分からなくなる。
で、この手の映画ってポーンと観客を放り投げる構造ってお決まりのセオリーじゃないですか。カラックスだし。
だもんで、その役を演じて誰が得するのか、何故に彼がその仕事にここまでのめり込んでいるのか、等の詳しいことは一切語られません。片鱗は出るけど推測の域を出ないというか。
まあ本当よく分からん映画でした。面白かったですけど。
人生はいつも夢舞台ってことで。
ラストの蛇足感がなければもっと評価高かったんだけどなあ。。。
不思議な魅力に惹き付けられた
野心作です。
川崎市アートセンターにて、当日料金1700円を支払って鑑賞。
白いリムジンの後部座席に乗って、ドニ・ラヴァンがパリ市内を走り回り、色々な扮装をした挙句、これまた色々な人の人生に入り込む、もしくは、その人になり済ます、というストーリーです。これは仕事なのか任務なのかが、判然としません。映画の中では単純に「アポ」、と云っていました。そんな荒唐無稽な映画、どこが面白いのだ、と問われたなら、私は答えに窮してしまいます。確かに、くだらない場面も多々、あるからです。そして、題名が「ホーリー・モーターズ」。英語です。どうして、「聖なる乗り物」や「聖なる車」のように日本語の題名にしないのか気になっていましたが、その謎は、結末部分で明らかになります。ドニ・ラヴァンだけがこのような特異な体験をしているのかと思っていたら、実は「ホーリー・モーターズ」という組織が複数の人間を雇っていたことが明らかになります。(このことはプログラムにも明記されていたので、ネタばれにはならないでしょう)全体を観終わって、感じたことは、荒唐無稽な映画ではあったが、1700円、支払うだけの価値はある映画だったな、というものでした。国籍は違いますが、鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」の気まぐれなところやティム・バートンの「エド・ウッド」や「マーズ・アタック」に見られる破天荒なところを混ぜ合わせた、そんな感じの映画です。所謂、評論家筋に受ける映画です。予定調和の映画に飽き飽きした、そんなあなたにお勧めの映画です。
それにしてもドニ・ラヴァンに顔に刻まれた皺の深さには驚きました。「ポンヌフの恋人」の頃の少年らしさはどこにもありませんでした。まるで80歳の老人のようでした。蛇足ですが、クレール・ドニ監督の「美しき仕事」も日本で公開してほしいですね。ドニ・ラヴァンはアフリカ駐在の外人部隊の隊長を演じています。
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