危険なプロットのレビュー・感想・評価
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そして続く
見始めからどうなるんやろうと気になりながら視聴。クロードの作文に対して、なんやかんやダメ出しをしながらもどっぷりとはまっていってしまうジェルマン。
クロードの文章は人を魅了する才能があるとは思うけれども、題材がまた人の家庭の恥部を覗き込んでいるような…
テストの採点用紙を盗んだあたりから(かなり最初か!)もうどっぷりやん!ジェルマン…絶対いい結末になれへんやん…となんともいえない気持ちになりながらも最後まで観てしまった。
なんという恐ろしい結末。最初から狙いはジェルマンやったんや。妻も仕事も失ってるわけやけど、ストッパーが何もない今、クロードの欲望を満たすことに協力するんやろうなあ。クロードはまるでカマキリに寄生して自殺に追い込む虫のようや。
クロード役のエルンスト・ウンハウワーが線の細い美男子でクロードのイメージぴったりやった。
「続く」
国語教師のジェルマンは、課題の作文からクロードに文才があると判断。彼に書き方の指導をする。内容は、クロードの同級生ラファの家族を描写した連続もの。指導しつつもジェルマンは、妻ジャンヌとともにその先が気になる。
以前観賞し楽しめた印象はあるものの、内容を忘れたので再観賞。やっぱりなかなか面白い。ジェルマン夫婦とともに、先が気になる展開が面白い。ただ自分にとっては、エステルがあまり魅力的では無いけど。皮肉な結末が、苦いです。終わりは「裏窓」のオマージュかな。
クロード役の役者さんは、今どうしてるのか。
数学は裏切らない
国語教師と高校生のお話。作文の宿題で興味ある物を提出した生徒に指導する、その作文は友人の家の話で続きを書き進めるうちにどんどんその家族の中に入って行く。どこまでが真実でどこからが創作なのか分からないのだかほぼ現実みたい。ではノンフィクションを書いたって事?高校生の子は魅力的で友人と役が反対なら成立しないのかなぁと
途中まではよかったのだが、クラスメートの母親との関係が中途半端に終...
途中まではよかったのだが、クラスメートの母親との関係が中途半端に終わってしまったのは残念。
次は担任の妻を狙うとかは、もういいかなという感じ。
スラップスティックコメディ!同じ『学校』でもね♥
さて。
『文学も映画も人生の事は教えてくれない』が、そんな事承知の助♥
『ある人物を悪く描くのは簡単だ。凡庸な人々はその人物を批判する。難しいのは、先入観なしなくその対象を見つめる事』
と少年のために先生は話すが、これは嫌味だと、直ぐに分かる。対象は?
フランス映画特有の屁理屈だが、凄く分かりやすい。
僕はフランス映画に対するアンチテーゼと見た♥
不条理をわかりやすい笑いに変えて、しなくても良い苦労や犯罪まで犯す。やったもんがちで大変によろしい。
『青い体験』とか『課外授業』とか昔の映画を小出しにして、フランス映画を皮肉っている!
17点だね♥
追記 僕の出身高校は制服だったが、ドサクサに乗じて、私服化にしてしまった。さて、その余波で偏差値が10以上も下がったと聞く。元々、中くらいの高校だったが、目の当てられない位の落ち込みようだったようだ。それでいて話が終わるなら良いが、その後、制服を復活させたようである。『けい●ん!と同じブレザーにしました。』とSNSにはもてはやされていた。そしたら、偏差値がものすごく上がって、進学率が伸びたそうである。
さてさて、喜ぶべきか?
因みに僕は私服は反対だった。なぜなら、めんどくさいから。だから、一年中爪入りの学生服で通った。勿論、爪入り等即刻破棄した上で。そして、第2ボタンを奪われる事なく卒業ともにお払い箱にした。母が『思い出にとっておけば』って言ったが、なんの思い出なのだろうと今でも考える。
ネタバレ有
パゾリーニ、カフカ、トルストイ、中国。全部フランスじゃない。
最期に『夜の果ての旅』で『ヒッチコック?』
【両親の愛を受けられなかった高校生が、中産階級の級友の週末を宿題の作文として記す。その文章の才能に惹かれた国語教師が彼に指示した事。フランソワ・オゾン監督の才気が見事なる作品である。】
ー フランソワ・オゾン監督が、人間が持つ毒と日常に潜む狂気を描いたサスペンスである。-
■作家を目指していた国語教師・ジェルマン(ファブリス・ルキーニ)は、生徒のひとり、クロードの書いた”週末の過ごし方”を描いた作文に心をつかまれる。
彼はクロードに人間観察の才を感じ取り、小説の書き方を個人指導していく。
クロードは中産階級の級友ラファエルの週末の過ごし方に興味を持ち、ラファエルの家に入り込んでいく。
そして、ラファエル家の生活を覗き見るような作文の内容はエスカレートし、ジェルマンを虜にしていく。
ー フランソワ・オゾン監督作品を初めて劇場で鑑賞したのは、「2重螺旋の恋人」である。"誰だ、この監督は!"と驚き、「グレース・オブ・ゴッド告発の時」”The Cure”の中期の名曲”In Between Days"が爆音で冒頭から流れる「Summer of 85」「すべてうまくいきますように」を鑑賞して来たが、この監督は未だ56歳なのである。
その幅広い作風を含め、物凄い才能溢れる監督である。ー
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作でも、その作品レベルは高い。
作家を目指していた国語教師・ジェルマン(ファブリス・ルキーニ)が週末の過ごし方を作文に書いてくるようにという宿題に対し、生徒のひとり、クロードは級友のラファエル一家の姿を、生生しく描いてくる。
ー ”中流家族の女の匂い”とラファエルの母、エステル(エマニュエル・セニエ:フランソワ・オゾン監督作品の常連であり、夫はロマンスキー監督である。)について、言及する文章。-
・ラファエルには、中国を顧客とする父(ドゥニ・メノー:「ジュリアン」では恐ろしかったなあ・・。)もいるのである。
・ジェルマンの妻、ジャンヌ(クリスティン・スコット・トーマス)はエスカレートする夫の行動を危惧するが、ジェルマンのクロードに対する指示はエスカレートしていく。
ー 結果として、ジェルマンはラファエル一家にドンドンと入り込んでいき、エステルとは一線を越えそうになる。
この辺りは、虚実を交えて描かれている。-
■クロードの両親の姿は後半になるまでは、一切描かれない。
そして、後半のシーンを観ると、ジェルマンのクロードに対する指示が行き過ぎていた事が分かるのである。
<今作は、自身が成し得なかった文学の成功の素養を持った生徒を持った国語教師の暴走と、その生徒が抱えていた哀しみを描いた作品である。
改めて、フランソワ・オゾン監督が持つ資質の高さと、作風の幅広さに驚かされる作品である。>
観たかった度△鑑賞後の満足度◎ 映画を含む創作する事の根源の欲望と、創作できる者と出来ないけれども批評し導く者との相剋とを、教師とその生徒を通して描くフランソワ・オゾン版『裏窓』。
①映画や小説というのは、主人公が実在の人物であれフィクションのキャラクターであれ、ある側面から見ると彼らの人生・生活を覗き見しているようなものである。
勿論、特にフィクションの場合、何かを描くため、表現するために主人公をはじめ登場人物が作られ彼らの性格・生活・人生が創出されるわけだが、反対から見ると私たちは彼らの送る日々・生活・(生活の場としての)家庭を覗き見しているとも言える。
そういう意味ではとても映画的な映画だと言えるだろう。
②ジェルマンは小説家として大成したかったが(過去に小説を書いて出版もしている)自分に文才がないのを自覚しており今は高校で文学や創作を教えている。
言ってみれば創作する才能がある側でなく、その才能を見つけたり伸ばしたり創作物を批評する側になる。(映画の世界では、監督・脚本家と製作者・批評家との関係にあたると言えるだろう。)
③家庭に恵まれず今は障害者の父の世話をしながら高校に通うクロード。
他人の家、特に恵まれた(と見える)家庭を覗く・訪れることに強く惹かれたのは、その境遇からだと言えるかもしれない。
④その下世話な個人的嗜好を学校の作文の宿題に書いたことで、たまたま文才があったクロードは皮肉にもジェルマンの目に止まることになる。
はりきり先生のエゴ
“続く”で必ず終わるクロードの文面。バスケットボール好きのクラスメイトの家庭に入り込み、徐々にその母親に惹かれていく内容だ。やがてジェルマンは現実と作文との境目がわからなくなるような映像。
面白いと言えば面白いのだが、やはり文学的な内容にテンポが悪くなってる気もする。最後には妻に離婚を宣告されたジェルマン。と同時にクラスメイトに数学の問題を盗んでしまったことなどで教職も失ってしまう。
文学的な
現実と虚構の境目が徐々に曖昧になっていく様が面白い。決して劇的ではなく、じわじわと読み手を侵食していく感じ。
クロードの内面描写を極力抑える事で彼の妖しさも旨く演出できている。
静かな夜にワインでも飲みながら観たい作品。
邦題好き
最後は、二人ともいろんなものを失ってるのに、とても爽やか。クロードは学校を辞めたし、先生は仕事も奥さんも失った。それでも二人とも生き生きとしている。クロードは家庭教師が本当天職って感じ。この描き方はすごい。
クロードにはいつか小説を出版して成功してほしい。あと更生してほしい(少しだけでいいからまともになってほしい)
あと仏語学習者にとっては、聞き取りやすくてすごく勉強になる。
フランソワオゾンの作品の中で一番好きかも。
上品な変態映画
高校の国語教師の仕事に嫌気がさしていたジェルマンは、一人の生徒クロードの作文に文才を感じ、個人指導をするようになるが…。
鬼才フランソワ・オゾンによるサスペンス。
巧みな語り口に引き込まれてしまうが、客観的によくよく考えてみれば、なかなかの変態映画でもある。
クロードの作文は、平凡な同級生の平凡な家庭に入り、そこで見聞きした平凡な生活の様子をまるで一つの物語のように事細かに書いたもの。
盗み見、盗み聞き、いやいや、盗み書きといった所。
時には皮肉めいて侮辱したり。
言葉選びや文法など最もな指導をしているようで、実は他人の家の様子が面白くて堪らないジェルマン。
やがてクロードは、欲求不満そうな魅力的な同級生の母親によこしまな感情や欲望を抱くようになり…。
作文として書いているので全て実体験なのだろうが、本当にそうか妄想か、劇中のジェルマン同様翻弄させられる。
作文を使って他人をコントロールしていたかのようなジェルマン。
が、実際にコントロールしていたのは、クロードの方かもしれない。
全てはシナリオ通り…のようなジェルマンの身の破滅。
美しい顔立ちながら意図が読みにくいクロード役の青年の佇まいが印象的。
“続く”とは他人を捉えて離さない魔法の言葉。
個人的にびっくりしたオチが。
ラストのジェルマン、あまりの変わりように最初誰だか分からなかった!
あの、すみません。 宮藤官九郎さんもフランソワ・オゾンも、言いたいことは同じだと思います(多分)
・退屈な中流家庭も感性豊かな美しい少年(エルンスト・ウンハウアー)の目を通せば、こんなに官能的で緊張感のあるサスペンスになるってのが、オゾンの「危険なプロット」です。
・退屈な団地の日常も、頭の中はエッチな妄想で一杯な中学生の円山(平岡拓真くん)の目を通せば、こんなに下品で面白いサスペンスになるってのが、クドカンの「中学生円山」です。
・凡人教師(ファブリス・ルキーニ)が身の程をわきまえず、才能ある美少年を指導して中流家庭をモデルにした妄想小説を書かせるのが「危険なプロット」です。
・邪悪な目をした団地の正義を司る男(草彅 剛くん)が、エッチなことで頭が一杯な円山の妄想を褒め称え、最終的にヒーローへと昇華させるのが「中学生円山」です。
・妄想が現実を越えた時、破滅を向かえるのが「危険なプロット」です。
・妄想が現実を越えた時、あるモノに舌が届くのが「中学生円山」です。
なんやねん!
円山の到達感に、全く共感できません!
でも届いたのはモノだけではなく、過去の悲しい事件にも。
円山の「あるモノに届く為の毎日の鍛錬」と奇妙な妄想、点在する一見すると意味がなさそうな出来事が最終的に一つに纏まる「中学生円山」です。そいうとこ、伊坂幸太郎先生的です、多分。
子供が夢見るヒーローって、つまり正しい大人の象徴なんですよね。
つよぽん演じる下井は妄想を上手くコントロールして、円山を正しく導いていた。クドカン、ちょっと綺麗に纏めすぎ!
けれど、円山の父役、中村トオルさん格好いいなぁ-。
ビーバップの時に、中村トオルさんの魅力に気付けなかった自分を、30年近く責めています。
そんな反省にて、以上です。
16歳の少年の週末が、たった2行だ
映画「危険なプロット」(フランソワ・オゾン監督)から。
主人公は、文才溢れる少年と国語教師なのだが、
私は、他の子どもたちの「文章能力」が気になった。
冒頭で、子どもたちに求めた「週末を出来事」を書かせる宿題、
嘆いていたのは、その内容だった。
「土曜、ピザを食べテレビを見た。日曜、疲れて何もしなかった」
この内容に、教師が溜息をつきながら、
「16歳の少年の週末が、たった2行だ」と吐き捨てるように言う。
「土曜、テレビ・ピザ。日曜、何も。詩を書けとは言ってない。
週末の出来事だ。それなのに、2行以上の文章を書けない。
彼らの無知より、将来が心配だよ。子供は『未来』だ。」
メール全盛の現代、単語はなるべく少なく、文も短い。
形容詞と呼ばれる表現は、ほとんど皆無。
皆が時間に追われ、用件のみを伝えることが是とされる昨今、
これが普通なのかもしれないが、なんだか味気ない。
少なくとも「嬉しい」とか「楽しい」、「悲しい」といった
感情表現が無くなってきたことが、心配である。
ストーリーとは全く違った部分に反応してしまったが、
これもまた、この作品を通して感じたことだから、
「16歳の少年の週末が、たった2行だ」を残しておきたい。
二人を翻弄する“危険なプロット”
最初に書いておくと、最近のフランソワ・オゾンの作品の中では抜群に面白かったし、少なくとも私は好きだった。
序盤を観ていると、小説の道を諦めた中年男の文学教師ジェルマンが、碌に文章も書けない“蛮族”の如き生徒の中で、才能の片鱗を感じさせる生徒クロードに出会い、運命を狂わされるという「ベニスに死す」的な展開を想像してしまうが、今作はそう単純ではないところに面白さがある。
宿題の課題“週末の出来事”が、文字通り“危険なプロット”となり、まさに現実が先か?小説が先か?虚実ないまぜに動き始める。二人はこのプロットに翻弄されるのだ。
本当は欲しかったのかどうかはともかくも、子供のいないジェルマンと身体の不自由な父親とはいわゆる普通の親子関係が逆転しているクロードの関係を擬似親子と見ることも出来るかもしれないが、
二人の関係は決して一方的なものではなく、言ってみれば、作家と編集者、共犯関係になっていく。
オゾン作品の主人公としては珍しい中年男。悲観論者で皮肉屋のジェルマンを演じたファブリス・ルキーニ(コメディ要素控えめのウディ・アレン!)がいい味を出しているし、ジェルマンの妻ジャンヌのクリスティン・スコット・トーマス(ダイアン・キートンあるいはミア・ファロー)との掛け合いも絶妙で楽しかった。
面白かった
普通の高校生や一般家庭の話なのにすごくスリリングで、題材はどこにでも転がっていて視点ひとつでこんなにも面白くなることを改めて気づかされた。
途中で作文がフィクションになっているのか、映像描写がフィクションになっているのか、現実の境界があいまいになるところがすごく面白かった。
少年の身の上を思うと気の毒になる。数学の教師なんて中卒ではかなりダメなので学校やめたらダメだと思った。
主人公の先生は、元作家志望なのに、ダメ出しばっかりして小説の先生としてもあまりよくなかった。最初は描くだけでも相当なモチベーションが必要なので伸び伸びと描かせてあげて、あとから修正した方がいい。でもこんなことを気にして守っていたら映画としては全然面白くないのだ。
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