わたしはロランスのレビュー・感想・評価
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ロランスとフレッド‼️
グザヴィエ・ドラン監督がLGBTを題材に描いた秀作‼️モントリオールを舞台に、女性になりたい教師のロランスと、恋人フレッドの10年にわたる愛憎を描いてます‼️ドラン監督の才気があふれていて2時間40分がアッという間ですね‼️特筆すべきはその色彩感覚‼️女性の格好をして化粧するロランスがフツーに見れる‼️これはもうドラン監督のセンスの良さで、ロランス役のメルビル・プポーがホントに美しく見える‼️これはスゴいことです‼️そしてロランスとフレッドの頭上にたくさんのカラフルな衣服が舞うシーンは、この作品を象徴する名場面‼️ドラマとしては、息子を愛するが故に、カミングアウト後のロランスに複雑な感情を抱く母との親子愛も印象的なのですが、やはり一番はロランスとフレッドの関係‼️一度はロランスと別れ、別の男性と結婚したフレッド。しかしロランスのことが忘れられず、恋人から親友へと人間関係を昇華させるフレッド役のスザンヌ・クレマンが素晴らしいですね‼️特にカフェの女主人と口論するシーンは拍手喝采‼️
境界線を越えた愛! いつまでも恋する気持ちが描かれた作品
芸術性、ファッション性、そして
人間性が溢れるストーリーでした。
国語教師だったロランスが
体は男、心は女性、性同一性障害の自分に
目覚める!
恋人のフレッドは女装したロランスを
批難することなく、ウィッグをロランスに
プレゼントしたシーン、心の美しさが
表現されていました。
女装したロランスを見る周囲の好奇の視線!
無神経な発言に怒りを爆発させるフレッド!
自分が傷付いても、愛する男性を護りたい気持ちが感じられました。
艶やかな夜のパーティー。
天井に見えるシャンデリア。
色とりどりに変化する女性のファッションや
髪型、お化粧、色彩が鮮やかな映像を
見ることができました。
正直に生きることで失うものもある。
フレッドがロランスに書いた「手紙」
綴られた文章にすべての愛が詰まっていまし
た。
真っ白な雪景色。
ピンク色のレンガ。
廻り道をしたけれど、忘れられない人がいた
ことをイメージしたストーリーでした。
追記、監督がグザビエ・ドランと言う
子役をしていた若い男性だったこと
後に知りました。
LGBT以外のストーリーを観たいと言う
期待を込めて評価を高くしました。
フレッド役をした
スザンヌ・クレマンも感情が入り込む
素晴らしい演技でした。
観たかった度◎鑑賞後の満足度◎ 予想していたような単なるトランスジェンダーの話ではなく”愛“と“普通とは”と“境界”を問うもっと深い物語。24歳にしてこんな映画を撮れるとはやはり早熟の鬼才だろう。
①メルビル・プポー好演。最初は男前で始まり途中メイクが段々濃くなってくる当たりは正直ややキモい。だが最後はとても美しくなる。(元が良いからでしょうけど。) 声を変に高温でおネエ言葉にしていないのも宜しい。仕草も過剰なおネエ臭さがなく自然に女性な感じ。やはり向こうの役者さんは達者だなぁ、と思う。
②
後味いいが長い
中年になるまで男性として過ごしてきたが、実は性同一性障害で
ずっと自分の性に違和感を抱いていた、と
周りいうことから始まる。
とはいえカミングアウトしたことによって
何もかもがどうの、という流れとも違い
最終的にはそれが無かったとしても
自分たちの関係はこのように終結したのだろうという、
落としどころが私は好きだ。
これがカミングアウトしたから、となれば
あまりにも片方が背負う罪悪感が大きいではないか。
当然いわれのないパッシングや迫害も受ける描写はあるものの、
新たな出会いがあったり
冷たいと思っていた母のかっこいい反乱があったりと
苦しいばかりではない。
とはいえ妻の苦しみ方はなかなかみていてもしんどいものがあった。
最後には自分たちも新たにメタモルフォースできるねという
彼らが切り開いて見つけた道が見えたとうで
視聴してる身も嬉しかった。
しかし3時間は長い。2時間に収めてほしい。
向き合う
今は無きアップリンク渋谷で、本作の予告を観た。グザヴィエのカメラに一目惚れをして、公開スタート後終映が終電ギリギリの回に飛び込んだ。色彩感覚と音楽、美的センスが、ここ最近の監督ではずば抜けていたし、LGBTQが題材だったから、好きになるしかなかった。
機関銃の様なうるさい会話が続いても何故か嫌じゃない。それは、真剣に生きていると感じられたから。ロランス、そしてフレッドは、自分に向き合って相手に向き合って充実した時間を過ごせたんだからそれで充分だと思う。人生それで充分なんだ。自分に向き合うことが出来ない人も少なくない中、自分と向き合っただけ、上出来だと思う。私ももっと真剣に生きたい。
人生の重さ
時間の重さ、変化すること、しないこと、
でも変わらないものはない。
リアルとそうでないものが、わずかな隙間でくっついているような映画だった。
感情を感じること、人の感情を感じることは少し疲れる。
ロランスの魅力
映像と音楽と衣装と配役が、やっぱり良い!
視覚から入ってくるから、いつも、すごく印象に残る。
しかし、ロランスは、もう少し周りの人の状況も考えてみては?と思う部分ありありだったな。
フレッドは、悲しいかな自由奔放を我慢する大人になってしまったけれども、
愛したロレンスのことは、放っておけない情も多分に残っている。
ロレンスは、子どもではないけど、大人でもないよ。
結構、自分中心。
でも、そこが、ものすごく魅力なんだけどね。
クイアーな男性の独り立ち
「男が好きなんじゃない。性別を間違って生まれただけ。」
心は女性。他の女性のように装いたい。そして女性と一緒にいたい。
従来の性別役割に当てはまらないクイアーな主人公が心の望むままに生きていくことの困難。周囲の愛する人達の心も苦しみに巻き込んでしまう辛さ。ドラン監督の生まれ年1989年から10年のスパンで描く、主人公と最愛の女性の愛の葛藤の軌跡。
この映画をドラン監督は2012年に23才で制作。自分の人生を予想しているような、クイーンのフレディ・マーキュリーを思わせるような。更にもっと大変だったかもしれない自分より先の世代を慰めているような。そんなストーリーだった。
映像は現代絵画のような芸術性だけれど、2時間以上というのは長く感じた。
雪、水、服、枯葉
良いねーさすがだわー
ちゃんと神経に刺さる
ビリビリドキドキヒリヒリさせる
驚かせてくれる
グザヴィエ・ドランしか描けない
愛の心情、怒りの心情、悲しみの心情
言葉では言い表せない感情って
自分にもある…
まして他人の心情は理解できないことの方が多いでしょ?
なぜ惹かれるのかも…
視覚からの刺激が心臓にきて
ハーーッとなる…
長いかも?と途中で思ったけど
二人の時間経過が自然な流れだったから必然
雪、水、服、枯葉が大量に降るとハーーッとなる笑
長いようで短い恋の物語
オープニングは絵画のようなカット割りや音楽、難解な台詞が知的で良いんだけど、ぬめーとしてて、なんだ、これ…と思いつつ
しかし、主人公がカミングアウトしてからはテンポが一気に上がって面白い!。
LGBTの知り合いがいないから知らないんだけど、体は男だけど『自分は女だ』と言う人は、女の何が分かってるのだろうか?。
実際、体も心も男だけど、女装したいだけの人もいる。
女性だって、化粧もせず、スカートもはかない人もいるんだし、そもそも、一人で部屋にいる時はほとんどの人が化粧やスカートをはいてないだろ。
そのあたりを疑問に思いつつ、きっと、人それぞれなんだろう…。
多様性が広く知れ渡ってなかった時代では普通の人には分からなかった感覚だと思う。
劇中でも、カミングアウトされて戸惑ってるが冷静な母親が『まだ愛してくれる?』と確認する息子に言った一言
『女じゃなく、バカになったの?』と揶揄するセリフはややウケだったし、ラストシーンの配色に含みがあるのか分からないが、この映画は、ゲイ術的だなーと思った。
重くて 煩くて 長い。のに?だから?だとしても。
この映画について言えばLGBTQについてよりも、監督の手腕趣向センスに話題は集中しているように思う。
もちろん 自分は女性なのだ と気づいたロランスが 「女性なんだから女性の格好をしたい」とカミングアウトして後の二人の心の痛み苦しみそして葛藤を描く事が目的のそれ なのだけれど。
数年前、安富歩 という東大の経済学者が 女装して暮らすのだと宣言し 実行した。
彼の自覚は 自分は女性である。そして男に興味を持った事はない。好きになる相手は女性のみ。つまり自分はトランスジェンダーのレズビアンであると自己分析している。
女装ではない 自分は女なんだからそれまでの男装をやめる、というのが正しい。彼はそう宣言した。
ロランスの状況とかなり近い。違うのは見栄えだけ。
実際の方であって女優俳優業の方じゃないので当たり前だけど。
受け取り手の私が、この作品に入り込むのにいくつかのハードルがあった。
どうしてもこの安富さんの顔がチラついた事。
(彼は現在 独身で ロランスのような葛藤が見うけられない)
ずっとラテン系の言語で怒鳴りあうこと。
スペイン語とポルトガル語はもちろんだけれど、フランス語もラテン系言語で これで始終 怒鳴り合ってるのが
それが心の痛みから来るのであっても ちょっとうるさい。
心の表現を映像に置き換える技法。
洋服が空を舞う、
心に雨が降ったような衝撃を 実際 室内に熱帯雨林の雨季くらいの規模の豪雨もしくは滝のような水 を降らせる。
二人の会話を ものすごい接近したカメラワークで
交互に撮る。
天才と言われる映画監督が 自由な発想で映画を撮る。
そこになぜかえもいわれぬ違和感を感じてしまい諸手をあげて 天才!と言えない何かがあった。
しかし 結局 そのハードルを乗り越え
見終わった今 彼ら二人の心の痛さが ひしひしと蘇る。
ロランスの物語は 20世紀末の10年間。
(今から30年前、随分世の中は変わった)
舞台はカナダ(最初フランスなのかと勘違いしてた)
心が痛い
心が痛みをともなって叫ばずにいられない
彼を愛している 息子より。
言ってしまって自分に愕然とする女。
どうしようもなく持て余す心。
ロランスの側でなく
彼を愛し しかしそれを貫くには辛すぎる彼女の側
二人で逃避行した先で会ったトランスジェンダーの恋人たちに会った後
彼の姿なんて関係ないすべてを愛しているといった事に対し
だったら相手が豚のように醜くても同じことを言う?言うわけがない!
そう叫ぶ彼女(そう 二人はいつも叫んでいる)の言葉には 真実味を感じる。
この映画のトランスジェンダーの彼は
葛藤がありつつも 自分の思いを貫こうとして実行し、生きる。
彼女は そんな彼を もう自分が嫌になるくらい愛している。
私の人生をあなたが壊すのか
そう言いながら
彼が自分に 時を経てもなお 心を向けていることに
心底 全身全霊で 打ち震える。
私の視点は ずっと 彼女の側であった。
最後に この映画を薦めてくださいました きりんさんに謝辞を申し上げます。
確実に私の血液の中に染み込む作品でございました。
88点
女優の演技力えぐすぎた
はじめ理解してくれたのかと思った
いい人やと、けどちゃんとリアルに
愛との葛藤を描いていて
人間くさかった
2人の彼女と夫と子供が可哀想でしかないが
まぁ全てがリアルやった
Xavier Dolan
天才が若かりし22歳で見せた衝撃的芸術作品。
何度も思うが、この監督天才すぎる。少なくとも私にとっては超ど真ん中ストライクの映画を作ってくれるナンバーワンの監督だ。この作品でも見せてくれた現実と非現実のギャップに圧倒される映画体験が美しすぎる。
ドラン作品で一番私が好きなところは、非現実もしくは超現実の描き方。この作品にもわかりやすいところで何度か、細かいところでは数え切れないほど、非現実・超現実を表現している部分があります。スローモーションを使った、ショットなどは印象に残りやすいところだと思います。これは映画全体に渡って描かれるのではなく、8割が現実的で人間味あふれる会話などのシーン占められる、間々でアクセントとして入ってきます。それによって、現実と非現実のコントラスト、ギャップが生まれます。これはかなりリスキーなことで、視聴者が混乱したり、テーマやキャラクターを見失ってしまう危険性が十分あります。そこでドランの技量が明らかになるのです。その現実と非現実のギャップの架け橋となるように、テーマを下敷きにしています。この映画のテーマは明らかにLGBTQの多様性。そのまっすぐな確固たるテーマがあり、そのマイノリティーとしての特徴、魅力を増幅させるように、そのギャップを使います。トランスジェンダーの主人公が社会からの目や愛する人との生活などで葛藤するのがストーリーの中心なのですが、その葛藤の最中で現実から逃げ出したいという瞬間や周りの目など気にせず、自分の世界、自分たちの世界を楽しんでいる時など、我々が現実世界でも非現実を感じる瞬間とリンクさせて描いてるからこそ、リスクを回避し、最大限にギャップを使えています。さらにその超現実的世界を彩る、プロダクションデザインや撮影、さらには現実から超現実へと飛躍させるキッカケとなる台詞が周りを堅め、キャラクターを後押しする。コンポジションは彼のブランド化となっているのだが、リスクを犯したブランク部分の使い方がすごすぎる。キャラクターの感情を暗示するかのようなエスタブリッシングショット。さらには俳優としても一流の才能を持っているからこそのディレクティングと編集。どの部分を取っても一流すぎて息が出る。
圧倒的な演技を100%、もしくは120%でスクリーンに映す才能がさらに彼の才能。今作では会話シーンで、カメラをパンしワンショットでその会話を撮影する手法を取っているのだが、そのショットが生きてくるのは、撮影と監督と俳優がビジョンを共有できているからこそ。たぶん映画撮影の中で一番難しいのは、お互いが想像している映像を共有できるのかということ。さらには、それぞれプロが作りたいものという、映画の芯の部分が共有されている。それがドランの1番の才能、魅力。だから最高の間が表現でき、それがリズムとなり、キャラクターとなり、映画となる。
彼の映画を観ているときは、全てを受けいれられる。これは、フィルターが少しかかっているかもしれないが、それもこれまでの彼の作品を観て作り上げられたフィルターなのだから、全く問題はない。むしろ、一つの映画ではなく、彼の映画人生を通して、映画でメッセージを伝えてくれるという半端じゃない能力で向かってくる。本当に本当に次の作品が楽しみ。また、この当時のドランが帰ってくる。
厚顔
過度に粘り気の強い画面もあったが、全体的な装飾は力強い。
だが、物語としての纏まりが予定調和の域を出ず、創造性に欠けており、痴話喧嘩に辟易とさせられる場面が多い。
それはプラスでは無いというだけで、マイナスにはならないが、スペシャルを目指すならば越えなければならない。
“心に従う”は簡単なことなのか
世界で一番愛しているのはお互いでも一緒には居られない。どんなに望んでも全ては手に入らない、息子より愛してる、欲しいのは男、再開後の島での喧嘩は2人の思い全部だったのかなと。どちらかが耐えるのも違うと思うし。
ロランスが女になる前、恋人同士の2人はいつも大騒ぎでとにかく楽しそう。それだけに、急に思えたロランスの宣言からのフレッドの様子に胸が痛かった。突然嫌いになったりできない、どうしたらよいのか分からないし、何とかやってみても辛いしで。ロランスとしてはもう嘘をつくのは耐えられない!って思いだったようだが…
フレッドの感情爆発パーティーシーンとカフェでの別れ話、引越し先の隣の少年とロランスのやり取りがお気に入りのシーン。
色と音楽のセンスがすごく好き。
少し長いと感じたが、2人の変化や特にロランスの覚悟みたいなものをじっくり観せてもらった。
カメオ出演のドランはかっこよかった。
フレッドがMommyの友人役の女優さんだとしばらく気付かなかった、全然違う!
カメラもすごい
どう撮りたいのか-
ドランは撮影班に伝える言葉を持っていることに感嘆する。
色彩と陰影の芸術性は目を見張るばかりだが、出演者の表情に迫り過ぎて肌の荒れやホウレイセン、眉間の深いシワに充血する目尻。
まだまだあるぞ、
瀕死のキューティクルや化粧の乗りの悪さも通して役者の心中までえぐってその人の生身を写しとる手腕。
うーん。なかなかだ。
"きれいごと"の映画ではないってこと。
だけどこれじゃあオファーを断る役者も、少なからずいるだろう(笑)
クルーも演者も全て年上ってさ、どんだけ~!
ドラン。
センセーショナル。
彼こそ《革命》と言ってよいのかもしれん。
久々に
《金を出して手元に置きたいDVDのリスト》に、僕は記入する。
で、昨夜観たけど、まだ膝がガクガクしてます。
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追記:
ラスト近く、降りしきるみぞれの中に飛び出していく母と子の姿・・・
ロランスと対峙する母親が、やっぱ「たかが世界の終わり」や「マミー」同様 物語の頂点に存在しているねー。
①母が主役です。断言。
⇒若いドラン自身に今まさに起こっている母離れ・子離れ、そして新たな母親との邂逅がここにも反映されているのだろう。
②そしてカフェであの怒号かましてくれた親友フレッド、いい味出してるし・・・
③となると、??
主役であるはずのロランスが三人の中では一番影が薄くなるという不思議。長男の甚六。
おもしろいし感動したが切ない・・・
二人には元サヤに戻ってほしかった(ToT)
という意味で星は3つ…。
ハピエン厨には酷な終わり方(ToT)
でも、これからもずっと二人は追いかけ合いっこしてるのかな?って思わせてくれるロランスの最後の表情は最後の救い。
物語すごくおもしろくてキャラも良いからのめり込むように観た。
外見じゃなく心に従って愛し合いたいものですね。
Mommyの主人公が子役で出てるのもかわいすぎて見所。
ドランは天才か……!
弱冠22歳でこの映画を作り上げたとは…。
もう怖い。才能がひしひしと伝わってくる。
何故その若さで人生を悟ってるんだ!女の気持ちがそんなに分かるんだ!2人の運命が分かるんだ!どんな経験をしてればこんな映画が作れるんだろう。自分の経験が大きく関わってるんだろうけど。
ドランには本当に考えさせられる。
人の表情から、間から、背中から。伝えられる何かを多分まだ受け止めきれない。
フレッド(スザンヌ)のキレた演技に脱帽。カフェのウェイターにロランスを馬鹿にされたシーンです。血管血走ってましたよ。あれはドランの気持ちですかね。それをフレッドに代弁させたのかな。
「ほっといてよ」
「あなたはコーヒーを注げばいいの」
本当それって感じでした。質問も感想もいらないと。ただ普通の人として扱ってくれと。何も問題ないように過ごしてくれと。
印象的なシーンでした。
そしてフレッド、ロランスの再会シーンも素晴らしかったです。明らかに求めあっていた2人。そのまま旅に出ちゃうのもいい流れでしたが…
2人はめちゃくちゃに言い合います。本音中の本音です。そこには愛しか見えなかったですね。これが真実の愛だと思った。
「裸の心で、生まれたままの性別で、君と生きたかった」
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