「accept わたしの中のわたし」イノセント・ガーデン レントさんの映画レビュー(感想・評価)
accept わたしの中のわたし
自分が何者なのかそれがわからないもどかしさ、自分の中に蠢く無垢なる欲望に戸惑いを感じながらもインディアは18歳の誕生日を迎える。そして父の死、叔父チャールズとの出会い。
父は娘が何者かを理解していた。父は娘をことあるごとに狩りに同行させた。それは堤防が一気に決壊するのを防ぐために、父は娘の中に流れる泥流を少しずつ放流した。
しかし、そんな父は帰らぬ人となる。インディアは自分の中に潜むものにもだえ苦しむ。母にはけして自分を理解できない、ピアノでは自分を抑えることはできないのだ。
父の死を境に現れた叔父、彼はずっと自分を観察してきたのだ。それはまるで植物や昆虫の成長を見守るかのように使用人にも事細かく自分のことを逐一報告させて私の成長を観察していた。
幼虫がさなぎになりやがて蝶になるのを待ち遠しく観察する学者のように。苔がその瑞々しい緑を羽織るのをなめまわすようにいつくしみながら観察するように自分の成長を見守っていたのだ。
彼は自分の思うがままに他人の命を奪ってきた。そこには罪、咎という意識もない。あるのは純粋なる殺意、いや殺意さえないのかもしれない。彼は他者の命など気にも留めないのだ。他人は彼にとっては足元に蠢く虫でしかない。命を奪うことになんの躊躇もない。子供が昆虫の足を一つ一つもいで楽しむように。彼にはそれを抑制しうるタガがないのだ。何ものにも縛られないそれだけ彼は純粋無垢、イノセントな存在なのだ。
私は彼の殺人を目の前で目撃し欲情する。そう、私は同級生の男の子の首が折れる音を間近に聞いて思わず欲情した。それは私の本性がまさに覚醒したときだった。
私は自分が何者なのかをその時知った。いや正確には知っていたのだ、自分が何者なのかを。ただそれを認めるのが怖かったのだ。自分の正体から目を背けていたのだ。しかし叔父の行為を目の当たりにして欲情を抑えられなくなった自分を認めざるを得なかった。それは生来的な欲望に身をゆだねることに溺れる心地よさにあがなえないことでもあった。自分をあるがままに受け入れることが楽になることだと実感した。
花が自分の色を選べないように人は自分の本性を選んで生まれてくることはできない。ならば自分の宿命を受け入れよう。そうすれば楽になれるはずだ。この自分を縛り付けてきたものから解放されよう。そうすれば世界は広がる。
私は自分の運命を受け入れた。それを見越してチャールズは私に大人が履くハイヒールをプレゼントしてくれていたのだ。彼が求める私になった証として。
私は彼が求める私になったのだ。彼と同様に何ものにも縛られず自分の思うがままに他者の命をも躊躇なく奪える同種として認められた瞬間だった。
しかし彼は気づいてなかった。自分と同じ性(サガ)を持つ私が躊躇なく邪魔者と判断した彼を殺せることを。
私は思うがままにこれからも狩りを続けるだろう。父が残してくれた家のこの庭は広大で土も柔らかく掘りおこしやすい。この庭はこれからも私の欲望を満たしてくれるに違いない。
わたしの無垢なる欲望を満たしてくれるイノセントガーデンなのだから。
パク・チャヌク監督の面目躍如ともいえる彼の美的感覚がその映像に投影された佳作。残念ながら商業主義のハリウッドでは受けなかったようだが好きな人には癖になるパク・チャヌクワールド全開のダークファンタジーだった。主演のミア・ワシコウスカもとても魅力的。