言の葉の庭のレビュー・感想・評価
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雨の匂いがしてくる映画
映像が美しい。
大人(社会人)の弱さを鮮やかに表現
大人になるということ
この作品にあった水や風景の美しさは、ずっとそのまま新しい作品に受け継がれていくのだろう。
特に、雨という鬱陶しいもののおかげで表情を、動きを見せる誰かがいるという考えは、監督の心の奥底にあるロマンを掻き立てるモチーフなのかもしれない。
この物語は背景であるタイトルに示されるように、万葉集の一句から派生している。
この作品から監督は、男女それぞれの背景となるものを、それぞれのナレーションを通して語るという手法を取ったのだろうか?
主人公のナレーションが先行する。
秒速5センチメートルでは、手紙がナレーションの役目をしていた。
雲の向こう、約束の場所もナレーションはあったが、どちらかと言えば複雑なストーリー展開で面白さを描いていたように思った。
さて、
この作品でも登場するのが「距離」という問題
そしてこの物語にある「壁」の根幹が歳の差という体裁上の理由
それを純真な気持ちで見ようとしたタカオ
年齢の差とまだ子供であることの歯がゆさゆえに、なおさら気合が入る靴職人への道
父のことは描かれていないが、若干複雑である家庭環境が彼を早く大人にさせようとしているのだろう。
彼が雨の日に学校をさぼるのは、少しでも靴職人の勉強をする時間を作りたかったからだろう。
新宿御苑で出会った二人 タカオはいつか母に贈った靴が頭にあることで、ユキノの足元が気になってしまう。
ユキノは初見でタカオが同じ学校の生徒だと知るが、それを知った後なぜあの万葉集を口ずさんだのだろうか?
あの歌はこの作品の重要な部分ではあるものの、ユキノの現在の状況を鑑みればあの万葉集の句を口に出すことなど考えられず、あの場所へは二度と行きたくないと思うのが普通だと思う。
ではあの短歌は恋人に対して言ったのだろうか?
彼女は古文の教師で同じ学校の教師と恋愛していた。
その彼に対する彼女の気持ちは、「息をするもの辛かった時、あなたは周りのことばかり気にして私の言葉を聞いてくれなかった」だった。
つまり、ユキノはあの時点で彼とすでに別れていて、彼に対する想いは基本的にはなかったはずだ。
この物語が監督の中の真実であるならば、
この部分の解釈はとても重要なものになる。
初対面の高校生 お互いさぼっているのはわかる わずかな言葉のやり取り
彼女はそこで「歩く練習」をしていたということは、少しでも外へ出かけることから始めたという意味だろう。
そこで恐れるものを少しでも克服することが彼女のリスタートだったはずだ。
そこに現れたのが自分の学校の生徒
それに気づいたとき、彼女はとても怖かったはずだ。
しかし彼は自分にまったく気づいていない。
このことがユキノにとってある種のゲームになったのではないだろうか?
ここは非常に大切な部分で、ジブリの宮崎監督や高畑監督などは、一挙手一投足に意味があり絶対矛盾する動作は描かない。
矛盾を感じるのは、別の意味があるからだ。
この視点に立って考えると、この作品のこの部分だけに「解釈」が必要となる。
仮にユキノがある種のゲームを始めたとする。
学校を辞めて四国へ帰っても、やっぱり教師は続けたいというのが彼女の想いだ。
そこまで歩く練習の一つが、タカオとのコミュニケーションだったのだろう。
高校教師 高校生とのコミュニケーション 彼女にとって避けられない課題
タカオは純粋で、将来の夢を持つが、同時に多感でもある。
気づけば彼自身が恋をしていた。
純粋であるが故、相手の純粋さに対するジャッジメントがある。
決定的だったのが、四国へ帰るともう決めていたこと。
何もできない高校生
出勤できなくなって以来、そして梅雨が明けてしまってからもユキノは長い間悩み続けたのだろう。
タカオも専門学校に行くためにバイトの毎日
ユキノにとって少し楽しかったコミュニケーションで様々なやり直し方が考えられたのだろうが、結局もう一度あの高校の教壇に立つことはできないと判断した。
そんなことさえ何も知らなかった俺、タカオ
教師いじめ
そいつらをぶちのめしたい衝動 暴力
暴力もまた、人生や物語には必要要素だと思う。
タカオはその前後、自分の本気度を知ったのだろう。
そうして再開した二人と土砂降りの雨
ユキノのアパートで食べたオムライス 「生まれてから今が一番幸せかもしれない」
しかし、
一方通行であるはずのないこの思いは、裏切られた。
アパートの踊り場でのタカオの言葉は、「嘘つき」な大人への怒りだったが、それこそユキノの真の姿を言葉にしたものだった。
ユキノも純真ではあったものの、次第に壊れていく精神と味覚障害になるほどダメージを受けていた。
タカオの言葉はユキノに対する断罪だった。
しかしそれは「人と人」とのことで、本当のタカオと本当のユキノのことだった。
もしタカオの言葉の中に、学校のことが含まれていた場合、ユキノは再び障害を発症するかもしれない。
この時点でタカオは彼女のすべてを受け入れていることが、彼女にわかったのだろう。
タカオはそのことをすべて理解してくれたユキノを受け止め、そして一旦リリースしたのだと思う。
高校卒業して、専門学校に入り、靴職人としてデビューしてもまだまだ先は長い。
タカオの家族の状況も、実生活の難しさを教えている。
約束通り、彼はユキノの靴を完成させてあの場所へ持ってきた。
それを履く彼女の様子が頭の中に描かれたはずだ。
そして彼は誓う いつか歩けるようになったら会いに行く。
失われつつある大人への登竜門 それは本当の自分になること。
20歳になれば大人ではなく、まして18歳でさえない。
大人とは、大人になる決心をした時になれるもの。
その自分で決めた道の登竜門をくぐって初めてなれるもの。
その決心をした15歳のタカオは、もしかしたらもう16歳、大人になったのだろう。
どうにもならないことを何とかするのが人生ではなく、どうにもならないと思っている自分をどうにかするのが人生だ。
最後に彼は「歩く練習をしていたのは、俺も同じかもしれない。いつか歩けるようになったら会いに行こう」と言った。
彼が闇雲のようにぶつけた本心は、ほんの少しズレれば彼女を激しく傷つけただろう。
その事を彼は、いま、理解できた。
どうしようもない心に折り合いをつける。
切なさと成長
この切なさを描くことこそ新海監督の真骨頂かもしれない。
非常に深い物語だった。
本当に素晴らしかった。
人の縁や価値観・境遇の違いについて考えさせられる
ILGIARDINO DELLE PAROLE
アジール映画
自分が通っている学校の先生を知らないってありえない
監督と脚本は『ほしのこえ』『だれかのまなざし』『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締り』の新海誠
谷村美月をヒロインに迎え舞台化されている
U-NEXTでも鑑賞できるが1630円
うーん・・・ポイントを使うにしても躊躇するなあ
平日の日中から公園でビールを飲んでいる女性の正体は秋月孝雄が通っている古典教師雪野百香里だった
3年の女子生徒が片思いしてる男子生徒が百香里を好きだったため嫉妬して数々の嫌がらせをし悪い噂を流し心労で教師を辞めることになったのだ
それはそれとして自分が通っている学校の先生を知らないってありえない
いくら高1とはいえ
興味がなかったからって野球に興味がない女性がヤクルトの村上を知らないってレベルと違うでしょ
納得いかない
エンドロールのあとも続きあり
声の配役
靴職人を目指す高1の秋月孝雄に入野自由
孝雄が雨の庭園で出会う雪野百香里に花澤香菜
親子ほど年下の彼氏と付き合っている大学職員の孝雄の母の秋月怜美に平野文
彼女と同棲生活を始めるため家を出た孝雄の兄の秋月翔太に前田剛
翔太と同棲を始めた彼女の寺本梨花に寺崎裕香
孝雄と同い年の友人の松本に井上優
松本の一学年上の彼女の佐藤に潘めぐみ
プライド高い女子生徒の相沢に小松未可子
孝雄のクラスの担任で体育教師の伊藤宗一郎に星野貴紀
50分弱に凝縮した映像美が際立つ一作
本作の3年後に『君の名は。』(2016)で知名度を飛躍的に高めることになる、新海誠監督の短編映画。
スタッフの顔ぶれなどを見ると、この頃からすでに、『君の名は。』に至る道筋ができていたことに気が付きます。『秒速5センチメートル』(2007)と同様、短い時間に凝縮した美しい映像を堪能する作品、と言っても過言ではないでしょう。
旅要素もあり、雪景色の寒々とした雰囲気もあった『秒速5センチメートル』と比較すると、公園を基点に時間が積み重なっていく構成の本作では、やはり際立つのは木の葉と、そこに差し込む光、あるいは波紋の広がる水面など、きめ細かな自然描写です。
物語としてはものすごく興奮するような場面があるわけではなく、むしろタカオ(入野自由)とユキノ(花澤香菜)の、距離感を探りながら交流を重ねていく過程を静かに描いています。したがって本作には、時空を超えたり世界を救う鍵になったりといった、超絶的な展開はないけど、物語が設定上の複雑さ、重厚さを増していく以前の、とにかく自分が描きたい描写に全力集中した感のある新海誠作品として、本作は鑑賞する価値が十二分にあるでしょう。
2024年になって、新海監督の初期長編、『雲のむこう、約束の場所』(2004)が再上映されるんですよね。この機会に、本作も再上映してくれないかな…。
澄んでるなぁ
雨の公園に行きたくなりました。
ビールかワイン持って。
って、新宿御苑はダメですね。作品中にも2回、作品終了後のテロップでもダメ出しがありました。近くの公園でもいいかな。
他の方も絶賛されていますが、とにかく背景が綺麗。
雨をはじめとする、”水”の描写、そこに絡む木々、葉、その他もろもろ。
駅名が出なくても、千駄ヶ谷だ、あの場所だとわかる細かさ。
そうか、写真をトレ―スして制作されたのか。
だったら写真を使えばという意見もあるけど、写真や実写よりも柔らかさが加わっており、よい雰囲気を醸し出しています。
でも、ドラマとして観ると深みが足りません。
『言の葉の庭』とあるので、『舟を編む』のように言葉にこだわり抜いた作品かと思っていましたが、それほど研ぎ澄まされた言葉が紡がれているわけでもありません。せっかく、万葉集とか引き合いに出しているのに、肩透かし。
よくある、ギャルでも使いそうな台詞でつないでいきます。しかもそんな陳腐な台詞で状況説明しちゃう。もうちょっと言葉使い、台詞を厳選してほしかったです。
”文学”に例えているレビューも読みましたが、『世界文学全集』等に収められている純文学には足元にも及びません。わかりやすい、読み捨てされる量産系のノベルズといったところでしょうか。
「孤悲」物語とは、良い所に目をつけられたと拍手を送りたいです。でも、それをこういう設定なら二人とも孤独だよね、悲しいよねと思わせるのではなく、できれば、台詞とか、人物の動き・表情で孤独感と悲しみをみせてほしかったです。
シチュエーションが問題なんではないんです。あり得ない設定に”実”を見せるのが、”文学””演劇””映画”なのだから。あり得ない設定なんて歌舞伎にはごまんとあるけど、それを”実”に見せる業を持っているから”芸術”として今も上演され続けています。
安易に、吟味もしていない言葉で、行間を読むような余韻もなく、ただ、書きまくった、ただ漏れさせたモノローグがね、問題なのです。
感情を爆発させてメデタシっていう安易な発想が問題なのです。
他人にわかってもらえるように客観的視点を加味して”芸術”に昇華させておらず、ただ、自分がこう思うのだからこれでいいじゃん的な主観のみの自己満足になっているところが中2病なのです。
年上の女性と、少年の恋物語。
孤独を抱えた人々の再生物語。
ありふれた設定とはいえ、何度も繰り返し取り上げられた設定。心の琴線に触れる設定。
雨の日だけの、不確実な逢瀬。
意味ありげに、暗号のように残される短歌。しかも、万葉集。万葉の言葉独特のまろやかさと同時に染み渡る力強さ・土臭さ。短歌は短歌でも、古今和歌集や百人一首でもなく、ましてや現代の作でもない。
このシチュエーションだけでもそそられます。(私だけか?)
でも、その思い付きを並べただけで終わっちゃった。ここから、さらに昇華させた物語を味わえると思っていたのに、肩透かし。
雨の降る東屋で、人から隠れるようにして、その公園では禁止されている飲酒をする女性。女性の就いている職種を考えると、公共のルールも守れない時点で、人間としてアウトと思ってしまいます。そりゃ、仕事場でうまくいかないのも当たり前。この映画では、うまくいかないから→飲酒としているけれど、ルール破っている時点で、感情が行動を通して駄々洩れ。「15歳から~」という台詞があるけれど、そんな人が、ただ〇〇という職権権力かさに着て、リアル15歳を指導しようとしたら、そりゃ反発食うわ。高校なら15歳~18歳までいるけれど、年下に偉ぶられてもね、と思います。
後半明かされる女性の設定なら、殻を破れないという設定なら、もっと行動面でも、きちんと殻を示してほしかったです。部屋に引きこもって飲酒するとか。”壊れている”ことの描き方が安易。説得力ありません。共感できない。ルール違反している時点で、殻破っているじゃないと思ってしまう。
女性に共感できないから、少年がその女性に憧れるという点にも共感できない。
「孤悲」。孤独な恋を描いた小説というと、私が思い浮かべるのは、夏目漱石さんの『こころ』。井上靖さんの作品とか。他にも、他にも。それらと比べると、この映画の二人の関係は傷の舐めあい。う~ん、なんだかなあと思ってしまいます。
せっかく、本当に必要な言葉のみを削りに削って残して作った短歌の”万葉集”を持ちだしているのだから、言葉・脚本も推敲に推敲を重ねてほしかったです。
モノローグ形式だって『オッドトーマス~』みたいに成功している映画だってありますし。
この映像なら、いっそのこと、台詞なしでみせるというのもありかもしれないのでは?公園は新宿御苑じゃない公園、飲酒可なところにしてとか。
あ、でも、この映画の、人間を描写するアニメーションでは表現しきれないかもしれません。
背景を、写真をトレースして作成されたのなら、
人物も、モーションキャプチャーをトレースして制作したらいいのかもしれません。
とはいえ、この作品って、α波が入っているイ―ジ―リスニング系。
思いっきり仕事でパンパンになった頭と心を洗い流してくれる映画なのかしら。雨がモチーフだけに。
クールダウンには、この位のわかりやすさ・展開でいいかなと思います。受けた傷も一緒に舐めあって癒してくれそうです。
嫌いでは無いけど
この尺でよくぞ・・・
新海のアングルの独自性は見事である。手元、足元のアップ、移動対象を移動しながらのワンカット、変質狂的なまでな水や雨の描写。見たことのある映像だがアニメで描くことは容易ではない。チョッとした小物のアングルも見事だ。足と雨。共にこれほどまでにみずみずしく美しくこれほどまでにエロティックに描写できるのかと驚く。その背景の登場人物たちの人生には一切触れること無く。それ故に晴れた日の画面は粋なり瑞々しさを損ない単なるアニメとなる。雨の画面を渇望するアニメに。そして晴れた学園で行きなり事態が進展する。そうか万葉集か。新宿御苑の雨宿りは古都奈良に連なる雨と水の物語。最後の10分、ひとりで歩くと言うことは・・・そうだ恋歌だ。今の時代に歌われる恋歌のために用意された、そうこれはそのためのアニメなのだ🎵かと言ってこれは絶対にPVではない。れっきとした本格的なアニメなのだ‼️
ピークという言葉に納得
恥ずかしながら今視聴。こんなに短いならもっと早く観るべきだった。
ほしのこえ、君の名は、天気の子、すずめの戸締まりと劇場で観たが、私が観た新海監督5作品の中で、「クリエイターとして」最も才能や地力を感じるのはこの作品かもしれない。※他作視聴で覆る可能性あり
大ヒット企画のプロデューサー的な視点込みとなると「君の名は。」こそ才気煥発の極みに思えるが、そういう興行的な境地を狙わないスモールスケールの作品としてなら、本作は「やるべきことをしっかりやりきる」職人的な巧さにあふれていると思う。
君の名は。の大ヒット以降、隙だらけというか「映像さえ美しくて壮大な感じの何かをすればよし」の手癖・不真面目・ザル脚本になってしまった「天気の子」や「すずめの戸締まり」に比べて、本作の隙の無さや無理の無さは圧倒的な高みになる。最近友人が「言の葉の庭がピーク」と言っていたが、限りなく納得できる内容だった。
優れた格闘家は、自分の手足の長さを1ミリも長くとも短くとも感じておらず、間合いやインパクトを間違えないという。それは自分を少しも過大評価も過小評価もせず、まさに自分のできることとできないことを把握して、自身の体を使いこなし状況に対して最適に動くということだろう。クリエイターも創作の姿勢としてそれは真であり、本作は新海誠監督とそのチームの「できることを完璧にやりきり、できないことは一切しない」が47分間の中に実現されていると感じる。
本作はある意味なんでもない、人生に一度ぐらいは訪れそうな「運命的ではない人たちが出会い、意志の力で運命的になりたいと願う、個人と個人の小さな話」だ。公開された2013年当初としても、小説賞の梗概審査やプロット賞では「ありふれている」「普通」という理由で、箸にも棒にもかからず落選となるだろう。
しかし、そんなありふれたプロットの話を美しい映像と無理のないテンポで「見物」にして最後まで見せてくれるのが、この作品のスタッフたちの地力の高さである。
アニメで映像自慢と言えばダンスシーンであり演奏シーンであるというお約束はTikTokの物真似文化が出る以前からだが、本作はダンスもしないし演奏もしない。しかし確かな映像美で見せるという、自信たっぷりの才能の披露がある。
素足を計測のフェチズムはこれぞ新海誠という具合だが、それがすずめでどうなっていたかと言うとアレで、低俗になりすぎていてちょっと悲しみを覚えた。
無論、いくら丁寧で上質でわかる人にはわかる良さと凄みがあっても、本作の路線では100作つくれど大ヒットは狙えない。結果、3年後に「君の名は。」でわずかな隙と引き換えに大スケールアップを果たし偉業を達成するのだが、以後は雑に隙だけが増えていくような苦境に入っていると感じる。
漫画や小説の世界でも、デビュー前やデビュー間もない頃の方が読者を恐れていて、隙が無く(※テンポ感含む)面白い作家は珍しくない。一度売れると中座される恐れを失うのか、立ち上がりの速度感や整合性が劣化していくあの現象だ。
進化監督は、まさに先行き不安でなんとか食えていた程度だったであろう本作の頃~君の名は。公開前の物作りを思い出してほしいと思わされる作品だった。
昔から言葉(詩)に込めて想いをつたえてきた歴史や雨の良さを噛み締めて観る作品
まずはじめに、個人的に雨が非常に好き。
雨には特別な魅力があり、子供の頃から空から落ちてくる水の雫が不思議で仕方なかったし、窓に打ち付ける音・傘に当たる音・地面や水面に打ち付ける音が心地よく雨の日に布団にくるまって寝る時なんかはなぜか高揚感があった。
車でドライブする時の窓に流れていく水の形やネオンライトが写り込んだ美しい情景は子供の頃に後部座席で見て楽しんだり、自分の運転であっても楽しい。彼女がブチギレて起こっていてもそっちのけで見てしまうこともw
だから主人公のタカオとは違った意味で起きたときに曇っていたり、雨が降っていると何故か嬉しいw
他の人が快晴の日に「わあ、めっちゃいい天気!!」とか言っているのも「どこがやねんw」と共感はあまりできないw
新海先生の情景の描き方はいわずもがなだが、見ていても非常に美しくまさにひきこまれていくようだ。
なにげない日常を切り取ったからこそリアルさがあり、そこに息づいている人たちがいて、自分を投影したりが容易にできてしまう。
46分の短い間に駆け抜けるように物語が進んでいくが、ゆっくりと二人の距離感や設定を飲み込んでいける。
物語としてはありきたりであり、突出した演出や内容ではないのだが、やはりそこは新海監督の旨さと言うか心の機微を丁寧に描き、ドキドキする男子高校生を描いている。
また人の心の弱さや気持ちを伝える難しさ、また伝える大切さを表現している。ラストの雨の上がるシーンはやはり演出が素晴らしくニクいw
「Rein」の挿入が素晴らしい。
その他の場所でも音楽がうまく使われている。
色々な形で「詩」等にのせて心を伝えてきた歴史を短い作品の中で感じる事ができた。
また雨の魅力がより一層この作品を観ることで感じることもできる。
改めて素晴らしい監督であり、(自分には無いが)センスの高さも感じた気になってしまうw
全185件中、1~20件目を表示